レゴブロックに柵を立てた者たちへ──MBTI®の欺瞞と終焉


【冒頭文】


レゴブロックで遊んでいたはずが、いつの間にか「この組み方以外は違法です」と言い出す。──それが、現代MBTI®の姿である。

もともとMBTIは、ユング心理学から着想を得た“創作系”の産物にすぎなかった。
母娘が個人の内面理解のために組み上げたレゴのような類型論──それはたしかに面白かったし、多くの人がその組み方に魅了された。

しかし今では、そのレゴを“正規の組み方”と称して囲い込み、「無断で似た形にするな」「それはMBTIではない」と訴えかけてくる。
まるで、誰のアイディアを基にしていたのか忘れてしまったかのように。

おかしな話だ。
MBTI®は、ユングの理論を大胆に“加工”し、“簡略化”したものだった。
いわば「盗人」的な引用から始まっている。
その後に商標を取得し、今度は他人の遊び方を「危険だ」と非難する。

──盗人猛々しいとは、まさにこのことだ。


第1章 盗人猛々しいとはこのことだ

レゴブロックで遊んでいたはずが、いつの間にか「この組み方以外は違法です」と言い出す──それが、現代MBTI®の姿である。

もともとMBTIは、スイスの精神科医カール・グスタフ・ユングが提唱した「心理的タイプ論」に着想を得た、いわば**“ファンメイドの分類ツール”にすぎない。ユングの壮大な哲学と心理学的構造を、アメリカの母娘(マイヤーズ&ブリッグス)が勝手にアレンジし、簡易な質問紙に再構成したもの**だ。

彼女らがやったことは一言で言えばこうだ──
「元型という思想のパーツを抜き取り、16タイプに分類し、就職支援に流用した」

この段階ですでに、“正統”などという言葉は使えない。
MBTIは最初から**「ユングの加工品」**だった。
その“加工品”がいつの間にか公式を名乗り、商標を取得し、他者の自由な思索や創造を「危険」だと糾弾している

──盗人猛々しいとは、まさにこのことだ。


第2章 MBTIが背いたユングの精神

ユングが築いたのは、固定的な分類理論ではない。
彼の思想の核心には、**「人間の深層心理に流れる元型的構造と、その生成変化の動態」**があった。

  • タイプは「なる」ものであって、「ある」ものではない。

  • 分類は「自己と他者の鏡像関係」を通じて、差異の自覚と統合の道具であった。

  • シャドウやアニマといった構造要素は、変容を内包したダイナミックな心理の位相だった。

──にもかかわらず、MBTIはそれを静的な性格類型表に落とし込んだ
さらにそれを「認定ユーザー以外使うな」「正式でないMBTIは危険だ」と言い出した。
あたかも、自らが**“ユングの意志を代表する組織”**であるかのように振る舞って。

だが、ユングの哲学とは、**「意味の生成と変化を引き受ける思考」**である。
分類を神聖視し、使用を制限し、形骸化を防衛する態度こそが、ユングの精神への最大の裏切りだ。


第3章 なぜ人は、型に縋るのか

MBTI®協会は言う。「タイプに自己をはめ込むことは危険だ」「16Personalitiesは誤解を生む」「軽い気持ちの診断が、差別や分断を生む」──それは、ある程度は正しい。

だがその批判の刃は、真っ先にMBTI®自身に向けられるべきではないのか。

  • 「あなたのタイプに合った職業は…」

  • 「チームビルディングにMBTIを」

  • 「大谷翔平も、エディ・ジョーンズも使っている」

こうした広告的利用、啓蒙的パッケージ化こそが、タイプを“定着化し、商業化し、政治利用する”最たる例ではなかったか?

つまり、MBTI協会はこう言っているに等しい──
「人が勝手にタイプを使うと危ない。だから、私たちだけが安全に型にはめます」

それは、分類という知のツールを**“免許制”にしようとする独占構造であり、
心理を再帰的に問い直すユング的営為の真逆に位置している。**


第4章 ポストユング心理学タイプ論の視座

私たちはもはや、「自分とは何か?」をMBTIの表で確認する段階にはいない。
むしろ「なぜ我々は“タイプ”を欲望するのか?」という構造的問い直しのフェーズに入っている。

ポストユング心理学タイプ論とは、

  • タイプを差延する元型的構造として捉え

  • 分類を構造的・関係的・文化的な変数として読み解き

  • 自我の変容を哲学的・社会心理的・言語的に再統合する理論である。

もはやタイプは、診断されるべき対象ではない。
それは「自己が構造的にどのように生成されうるか」という問いの一次的指標にすぎない。


終章 MBTIを卒業する者たちへ

MBTIという16の部屋を通過した者たちへ。
もう、そこにとどまる理由はない。

今のMBTIは、思索ではなく制度であり、哲学ではなく商標である。
君の分類への関心は、それ自体が問いであり、探究であり、変化の兆しだったはずだ。

私たちが目指すのは、「正確な診断」ではなく、
「生成し続ける自分にどのような意味を与えるか」という営みである。

ポストユング心理学タイプ論とは、
「分類とはなにか」「個とはなにか」「成長とはなにか」を再び、
ユングのように、しかしユングを超えて問うための思想である。


【署名】

ポストユング心理学タイプ論 代表執筆者
nco(差延構造論・再構築主義 考案者)

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