固有名の時代——ポスト・ポストモダンの風景
「何となくクリスタル」(1980年)と
「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」(2022年)。
この二つは、どちらも固有名でできている物語だ。
ブランド、場所、商品名。
それらを並べることで、人物や空気を描いていく。
ただし、この42年で変わったのは、固有名の“使われ方”だ。
かつては、消費が物語だった。
どのブランドを身につけ、どこで遊ぶか。
それ自体が人生の輪郭を作っていた。
いまは違う。
固有名は、すでに序列として存在している。
タワーマンションはステータスになり、
そこに住めるかどうかで、ほぼ階層が決まる。
さらに言えば、
もともと東京に土地や資産を持つ家系には、
地方出身者は原理的に勝てない。
出会いもまた、構造化された。
男女はアプリで知り合う。
東カレデートのような場所では、
最初から条件が可視化されている。
そこで起きているのは、
極めてシンプルな交換だ。
お金と顔。
言い換えれば、
資本と若さのトレード。
職業のヒエラルキーも、ほとんど固定されている。
財閥系の総合商社が頂点にあり、
その名前は直接書かれなくても、誰もが理解する。
では、その外側に出るにはどうするか。
一発逆転のルートは、起業しかない。
そして、その“成功例”として描かれるのが、
次のような人物だ。
会社を複数売却した、高卒のエンジェル投資家。
40代で時間を持て余し、麻布のタワマンに住む。
ワインセラーには、
ケンゾーエステート、オーパスワン、ドンペリ。
誰が見ても分かるボトルだけが並んでいる。
足元はスタッズ付きのスニーカー。
Tシャツ一枚で、予約困難な寿司屋へ行く。
隣には、インスタのDMで知り合った30歳の女性。
そして、家賃25万円の部屋を与える。
ここには、かつてのような“物語”はない。
あるのは、
誰もが理解できる記号の配置だけだ。
ブランド、場所、年収、年齢。
それらを並べれば、説明は不要になる。
ポストモダンが
「意味の解体」だったとすれば、
いまはそのさらに先、
「意味を考える必要すらない状態」
に近いのかもしれない。
すべては可視化され、
比較され、
最適化される。
その中で人は、
物語を生きるのではなく、
構造の中に配置されていく。
これをポスト・ポストモダンと呼ぶのかどうかは分からない。
ただ一つ言えるのは、
固有名はもはや“演出”ではなく“座標”になった
ということだ。
