生きてゐたランボウ ヹルレーヌの涙
目を閉じれば思い出す地獄の季節。とっくに別れたアイツの記憶が俺を、この薄汚い中年の俺を悶えさせる。ランボー、あの天才という天才をその体に凝縮した神と悪魔の私生児。パリロンドンブリュッセル。熱狂に取りつかれて共に放蕩を繰り返した日々よ。放蕩の結末は嫉妬と銃声で見事に終わった。俺を捨て去り、海の彼方へ向かったアイツ。パリを去る前にアイツは俺に好きにしろと言わんばかりの態度で俺に自分の詩を託した。全く酷い奴だ。俺をどこまで苦しめるつもりなんだ。いっそこいつを燃やそうと考えた。でも出来るわけがない。ああ、俺は奴の詩が書かれた原稿用紙を前にのたうち回る。どうしたらいいんだ。俺はこの原稿をどうすればいいんだ。
と詩人ヴェルレーヌはかつての親友であり恋人でもあったランボーの詩の原稿を前にして一人こう考えていたのであった。ランボーがこの原稿を渡してアフリカに旅立ったのは三年前、なんとヴェルレーヌは三年もこの詩の原稿を前に悶々と悩んでいたのである。アイツは今もアフリカにいるのだろうか。この三年間でアイツも少年から大人になった。もう昔の眩いばかりの才能と美貌をまき散らしていたあの神と悪魔の私生児の面影なんぞないのだろう。今更会いに来ても今のお前さんには用はないとたたき出してやろう。俺が愛したのは天才少年詩人のランボーであってただの二十歳過ぎの男じゃないんだ。しかしそうランボーと会うのを全力で拒否しようとしてもやっぱり会いたいという気持ちがもたげてくる。せめて一度だけでも会いたい。会って、現実の残酷さに打ちのめされようとも今の彼を見たい。ヴェルレーヌは感極まって思わず涙した。全くバカだな、おっさんになったらすっかり涙もろくなっちまった。アイツこんな俺見たら思いっきり笑うだろうな。
と、その時玄関のピンポンが鳴った。ヴェルレーヌはこのピンポンに胸がときめいてもしかしてランボーが帰って来たのかと胸に手を当てて早まる鼓動に顔を赤くしながら玄関のドアを開けたのだった。最初誰だか分らなかった。もしかして別の家と間違ってここに来たのかと思った。しかしよく見ると目の前のやたらガチムチの男にはあの神と悪魔の私生児の面影があるではないか。ヴェルレーヌはやはり変わってしまったと落胆した。もういい出ていってくれと言いたかった。だが彼のかつてのランボーを思う気持ちがそれを引き留めた。ここにいあるのはただの二十歳過ぎの男でしかないが、でもこの男はかつて俺の心を震わせたあの眩いばかりの詩を書いた人間なのだ。ヴェルレーヌは久しぶりと彼に声をかけた。
「もしかしていつか俺に預けた詩でも取りに来たのかい?そうだって言うんならすぐに返してやるよ。あの詩はお前のもんだ。出版したいって言うなら力になってもいいぜ。ランボー、俺は!」
語り始めたら涙が止まらなくなってしまった。この完全に別人となった男を見てどうしてこうも泣けるのだろうか。ランボー、ランボー、ああ、ランボー!ヴェルレーヌの言葉にランボーははにかんだ笑顔で応えた。そして後ろを向いて脇から出てきた女をヴェルレーヌに見せてこう言ったのだ。
「ヴェルレーヌさん、今までやんちゃし過ぎて申し訳ありませんでした!僕、アフリカに行ってすっかり真人間になりました。この子はアフリカにいた時に出会った外交官の娘さんです。僕この人と結婚します!」
結婚宣言して深々と頭を下げる不条理なほど更生し過ぎたランボーを見てヴェルレーヌは涙と怒りでわなわな震えた。彼はブリュッセルの事件の時からずっとポケットにしまっていたピストルを抜き出してランボーに突きつけてこう言った。
「ああ!あの時お前を殺してればよかった!こんな凡庸なクズになり果てるとは!殺してやる!殺してやる!お前の詩が永遠に残るためにはお前が死ななきゃいけないんだ!」
