ひらり、ひらり
桜が怖い。
美しいものはいずれ終わる。
桜を見ていると、人の一生を思うから。
咲き誇れば人々がその存在を認め、散った頃には何もなかったように日々を過ごす。
人はいつか死ぬ。
どうせ死ぬなら今日がいい。
缶ビール片手にぼんやり桜の木を見上げる。
静かな公園の街灯に浮かぶ満開の桜は、生が満ちていて、私を呑み込みそうだった。
「いま死んだら楽になれるかなぁ…」
「なれるよ」
「とめてくれないの?」
隣に座る彼は穏やかに笑う。
いつだってその顔は春のひだまりみたいだ。
「とめないよ。
生きるも死ぬのもその人の勝手さ。
もし今死ぬって言うなら僕は君の話を聞きたい」
「なにそれ」
「だって、死んでしまったらその人が何を考えて、抱えて、生きてきたか一生この世に出ることがないんだよ?
だから聞きたいじゃん。幻の名作を読むより断然価値があると思うんだよ」
「聞いてどうするの?」
「大事に覚えておくんだ。
ずっとじゃなくていい。たまにでいい。
そうだなぁ、1年に1度くらい思い出して記憶に残っていたらいい。
自分が、確かに存在したという記憶を」
からりとした喉にぬるくなったビールを一気に流し込む。
風が少し強くなった。
桜がひらりひらりとその役目を終わらせようとしている。
「___そう思うなら、どうして何も言わずに逝ってしまったの?」
彼は相変わらず穏やかに笑っている。
笑った時に出来る涙袋も、くるくるとした癖っ毛も、全てを包み込んでくれる逞しい腕も、低い心地よい声も、まだこんなにも鮮明に覚えている。
もう枯れたと思っていた涙がほどけ、ぽつりぽつりとスカートに染みを作っていく。
「君の記憶の中にいる僕で十分だったから。これ以上ないよ」
ひらり、ひらり、桜が舞う。
「ずっと隣にいてほしかった」
「うん」
「生きててほしかったよ」
「うん、ごめんね」
溢れる涙を優しく拭ってくれる彼は、「もう大丈夫だよ」と抱きしめてくれる彼は、もういない。
ひらり、ひらり。
「僕のこと、その記憶のまま、どうか忘れないで。
また来年想い出して会いに来てほしい」
美しく咲いたまま、彼は散っていった。
ひらり、と一枚、私の膝に落ちた。
