見出し画像

ねじ巻き男、ハイウェイを走る――巻き損ねた日々を越えて

大学を卒業してから、私はずっと運転から逃げていた。
それだけじゃない。
生きること自体、どこかぎこちなくなっていた。

社会に出て数年、心は少しずつ摩耗していった。
「できなさ」を認める余裕もなく、「できるふり」を続けるために、いつの間にか心のねじを巻くことすら億劫になっていた。
いや、もしかしたら――無理に巻かない方がよかったのかもしれない。
当時の私は、「ねじ巻き男」どころか、「ねじ巻けない男」、あるいは「ねじを巻かない方が良い男」だった。

そんな自分に、直面する出来事があった。
一年ほど前、実家に帰ったとき、父が「運転の練習をしよう」と声をかけてきたのだ。
正直、うれしさと怖さが入り混じっていた。
ハンドルを握った瞬間、怖れが一気に噴き出してきた。
小さな指摘にも過敏になり、余裕をなくし、ついに父と口論になった。

「できないこと」を認めたくなかった。
でも本当は、自分が一番それを分かっていた。
痛みと怒りの裏にある、情けなさと悲しさを、どうしてもうまく言葉にできなかった。

それから一年。
少しずつ、ほんとうに少しずつ、私は自分のねじを巻き直してきた。
無理やりではなく、自分のペースで。
近所の道を走るところから始めて、練習を重ねた。
ハンドルを握る手に、少しずつ馴染むような感覚が戻ってきた。

そして今日、妻とマルチーズを連れて、ハイウェイを走っている。
片道一時間半ほどのワンデイトリップ。
助手席では妻が安心しきった顔で眠り、後部座席ではマルチーズが小さく丸まって寝息を立てている。
窓の外では、夕焼けがハイウェイをゆっくりと染めていく。

昼間、旅先のレストランで、妻は当然のようにクラフトビールを注文した。
下戸の私はダイエットコーラを注文する。
妻は特に感謝の表情を浮かべるでもなく、自然体でグラスを傾けた。
それが、なんだかとてもうれしかった。
"特別扱い"ではない。
"当然の信頼"という形で、私たちの間に流れているものがあると感じた。

運転しながら、ふと気づく。
ああ、今、普通に運転しているな。
怖くない。
自然にアクセルを踏み、ブレーキを踏み、ハンドルを切っている。

胸の奥で小さな波紋が広がる。
派手なガッツポーズなんて必要ない。
ただ静かに、自分自身にうなずく。

ねじ巻き男、ハイウェイを走る。
かつて、ねじを巻くことすらできなかった男が。
かつて、巻こうとするだけで壊れそうだった男が。
今は、無理なく、自分のペースで、静かに回している。

この先もきっと、私は完璧なねじ巻き男にはなれない。
だけど、それでいい。
巻き過ぎず、巻かな過ぎず、止まったらまた少しだけ巻き直して。
そんなふうにして、生きていこうと思う。

ハンドルを握る手に、わずかに力をこめる。
沈みゆく夕陽を追いかけるように、アクセルをゆっくり踏み込んだ。

いいなと思ったら応援しよう!