美大生による五美大展 展覧会評 (3/2)
3月2日、国立新美術館での展示最終日に駆け込み鑑賞した。
国立新美術館に行くのは初めてだったので、黒川紀章の三次元ガラスウォールの建築を見るのもとても楽しみだった。
館内に入ると、カメラを構え空間を撮影する人が多くいた。
五美大展
五美大展とは、東京五美術大学連合卒業・修了制作展のことで、五美大とは、東京造形大学・日本大学芸術学部・武蔵野美術大学・多摩美術大学・女子美術大学である。
五つの大学が集まっているので、作品が多すぎる!!時間と体力的に全部観れるか不安だったが、だんだん楽しくなってきて余裕だった。
自分自身が現役美大生なので、身近な先輩の作品を見ているような気持ちだった。(誰とも面識はありませんが、、)有名作家の作品とは違い、若く駆け抜けるようなエネルギーを感じられるのがとてもよかった。
その中でいくつかすごくいいなと思った作品を紹介し、展覧会全体の感想を述べる。
感動した作品たち


この作品の魅力は写真では伝わらない。というのも鑑賞者が移動し目線が変わるのに合わせて、画面上の白い丸が追いかけてくるのだ。一体どういう仕組みなのかわからなくて面白い。
小さい頃、夜のドライブで月が自分を追いかけてくるのが不思議だったのを思い出した。

この作品は写真を撮れなかった。というのも作品の一部である畳マットの上でちびっこが4人遊んでいたからだ。畳の上には石があり、その背面に絵が飾ってある。また、日記のような詩もあった。五美大展の作品が詰め込まれた空間で急に子供の遊んでいる姿が見えてすごく驚いたというのが正直な感想だが、作品題が《宇宙のこどもたち》というのですごく納得してしまい、瞬間的に成り立つ作品だなと感動したのだ。
全体的な印象
彫刻、絵画、ジャンルに関わらず、作者自身の身体と結びつくような作品が多いと感じた。例えば顔の造形、手足、裸体など。
また、個人的な記憶や体験が源泉にあり、それをコンセプトにしている作品も多かった。私自身も作品を作る際に、個人的な経験をもとにアイデアを出しがちなのだが、それはそれでいいのだと安心した。
クラフトと美術の境界
少し前、大学の講評会で、クラフトと美術の境界について話題になった。(ここで言うクラフトとは工芸ではなく、手芸の意味)
教授が話していたことは、『編み物やパッチワーク、刺繍、手作り蝋燭などを作品に用いると、「クラフトぽい、商品ぽい」と思われるのではないか。そして、そう思われることはネガティブなことのように感じるが、そうではなく逆に、ここからまだ誰も知らないファインアートが始まるのかもしれない。つまりクラフトと美術を別物として扱い、判断するのはもう古いかもしれない』
といったことで、その時その作品を見て「手芸は現代美術になるのか?」という感想を持っていた自分に、とても刺さったのだ。
五美大展でも、パッチワークや編み物を使った作品をいくつか見かけた。その多くが、圧倒的な大きさや作業の緻密さがマテリアル以上の質量を持っていて、クラフトの域を超えた立体作品に昇華していた。また、小さな作品でも、キャプションで語られている作者の経験や思考がかなり密接に関係を持っていることがわかり興味深かった。
=コンセプトがあれば手編みのニット帽も作品になるのか?、しかしコンセプトありきの作品はどうなのか?、、ならば道の駅の手作り品コーナーの商品だって作品と主張できるのではないか?
などなど、クラフトと美術の関係はちゃんと考えてみると奥深くて面白いのでは?と感じたので、これから勉強していこうと思う。
以上
