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「and」の感覚を持つ

彼女は頭の回転が速くセンスもいいし、だから会社のウェブサイト作成の際、レイアウトやデザインを任せたのだという。最終的な決定権は上長である彼本人にあったが、さまざまな面で彼女には厚く信頼を置いていたため、すべてを任せてしまってもいいくらいに考えていた。最終チェックをする程度で済むだろう、というように。
でも、彼女はサイトの骨子を作成したらすぐ、上長に戻した。指示された内容を打ち込み、デザインには触れず、サンプルの簡素な画面のままで。「だって、わたしには決定権がないので。あれこれレイアウトやデザインを考える時間は無駄です。上長が決めてください」彼は拍子抜けした。ああ、この子の頭の回転の良さはこのような答えを導き出すのか。功罪ってやつだ。いや、彼女と、デザインについて喧々諤々の議論をしたかったわけではないけれども。決定権が自分にあるのは事実だけれども。「こうじゃなきゃいやです!」とか「せっかく何時間もかけて考えたのに…」などとごねられるよりはありがたいのかもしれない。
けれど、これは頭の回転の良さゆえの功罪だ。


知人からこのような話を聞き、わたしはある女性との会話を思い出した。
彼女は医療系の専門職に就いている。あるとき、彼女は自分に「世界平和など、規模の大きな祈りをしている人の気持ちがどうしてもわからない、ピンと来ない」という感覚があることに気づいたという。自分のこと、家族のこと、職場や友人など周囲の人たちのことなど、現実的に手の届く範囲のこと(人)については具体的な祈りを思い浮かべ、捧げることができる。しかし、日本国民の幸せ、知りもしない国の人たちの平和、イスラエルやガザの人たちに思いを馳せること、は、わたしにはできないと。「ちっぽけなわたしにはどうしようもない」という気持ちがどうしても勝ってしまって、祈ることすら放棄してしまう。世界平和を願う気持ちがないわけではないが、そんなのわたしが願ったところで事態の変化に影響を及ぼすことなんてないのだから、と、もうひとりのわたしが声高に遮るのだと。

たとえば選挙が行われるときなど、このような気持ちを持つ人は少なくないのではないかと思う。わたしの一票は何万票の中のたったの一票、大量の組織票を覆すことなんてできない小さな小さな力に過ぎない。どれだけ政治に希望を重ねても、どうせ実現することのない希望に終わることが目に見えている。予想されるだけでなく、何度もその結果を見せつけられてきたのだから、と。
けれども選挙に参加し続けるのは、それが国民のイベントのようなものだから。もちろん、小さな個人の一票は、ゼロではなくイチの力である。また、選挙の意味は投票の結果だけでなく、「選挙に行く」「票を投じる」という政治への参画意識としても機能している面がある。宝くじを当てたいなら、まずくじを購入しなければ始まらない、ということに少しだけ似ている気がする。

祈り方がわからない件の彼女は、以前の職場で多くの失望を経験してきたという。訴えては却下され、巨大組織のトップの声だけが、さも「みなさんの声」のように届けられ、権力は固く、そこに人の命が関わることがあったのだと。ある程度の社会経験を積んだ彼女であっても、そこに蔓延している人間の汚い欲望には「ああ、社会なんてどうせこんなものなのだ」とあらためて失望するほかなかった。わたし個人の力ではどうしようもなく、それは諦めかもしれないけれど、経験によって導き出されたひとつの答えには違いなかったのだ、とひとり俯くように。

しかし見方を変えれば、何度も何度も失望させられてきたというのは、彼女の中に信じている希望のようなものが消えなかったからかもしれない。他人に明かりを消されるという経験が失望だとすると、彼女にはずっと、それでも、大切な明かりが存在していたということだ。

「それで、気づいたんだよね。祈りなんて無駄だと諦める自分もいるけれど、その自分を否定しないで、そこに置いたまま祈ってみてもいいのかもしれないってね」彼女は言った。
全身全霊で祈ることができなくても、たとえ手を合わせるわたしの脳裏に「どうせ無駄だ」と言葉が浮かんでも、それでもいいのだと。祈ることのできない自分もいるし、こころから祈りを捧げることのできる自分もいる。どちらかの味方になるのではなく、両方いる「and」の感覚でい続けること。
「そうしたら、よくわからないけど視界が開けた気がして、出来たんだよ」彼女は続けた。

秩序に重きの置かれる社会においては一貫性が重視される。でも、人間というのはときに、いやしばしば一貫性のない生き物かもしれなくて、それを忘れると誤解やトラブル、生きづらさを生んでしまうかもしれない。「矛盾をはらんでいるものだ、あなたもわたしも」という前提で生きていれば、もう少し楽になることもあるかもしれないと思う。叶わないとわかっていながら祈ることも、無駄ではないよ、と声をかけるもうひとりのわたしが現れるかもしれないと思う。

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