SpaceXが変えたのはロケットではなく、契約書だった——日本は「宇宙経済圏」を設計できるか
※本記事は、書籍『Space to Grow』(2025年2月 [1])の著者であるハーバード・ビジネススクールの経済学者マシュー・ワインツィール教授の研究をもとに構成しています。
革命は、発射台の外側で起きていた
2020年5月30日、フロリダ半島の空が白く割れました。SpaceX の「Crew Dragon」が轟音とともに大気圏を突き破っていきます。
スペースシャトルが2011年に退役してから、NASA の飛行士たちはロシアのソユーズに乗って宇宙へ向かうしかありませんでした。その空白が埋まった瞬間です。
多くの人が見たのは、再び人を宇宙へ運ぶロケットの姿でした。しかし、その背後で本当に起きていた変化は、ロケットそのものではありませんでした。
変わったのは、契約書でした。正確には、政府と民間企業の関係を定める制度設計そのものでした。
ハーバード・ビジネススクールの経済学者マシュー・ワインツィール教授が注目したのは、ロケットの性能でも、イーロン・マスクの才能でもありません。SpaceXの成功は、天才起業家の物語ではなく、制度設計の物語だと言うのです。
これを理解するために、少し時間を遡りましょう。
「宇宙産業」という言葉が隠しているもの
「宇宙産業」「宇宙セクター」「宇宙技術」。これらの言葉を使うと、私たちは宇宙を「ロケットや衛星を作る業界」として考えがちです。しかし、ワインツィール教授の主張はもっとラジカルです。
「宇宙を、ラテンアメリカやヨーロッパ、東南アジアのように、人間が経済活動を行う"場所"として捉えてほしい」[2]
では、宇宙を「場所」として見ると、何が変わるのでしょうか。
農業保険の担当者が、衛星の観測した土壌水分データをもとに、干ばつリスクを作付け前に価格設定し直す。製薬会社の研究者が、地上では生成できないタンパク質結晶を、微重力の軌道上工場で生成する。こうした光景は、すでに構想の域を出始めています。
宇宙経済圏に携わるのは、ロケット技術者だけではありません。金融機関も、弁護士も、保険会社も、製薬企業も、宇宙という「場所」に接続する可能性を持っています。そのとき問いは変わります。「どんな技術が必要か」ではなく、「どんな市場を設計するか」「どんな制度が必要か」へと。
ワインツィール教授が専門とするのは「最適課税理論」や「市場における政府の役割」です。宇宙は人類がゼロから経済や社会のルールを設計できる、数少ないフロンティアの一つです。「宇宙とは場所だ」——この視点が、この記事全体を貫く軸になります。
SpaceXを生んだのは、契約書だった
2003年2月1日、スペースシャトル「コロンビア」が大気圏再突入時に空中分解し、7名の飛行士が亡くなりました。この犠牲を受け、NASAは安全文化と組織のあり方を改めて問い直すことになります。
ワインツィール教授はこの事故を「中央集権型モデルの限界が露呈した瞬間」と位置づけます [3]。それまでの宇宙開発は、NASAが全てを管理・監督する構造でした。当時は、NASAが技術仕様を細かく決め、開発にかかった費用を政府が実費精算し、一定の利益を上乗せして支払う「コストプラス契約」が主流でした。つまり、コストが増えるほど企業の利益も増える仕組みでした。
事故から2年後の2005年、NASAは「商業軌道輸送サービス(COTS)」という新しいプログラムを立ち上げました。投じた資金は約5億ドル。しかし変えたのは、お金の量ではなく、お金の渡し方でした。

変更された「契約書」とは、書類そのもののことではありません。契約の設計方法、調達方式、リスクの配分、知的財産の扱い、そして政府の役割そのものの変化。これら全体を指しています。
COTSが画期的だったのは、NASAが巨額の資金を投じたからではありません。むしろ重要だったのは、政府が「何を買うか」を決める一方で、「どう実現するか」を民間に委ねたことでした。
政府は市場の最初の顧客になる。民間は、その需要を足がかりに、より広い市場に向けたサービスを設計する。
この役割分担の変更こそが、SpaceXを単なる受託企業ではなく、宇宙ビジネスを切り拓く企業へと押し出しました。企業はもはや「NASAのためだけに作る」必要がなくなり、NASAも買ってくれる、より広い市場向けのサービスを構想できるようになったのです。民間の起業家精神と資本が宇宙に流れ込む扉は、ここで開きました。
NASAの役割は、細部を管理する「監督者」から、進捗やリスクを把握しながら成功を支える「伴走者」へと変わりました。この変化は、COTSによってNASAが「oversight(管理監督)からinsight(洞察・把握)へ」と転換したと表現できます。
またワインツィール教授は、ここで起きた変化を「民営化(privatization)」ではなく「分散化(decentralization)」と表現します [3]。
NASAは引き続き重要な顧客として市場を支えながら、技術の実現方法や事業化の自由度を民間企業に委ねました。政府が市場をつくり、民間がその中で創意工夫を発揮する。その役割分担の再設計こそが、COTSの本質でした。
成果は数字に現れています。スペースシャトルで国際宇宙ステーションに物資を運ぶコストは1kgあたり約27万2千ドルでした。SpaceXの「Cargo Dragon」はそれを約8万9千ドル——約3分の1——に圧縮しました [4]。
SpaceXが大幅なコスト削減を実現できたのは、マスクが天才だったからだけではありません。コストを下げれば利益が増えるという、正しいインセンティブが設定されていたからです。もしSpaceXがコストプラス契約で動いていたなら、コストを下げる理由はありませんでした。
「COTSが変えたのはお金の量ではなく、インセンティブ設計の構造だった」のです。[4]
ただし、ワインツィール教授は冷静に警告もしています。現在、世界で打ち上げられる宇宙機の約85%がSpaceXのロケットに乗っています。一社が市場の大半を握る構造は、COTSが目指した「競争と多様性が働く市場」とは言い難い面があります。「SpaceXを規制するより、後ろから追いかけてくる者たちのスピードを上げることが正しいアプローチだ」——それが彼の答えです。制度設計の問いに、終わりはありません。
宇宙経済圏は、市場だけでは完成しない
宇宙に市場を解き放つだけで問題は全て解決するのでしょうか。ワインツィール教授の答えは「No」です。
低コスト打上げ、商業宇宙ステーション、軌道上製造、デブリ除去。どれも重要な技術ですが、一つひとつが別々に存在しているだけでは、大きな市場は生まれません。個々の技術がつながり、一つの仕組みとして動き出したときに、初めて自律した宇宙経済圏が立ち上がります。[4, 5]
そこに、鶏と卵の問題が立ちはだかります。商業宇宙ステーションは需要がなければ成立しません。しかし、その需要は、施設がなければ生まれにくい。スマートフォンがiPhone単体ではなく、App Storeというエコシステムによって普及したように、宇宙経済圏にも需要と供給を同時に立ち上げる仕組みが必要です。だからこそ、政府が「最初の顧客」となり、初期需要を支える役割が重要になるのです。
もう一つ、市場の力だけでは解けない難問があります。いまこの瞬間も、地球軌道には10cm超の破片が5万個、1cm未満の微細粒子は1億個以上が漂っています [6]。国際宇宙ステーションは年間数回、デブリを回避するために軌道変更を余儀なくされています。誰もが宇宙を使いたいが、使えば使うほどデブリが増え、やがて誰も使えなくなる——典型的な「コモンズ(共有地)の悲劇」です。

Credit:NASA
地球上では課税や財産権で対処できますが、宇宙には課税当局も財産権の定義もありません。
市場をつくり、市場の失敗を補正し、効率性を超えた公共性を守る——この3段階の問いは、宇宙経済圏が成熟するにつれ、より深く問われます。そしていずれも行き着く先は同じです。「宇宙という場所の制度をどう設計するか」です。
日本への問い——「技術力」から「設計力」へ
H3ロケット、月探査機SLIM、商業デブリ除去に挑むAstroscale。日本の宇宙技術は着実に世界水準に達しつつあります。衛星バス・地上局・センサーの製造品質、「はやぶさ2」が示した軌道制御の精度、準天頂衛星(みちびき)が築いた独自の測位インフラ。技術的な地力は疑いなく存在します。
では、日本の課題はどこにあるのでしょうか。
浮かび上がるのは「技術力の不足」ではなく、「市場を形成する仕組みの不足」です。
日本の宇宙スタートアップにとって、政府調達や公的支援が重要な収益源・成長資金になっていることは確かです。だからこそ問われるのは、それが民間需要の創出につながるのか、それとも政府需要への依存を固定化するのか、です。
これはワインツィール教授が「政府が民間の参入余地を埋めてしまう」として警告した問題と重なります [4]。固定価格契約や知財の民間保持という仕組みも、日本の調達制度にはまだ十分に浸透していません。
ここで、Astroscaleのことを考えてみてください。多くの人が「採算が見えにくい」と考えていたデブリ除去市場に、民間企業として早くから踏み込んだ会社です。そこにあったのは技術だけではなく、市場をつくる意志でした。
打上げから軌道上サービス、月面探査、通信、データ利用まで、宇宙経済圏を支える個々のプレーヤーは日本にも揃いつつあります。しかし、プレーヤーが揃うだけでは市場は生まれません。誰が最初の需要をつくり、どの技術を組み合わせ、誰が継続的に購入するのか。そうした全体の設計がなければ、技術と企業は「点」のままにとどまります。
宇宙戦略基金(10年間・1兆円規模)を、市場形成につなげられるか?
現状の制度設計のままでは、COTSと同じ効果を期待するのは難しいかもしれません。
COTSが変えたのは、「誰がリスクを負い、誰が利益を得るか」という構造でした。もし宇宙戦略基金が技術開発への補助・委託を主軸とするだけであれば、コストを下げるほど企業の利益が増えるインセンティブは生まれにくい。政府向けに作ること、政府向けの研究開発が目的化し、より広い市場へサービスを展開する動機が弱いままになるおそれがあります。宇宙戦略基金が市場形成につながるとすれば、必要なのはこの構造への問い直しです。
もう一つ、規模そのものが抱える逆説があります。宇宙戦略基金は、COTSの最終的な支援総額約8億ドルを大きく上回る、10年間で1兆円規模の基金です。しかし、資金規模の大きさだけで市場は生まれません。COTSが機能した背景には、複数の企業に挑戦の機会を与えながら、マイルストーンごとに進捗を見極め、成果に応じて次の資金や事業機会を配分する仕組みがありました。宇宙戦略基金にもステージゲート評価は導入されていますが、問われるのは、ステージゲートを通じて、有望な案件に資金と市場機会をつなげられるかです。そこに、1兆円を市場形成の力へ変えられるかどうかの分かれ目があります。では、具体的にどう変わればいいのでしょうか。SpaceX型の垂直統合は、おそらく日本の強みではありません。むしろ日本の産業文化に合った形は、複数のプレーヤーが補完し合うエコシステムを設計することではないでしょうか。もし日本政府が固定価格でデブリ除去サービスを買う日が来たとしたら——知財は企業が持ち、より広い市場へ展開できる余地が生まれたとしたら——その先に、何が生まれるでしょうか。
企業の側にも問いがあります。個々の技術やシステムを売るだけでなく、エコシステム全体のつながりを意識した価値提案ができるか。
そして、技術と市場、制度と公共性をつなぐ「問い」を立て続ける知的プラットフォームの役割も欠かせません。どの需要を公共的に支え、どこから民間市場に委ね、どのリスクを社会全体で管理するのか。そうした設計思想を持つ主体が日本にどれだけ育つか、それもまた、制度設計の問いの一つです。
日本は「技術力」を持っている。問われているのは「設計力」です。
宇宙を考えることは、地球を設計すること
宇宙という「場所」を真剣に考えると、私たちは思わぬ角度から地球上の問いに戻ってきます。市場とは何か、制度とは何か、公共性とは何か。宇宙という新しいフロンティアは、こうした古くて本質的な問いを、別の光で照らし返してくれます。
最後に、一つのデータを紹介したいと思います。
2019年、人類初の月面着陸から50年を記念して、LEGOが調査を行いました。アメリカ、イギリス、中国の8〜12歳の子どもたちに、「大人になったら何になりたいか」を5つの職業から選んでもらったところ、中国では50%を超える子どもが「宇宙飛行士」と回答しました。一方、アメリカとイギリスでは、1位はYouTuberで、宇宙飛行士は最下位でした [7]。
その後、宇宙ビジネスはさらに加速し、SpaceXは民間人を宇宙へ運び、各国が月面探査に注力しています。そんな中、日本の子どもたちの「なりたい職業」を見ると、宇宙飛行士や宇宙エンジニアは2024年時点で14位にとどまっています [8]。
もちろん、職業ランキングだけで、社会の未来志向を測ることはできません。それでも、子どもたちが宇宙に何を夢見るかは、その社会が宇宙に向けてきた問いの深さを映しています。宇宙を真剣な設計の対象として捉える社会は、経済圏を構想し制度を描く担い手を育てます。
日本の子どもたちは、宇宙にどのような未来を描いているでしょうか。
そして私たちは、未来世代に、どんなバトンを渡せるでしょうか。

文:IISE経済安全保障・デジタル社会研究部 佐野智
JAXAに長年勤務し社会課題解決に向けた新規宇宙事業創出に尽力。内閣府(衛星を利用した社会実装プログラムを推進)を経て現職。博士(理学)。
参考文献
[1] Matthew Weinzierl and Brendan Rosseau, Space to Grow: Unlocking the Final Economic Frontier, Harvard Business Review Press, 2025-02
[2] Network Capital, Understanding the Space Economy with Harvard Business School Professor Matthew Weinzierl, YouTube, 2026-05
[3] Nancy Walecki, A Course for the Commercial Space Age, HARVARD MAGAZINE, 2022-03
[4] Matthew Weinzierl, Space, the Final Economic Frontier, Journal of Economic Perspectives, Vol.32 No.2, 2018, 173-192
[5] Space Business Podcast, Space to Grow | Matthew Weinzierl & Brendan Rosseau - #139, Youtube, 2025-02
[6] ESA Space Debris Office, Space debris by the numbers, European Space Agency, 2026年7月10日閲覧
[7] Paige Leskin, American kids want to be famous on YouTube, and kids in China want to go to space: survey, Business Insider, 2019-07
[8] ベネッセ教育総合研究所, 子どもたちのなりたい職業-2万人の調査モニターの10年間の軌跡- , 2025年5月30日

