2/28【独立の現実と政争】1952 日米行政協定|1953 バカヤロー解散
前編|日米行政協定(1952 )
1952年(昭和27年)2月28日——
独立回復を目前に、日本はある現実と向き合っていた。
日米行政協定。
前年のサンフランシスコ平和条約締結を受け、
4月に主権を回復する日本。
しかし同時に、在日米軍の駐留条件を定める必要があった。
なぜか?
冷戦が始まり、
日本は「西側の最前線」に置かれたからだ。
独立は回復した。
だが、安全保障はアメリカ依存。
ここに、
“主権はあるが、完全ではない”という
戦後日本の出発条件があった。
後編|バカヤロー解散(1953)
1953年(昭和28年)2月28日——
今度は国内が揺れる。
バカヤロー解散。
首相・吉田茂の「バカヤロー」発言をきっかけに衆議院解散。
だが本質は失言ではない。
背景にあったのは、
・与党内の派閥抗争
・占領終了直後の政治体制の未成熟
・強いリーダーと不安定な議会の緊張関係
独立したばかりの日本は、
外交も、国内政治も、まだ揺れていた。
外では冷戦、
内では政争。
2月28日は、
“独立直後の不安定さ”が露わになった日。
独立はゴールではなかった。
それは、制約と混乱を抱えたスタートだった。
その延長線上に、私たちが立っている。
JAPANING——
日本は、続いている。
