管理職だけの飲み会に、参加しなかった理由
先日、社内で「管理職のお疲れ様会」が開かれた。
自分もその管理職のひとりとして声がかかったが、今回は参加を見送ることにした。
飲み会が嫌いなわけではないし、職場の人間関係を避けたいわけでもない。
ただ、どうしても気になることがあった。
この飲み会は、会社の「会合費」でまかなわれる。
そんなことが今の時代に許される会社が少ないのは、よくわかっている。
税法的にもグレーだし、そもそも世間的な視線も厳しくなっている。
ただ、今回はそこを問題にしたいわけではないので、その話は割愛する。
直近、会社としては業績が落ちており、経費見直しの話も進んでいた。
つまり、会社全体に対して「会合費の使用を控えるように」というお達しが出ていた。
現場社員には、「これまではある程度裁量を持たせていたが、
今後は仕事につながる会食のみOK。使用前には内容確認を行い、回数も控えるように」と伝えたばかりだった。
そんなタイミングで、**「管理職だけ」「経費を使って」**開かれる飲み会に、自分はどうしても素直な気持ちで参加できなかった。
もし自腹で集まるのなら、話は別だ。
だから部長には正直に伝えた。
「経費締め付けの方針が出ている中で、管理職だけの会食に経費を使って参加する気にはなれません。自腹(会費制)であれば参加します。」
結果として「不参加でOK」という返事だった。
というより、その後の案内では「都合が合わないため不参加」という、無難な文面にすり替えられていた。
念のために言っておくと、管理職の飲み会自体を否定しているわけではない。
管理職だけでも、少人数で事業の方向性やチームの課題について腹を割って話す場があるなら、
むしろ喜んで参加したいと思っている。
でも今回は、ただ「お疲れ様」という曖昧な名目で、
管理職同士が労い合う場に過ぎなかった。
現場の中堅や若手社員たちは、日々ギリギリのリソースで必死に頑張っている。その部員たちを労う会であれば、間違いなく自分は喜んで参加していただろう。でも、「管理職を労う」とは、果たしてどういうことなのだろうか?
もちろん、部長の「労いたい」という気持ちは理解できる。
部長から見れば、我々課長クラスの管理職も「部下」だ。
現場の疲弊を感じ取り、せめて少しでもねぎらいたいと思ったのだろう。
その善意は、きっと本物だったと思う。
でも、自分が違和感を覚えたのは、
「その善意が、いまこの場で、この方法で発揮されることが本当に最善だったのか?」という点だ。
労うこと自体は否定しない。
ただ、そのやり方が「組織全体の空気」とズレてしまえば、
逆に信頼や納得感を損ねてしまう可能性もある。
「お疲れ様です」と言われて救われる日もある。
でも、自分は――
部下や若手に胸を張れる行動を取りたいと思った。
正直に言えば、こういう話は社内でなかなか言いづらい。
というのも、自分以外の管理職たちは、特に疑問も持たずその会に参加していたからだ。
今後の出世や評価、空気感などを考えたら、
参加しておいた方が「無難」だったのかもしれない。
それでも、自分の信念がどうしてもそれを受け入れられなかった。
だからこそ、ここに書いておきたかった。
これは、ただの“飲み会に行かなかった話”ではなくて、
信頼や誠意の使い方についての、小さな記録だ。
#働き方 #職場の違和感
