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「教室は間違えても良い場所」って間違ってるとずっと思ってた話。

小学校でも、確か中学校でも言われた。クラス中に嫌な笑いが広がってザワザワしはじめる時、先生はまるでその騒ぎを掻き消すモーゼの様に凛とした言葉で放つ。そして、先生によって道は示される。

「だから安心してどんどん意見を発表しなさい」

私は真面目な生徒だったと思う。誰かが誤った答えを言っても笑わないようにしたつもりだし、自分が間違えた時もどうしてその答えになってしまったのか理由を持っていた。それなりに優秀な生徒だったと思う。

教室は間違えても良い場所なんだ。その事実は小中学校時代の私の一つの支えだった。

それが確か高校に入った頃に変わっていった。私が数学でトンチンカンな答えを言っても、当てられて黒板の前で一文字も書けなくても、先生は呆れて席に戻ってと言うくらいだったし、教室の誰かの視線が私に向けられることも無かった。

教室は間違えても良い場所だしな。人の口からは聞かなくなったそれは「まぁ」とか「別に」とか枕詞がついて私の中で言い訳の言霊になった。

大学に入ってからはあまり思い出さなかった。色んな失敗もしたし、間違えてばかりだった。私のことを笑う人がいても、それを注意する人もいなかったけどそれ程気にすることも無かった。

強く思い出すようになったのは就職活動が始まって全然進めなくなった時。

どうして私じゃダメだったんだろう。何を間違ってしまったんだろう。

教室は間違えても良い場所だった。それがその時の私には呪いの言葉のように染み付いた。

働けるようになってからもその呪いは長く続いた。ミスをする度に、自分は社会に存在してはいけない人間なんだと消えたくなった。言葉だけが残った。

私はそれなりに真面目に生きた。でも全然優秀じゃ無かったし、ミスは無くならなかった。仕事は続かないのに、ミスは続いた。

あんなことさえ大人が言わなければと、自分が大人になってから言葉を呪うようにもなった。大人がいつも一番間違えてるじゃないかと思った。

私は今もっと大人になったので、この言葉が間違っているのかどうか改めて考えてみたいと思う。

「教室は間違えて良い場所です」

だから自分の意見に自信を持ちなさい。他人の考えを尊重しなさい。小中学生の時の私たちの世界を切り開き、自由な発想を促してくれた言葉だ。間違っているわけが無い。

間違ってるってわけじゃ無いよ。でもここまでの私の人生を踏まえてもうちょっと補足もしたい。

①世の中には許されない間違いがたくさんある。

ごめんで済めば警察はいらないけど警察が介入しても済まされないし、裁判官が来たって裁ききれないないような間違いがたくさんある。

②間違いはいくつになっても誰でも必ず起こす。

どんなに真面目でも、優秀でも、どんなに対策をしても間違えない人生はありえない。経験を積んでマシになることもあれば余計な先入観とか偏見のせいでかえって大きな失敗をする大人もたくさんいる。

③そもそも正しいとか間違いとかよく分からない

見た目は大人、頭脳は子どもになった今思う。「真実は一つとは限らない」正義が悪だったりするし、綺麗は汚い汚いは綺麗。今ありえないと思われている定理がそのうち証明されるのかもしれない。あれ?定理って証明されるもので合ってる?それすら私には分からない。バーロー。

④自分で考えることが素晴らしい

正解が無くても考える力は必要だし、コギトエルゴスムだし、人間は考える葦であるし。意思を持つことによって人は自分を知り、人を知る。そして幸福を知る。ような気がする。

⑤結局、結論としては

でも何も考えないほうがいい事もあるし、考えすぎて分からなくなることもよくある。現に私も今ここまで書いてそもそも「教室は間違っても良い場所です」ってセリフ一度も聞いたこと無い人が大半だったりするかな?とか、補足5個って多くね?とか色々考え過ぎて結局何が言いたかったのか分からなくなって真実が迷宮入りしそうになっている。バーロー。私は教師には向かない。

結局色々考えてみると自分の重りのように感じていたセリフも結論としてそう悪いものでも無かった。あの頃の先生たちも本当に良い先生たちだったと思う。時にはセリフだけとは言え呪ったりしてすみません。今、私はあの時の先生方のおかげで

…無職だし、全然立派な大人にはなれてはいないけれど、だから、なんだ、あれ。いまだに考えも上手くまとまらないけれどとりあえず楽しく生きれています。本当にありがとうございます。

明日もきっと楽しく何か書きます。よろしく、私。





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