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その人の靴を履くこと

めずらしくわたしから誘ったのでフイはしたくないと思い、低空飛行ながらも身支度を済ませ部屋を出た。人生においておおよそ低空飛行の期間が長く、そのほうがわたしは自分に安心するのだけれど、対他人となるとそれは思わぬ失礼と捉えられてしまうこともある。
彼女には前日の夜に先手を打っておいた。「感情鈍いかもしれませんが、機嫌が悪いわけではないので」と。保険をかけることで自分を甘やかしている気もするが、「なんだ、思ったより元気そうだね」という詐欺のほうがずっと相手を思い遣っているのだと言い聞かせる。

早めに出たつもりだったけれど、待ち合わせ場所には彼女が先に着いていた。秋らしい服装の彼女の後ろ姿。お昼ご飯を、と約束した彼女は午前中に愉しい予定を入れていたらしい。おそらく高揚しているであろう彼女の気分を、どうかわたしの低空飛行によって害することがありませんようにと祈るような気持ちで近づく。

わ〜〜〜、楽しみにしてたよ~~。わたしの顔を見て、彼女は少女のような表情で声を上げる。そのいつもの彼女の調子に反射するようにわたしは安堵し、どうしてこんなに喜んでくれるのだろうと思うと意図せずぶわっと涙が出る気がして、わたしは感情を御しながら目尻を下げた。寒さのせいか頬が赤らんでいる。彼女はわたしよりだいぶ年上だが、その素朴な赤らみがわたしの中の少女性ポイントをますます上げているのだった。

彼女の後をついて歩き、店に入った。平日の昼時、場所柄か仕事の昼休みに利用しているお客さんが目立つ。テーブル席も空いていたが、わたしたちは横並びになるカウンターを選んだ。
ランチメニューを開き、これおいしいよ、という彼女のすすめに従って、聞き慣れない魚介を使ったポテトサラダを付ける。低空飛行しているときには流れのままに進むのも手。オールを漕ぐ先を誰かに示してもらうのも手。

オーダーを済ませると、彼女は午前中に訪れた場所の土産を渡してくれ、そこで観たものや感じたあれこれを話してくれた。楽しそう。小さな土産を掌のなかで温めるようにしながら彼女の話を聞く。楽しそう。それは僻みでも妬みでもないと思いながら、どこか距離を取りながら聞いている時点で「楽しそう」以外の別の感情が湧いてくることからの防衛であるのかもしれなかった。楽しそう。でもその気持ちも本当だった。どれも本物。どれもこれも混在しているのがわたし。きっと。

彼女はひとしきり午前中の報告のような話をしてくれたあと、話は変わるけどと家族の話題になった。どのような話の流れだったか忘れてしまったが、その話題に移ったときにすぐ、「ああ、本当はこの話がしたかったのだろうな」と感じた。相手はわたしでなくてもよかったのかもしれない。ただ、ある程度こころを開けて話せる相手であれば、わたしでなくても。「ごめんね、あんまり元気じゃないときに」彼女は時折わたしを気遣う言葉を掛けてくれた。「大丈夫ですよ、さっきの話でたくさんエネルギーをもらいましたし」「本当?」「本当です」注文していたものが配膳され、わたしたちは銘銘に写真を撮ってから食べ始めた。

彼女の家族の話というのは、高齢の義両親に対するよくある不満なのかもしれなかった。そもそも結婚当初からあまりよい印象を抱いておらず、子ども(義両親にとっての孫)が生まれてからそれは顕著になったという。彼女は自分に対して嘘をつきたくない性格なので、義両親に対する感情を夫にも子どもにも正直に話しているらしい。家族はそれを理解してくれ、おおむね彼女の味方であり、とくに子どもたちとはその感情を分かち合っているようだった。
「日頃はわたしの味方なんだけどね、夫もね」
スプーンを握る右手を止めないで彼女が言う。
「でも、夫はやっぱりあの人たちの子どもなんだよね、って思った」
ある出来事を巡って義両親は頑なな態度を取り続けているらしい。傍から見ると答えはひとつというか、誰が見てもこうすべきだよね、という状況下にあるのに、当人たちはどこ吹く風でまわりが迷惑を被っている。立場的に、息子である夫が強く言うなり、強行手段を取るなりすれば収まりそうなものなのに、彼はできる限りの見て見ぬふりをし続け、先延ばしをしているのだという。

「ずっとそうなのよ、たぶん、これまでもずっと。面倒なことは避けたいの。いまは避けられてもいずれは通らなきゃならないのにね」
話を聞き続けているうちに、わたしは自然と夫さんの言い分を想像していた。ときどき、そういうことをしてしまう。わたしは。目の前にいる彼女がしている話は彼女のフィルターを通した彼女固有の真実であって、そのときにあった出来事の、純度100%のそのものではないのだと。彼女の話が信じられないとか、相手の立場を考えてみないととか、そういう感覚とも少し違う。もっと遠くから眺めるような、全体の風景も含めて観察するような。彼女との個人的な会話の中で中立性なんて求められて(求めて)いないのに、どうしてだがいったん彼女の履いている靴を脱ぎたくなってしまう。そして、彼女を裏切っているような気持ちが湧いてくる。

「夫さんの気持ちもわからなくはないですけれど」
つい口から出てしまった言葉はわたしの本当に言いたいことからはずいぶん離れているように感じた。幸い、彼女はこれしきのわたしのつぶやきに動揺するような人ではなく、ただ、わたしが公平な視点で話を聞いてくれているだけだと感じているようだった。変に目の前の相手に対して肩入れするでもなく、かといって「いやいや、夫さんの気持ちも考えてみたほうが」などと意見するわけでもないと。
わたしは、自分から発した言葉を自分の耳で聞き、それが彼女の耳にも届いてからぐるりと脳内を走って、そしてブーメランのようにわたしのところへ返ってくる感覚を味わった。ああ結局わたしはわたしの中で物事を考えている。わたしはわたしのフィルターを通した言葉を発信して、彼女は彼女のフィルターを通してわたしの言葉を受け取る。彼女のフィルターを通って伝わった言葉から発せられた言葉を、わたしはわたしのフィルターを通して受け取る。コミュニケーションというのは、信頼というこまかい網目を潜り抜けた、何度も濾された言葉によって構成された意図だけを都合よく受け取ることなのかもしれない。ああ、わたしのこの解釈はなんてわかりにくく人為的なのだろう。

彼女はただ、「うんうん、そうですよね」と肯定してほしいだけだったのかもしれなかった。世間一般的に、女性の相談というものはアドバイスや回答を望んでいるのではなく、傾聴や同意を求めているものであるように。
でも、どうしてもあの日のわたしにはできなかったのだ。したくなかった、というほうが近いのかもしれない。
身を任せた先の思考がこうなのだ。それは案外わたしの本音を照らしているのかもしれないとも思う。歪める元気のないときに浮かんでくるものは、思考の原石みたいなものなのかもしれない。

昼食の後は近くの喫茶店に入った。わたしはなぜだが火照っていて、アイスクリームの乗ったコーヒーゼリーを頼んだ。彼女はおすすめのコーヒー二種類でたいそう迷っており、結局ふたつとも注文した。ぱっと見には何の違いもわからない、ふたつのカップが並ぶ。一緒にのみ比べて、こっちは酸味がありますねとわたしが言うと、ふーん、本当? と疑うように彼女は交互にすするのだった。




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