貿易会社としてのタイトー
タイトーは、現在こそゲーム会社として広く知られていますが、その創業期は貿易会社としての機能が非常に色濃く、多岐にわたる事業を展開していました。
創業期のタイトー:太東貿易株式会社
タイトーのルーツは、ロシア系ユダヤ人の実業家、ミハイル・コーガンが1950年に設立した個人営業の輸入会社「太東洋行」に遡ります。そして、正式な創業は1953年8月24日に設立された「太東貿易株式会社」です。
社名に「貿易」とある通り、当初は輸入雑貨の販売を主軸としていました。具体的には、以下のような事業を手掛けていました。
輸入雑貨類の販売: 多様な雑貨品を海外から輸入し、販売していました。
国内初のウォッカ醸造・販売: 驚くべきことに、日本で初めてウォッカの国内醸造・販売を手掛けたのもタイトーでした。名古屋の醸造所に委託し、設備投資を行い、ロシア人技術者を招いて製造したウォッカ「トロイカ」は品質が高く、帝国ホテルのバーにも置かれるほどだったそうです。
小型自動販売機(ピーナッツベンダー)の製造・販売: 当時の日本にまだ少なかった自動販売機市場にも参入し、ピーナッツベンダーなどを手掛けていました。
ジュークボックスの賃貸・販売: 1954年にはジュークボックスの賃貸業務を開始し、1956年には純国産ジュークボックス1号機を開発するなど、後のアミューズメント事業の萌芽が見られます。
フリッパー(ピンボール)のリース: 進駐軍が持ち込んだフリッパーの人気に着目し、そのリース事業で大きな成功を収めました。
パチスロ(オリンピアゲーム)の取り扱い: 1964年には、後にパチスロと呼ばれる遊技機「オリンピアゲーム」の取り扱いを開始し、風俗営業法の許可を取得してアミューズメント施設に展開しました。
これらの事業は、当時の日本にとって目新しいものや、海外の文化を取り入れるもの、あるいは娯楽の提供という点で、まさに貿易会社としての機能と、新しい市場を創造するフロンティア精神が合わさったものでした。
アミューズメント事業へのシフトと商号変更
太東貿易は、輸入業で得たノウハウや資金を元に、ジュークボックスやフリッパーといったアミューズメント機器の販売・賃貸事業を強化していきます。1965年には国産初のクレーンゲーム機「クラウン602」を開発し、1968年には日本初となるゲームセンターをオープンするなど、現在のタイトーの基盤となるアミューズメント事業へと軸足を移していきました。
そして、1972年に、それまでの「太東貿易株式会社」から、現在の「株式会社タイトー」に商号を変更します。この商号変更は、貿易事業からアミューズメント事業へと重心が完全に移ったことを象徴する出来事と言えるでしょう。
まとめ
タイトーは、創業期の「太東貿易株式会社」として、輸入雑貨、ウォッカ醸造、自動販売機、そしてアミューズメント機器の輸入・販売・賃貸など、多角的な貿易事業を展開していました。これらの事業で培った経験と市場のニーズを捉える力こそが、後の「スペースインベーダー」の大ヒットに繋がり、ゲーム業界のリーディングカンパニーとしての地位を確立する礎となったのです。
現在のタイトーからは想像しにくいかもしれませんが、そのルーツには確固たる「貿易会社」としての歴史が存在します。
