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ある日の「気づき」を言葉に乗せて・・・――変わる名前、残る響き



☙言葉は、いつも静かに変わっていく


私たちが何気なく使っている言葉の中には、知らず知らずのうちに“読み方”が変わっているものがある。

それは新しい言い方が生まれたというよりも、かつて当たり前だった呼び方が、いつの間にか静かに姿を消していった結果なのかもしれない。


昔の教科書に載っていた“読み”が、今では違っていたり、

子どもと話していて「え、それってそう読むの?」と戸惑ったり──

小さな違和感が、ふとした切っ掛けで心に引っかかることがある。


今日はそんな、ある「読み方」の話。

気づけば拍子抜けする程ささやかな、でも、ちょっと切ない“気づき”を、物語風に綴ってみたいと思う。




☙ある夏の日、河原にて


――あの日は、夏が本番を迎えた時期だったか…。
俺は仕事が休みで家に居ると、息子が夏休みの自由研究のテーマに困って相談してきたのだった。
妻は仕事で留守にしていたから、二人で会議でもするかのように、ネットを駆使しながら互いに意見を出し合っていた。
程なくして、自分の子供時代が脳裏を掠め、よく河原で草を掻き分けながら秘密基地を作っていた記憶を思い出す。
そして川辺に生える植物を自由研究の題材に挙げると、息子も興味を示したので、詳細を詰めてから昼下がりに近くの河原へ行く運びとなった。

自宅のマンションから最寄り駅で乗車し、乗り継ぎを含めて約40分の距離に大きな河川敷がある。
河口付近には国際便も兼ねた空港もあるが、下流域に近い駅で下車する。
現地へ着くと、息子は首から提げたタブレットを使い、植物を写メしてはネットで調べ始める。
俺は息子に付き添いながら、携帯で地域の植生を扱うホームぺージへアクセスし情報収集をする。
途中、河川敷に架かる高架下で水分補給と休憩を挟み、親子で共同作業を進めていく。




調べていくうちに、興味深い内容が見つかった。
秋になると穂を実らせ、頭を垂れて風に靡(なび)く情景は季節を感じさせる。
そう、河原でよく見かける「ススキ」だ。
まだ夏の盛りだが、土手にたくさん生えた背の高い緑の草を、息子はタブレットで写真に収め調べていた。
一緒に写真を確認して、ネットで検索してみる。
最初は、河原で定番の「ススキ」だと軽い認識であったが、調べてみると似たような植物が他にもある事を発見したのだ。
それは、「荻(オギ)」と「葦」である。
俺的には、長い葉と背の高い姿、群生して秋には白い穂が実る植物と言えば「ススキ」のイメージしかなかった。
だが、その理解は間違っていたようだ…。


調査の結果をまとめる。

・薄(ススキ)

植生

日当たりの良い草原や山野を好み、乾燥した日当たりの良い草原、丘陵、山野などに広く生育。水辺にはあまり生えない。

外見

草丈:1~2メートル程度。

茎:細く、中実(髄―「ずい」と呼ばれるものが中にあり、白いスポンジ状あるいは繊維状の組織。栄養分を貯蔵したり、茎の強度を保つ役割を担うらしい)。

葉:細長く(幅0.5~1cm程度)、葉脈が中央に白い筋として目立ち、葉の縁はザラザラする。

穂:秋に赤褐色や銀白色の穂をつけ、芒(のぎ―小花の先端にある針状の突起)が目立つ。穂は直立するもの、やや垂れるものがある。


・荻(オギ)

植生

やや乾いた場所を好み、河川敷、土手、道端など、少し乾燥した場所に生えることが多い。水辺にも生育するが、水浸しの環境は好まない。

外見

草丈:1~2メートル程度。

茎:細く、中空(空洞)で、節がある。

葉:やや細く(幅0.5~1.5cm程度)、扁平で、付け根(葉鞘―「ようしょう」葉の根元から茎へ繋がり包み込む部分、茎を保護)に白い毛が密生しているのが特徴。葉の色は緑色から秋には黄褐色に変わる。

穂: 秋に銀白色のややまばらな穂をつけ、枝分かれすることが多い。穂はやや垂れ下がる傾向がある。


・葦

植生

水辺を好み、川岸、湖畔、沼地、湿地など、水が豊富で湿った場所に群生する。水深が浅い場所では水面から茎を出し、より深い場所では水中に根を張る。

外見

草丈:2~4メートルと非常に高くなる。

茎:太く、中空(空洞)で、節がある。

葉:幅が広く(幅1~3cm程度)、扁平で、付け根が茎を抱くように筒状になる。葉の色は緑色から秋には黄褐色に変わる。

穂:秋に大きく、密で、白っぽい茶色の羽毛状の穂をつける。穂は上向きに立ち上がることが多い。


・共通点

①日本全国に分布する。

②イネ科の多年生草本(たねんせいそうほん)であること。

→「多年生」

毎年、春になると新しい芽を出し花を咲かせ種を作る。冬になると地上部分は枯れるが、地下で生き続け、次の年も同じように成長する植物。

→「草本」

茎が木のように硬くならず、柔らかい植物。

③秋に穂をつけること。

④風になびく姿が美しいこと。

⑤かつては屋根材や家畜の飼料、燃料など、人々の生活に利用されてきたこと。



この事実を知ったとき、俺は驚愕に打ち震えた。
子供の頃から慣れ親しんできた「ススキ」が、実は「オギ」だったとか、冗談にも程がある…。
携帯を片手に放心していると、不思議に思った息子に心配されたが、そのときは笑顔を繕い誤魔化していたな。
知識不足を嘆きながらも、ひとまず自分の中で、水辺に茂る葦、河川敷に広がる荻、土手で風になびくススキ、と納得させた。
だがしかし、さらなる脅威で、戦慄に慄(おのの)く事となる……。


ある文節を引用する。

『人間は、ほんの一本の葦に過ぎない。自然の中で最もか弱い存在だ。しかし、それは思考する葦なのだ。人間を無にするために、宇宙全体が力を尽くす必要はない。一縷(いちる)の蒸気やほんの一滴の水でも、人間の存在を消し去るには十分なのだ。だが、たとえ宇宙が人間を押し潰したとしても、人間はそれを無にする力よりも尊い。なぜなら、人間は自らの終焉を知り、宇宙が自分より大きな存在であることを理解しているからだ。宇宙はそのことを何も知らない。』

17世紀フランスの哲学者ブレーズ・パスカル(1623年 - 1662年)は、その著作『パンセ』(思考)の中でそう述べている。ちなみに、『パンセ』は彼の遺稿集として1670年に刊行されたものである。

『人間は考える葦(あし)である』の方が有名だな。

この言葉は、人間の物理的な脆弱さと、それにも関わらず、内に持つ精神的な偉大さ(特に思考力)を対比させている。我々は宇宙の中の取るに足りないほど弱い存在かもしれないが、考えることによって、その弱さを自覚し、宇宙の理を知るという点で他の何よりも尊い存在なのだ、という深い洞察を示唆しているのである。

要するに、「人間は弱いけれど考える事ができる。その考える力こそが、人間の尊さの源なのだ」という意味だ。

まぁ、これは扨措(さてお)き、重要なのは「葦」の読み方だ。

これまで俺は、学校で教わった「パスカル」の文節や生活の中で耳にする言葉に、特段、気を留める事もなく「葦」=「アシ」と覚えていた。
ところが、ネットで検索を続けて行くにつれ、自分の認識と出てくる情報に齟齬を感じてくる。
つまり、「葦」=「ヨシ」の呼称だ。
最初は「葦」=「ヨシまたはアシ」だったが、検索を重ねると出てる情報が「ヨシ」で埋め尽くされていく。
内容も「ヨシ」が前提の記述へと変化し、「アシ」が過去の産物へと風化していくかのようだ。
目の前で起こる変異に狼狽しながらも、これは検索エンジンのランキングアルゴリズムの影響だ、と思うようにして心に平静を取り戻す。
つまり、ユーザーが入力した検索キーワードに対して、膨大なウェブページの中から最も関連性の高いページを選び出し、検索結果に反映するための仕組みだ。
大手の検索エンジンは様々な要因を考慮し、複数のアルゴリズムを組み合わせてランキングを決定しているらしい。

話を元に戻そう。
息子と木陰のベンチで水分補給と休憩しながら、さらに情報を集めて行った。




そうして、判明した結果をまとめる。


☆「ヨシ」と呼ばれるようになった経緯

・「アシ」から「ヨシ」への変化

古典的な日本語では「アシ」が標準的な呼称であったことは、多くの文献で確認できる(『万葉集』や『日本書紀』など) 。

「アシ」が「悪し」に通じるのを嫌い、「ヨシ(善し)」という縁起の良い言葉に言い換えたという説が、よく知られている。
言われてみると、妙に納得できる。

もっとも、そうした話がどれほど世間に浸透しているかとなると、やや心許ない。

一方で、この語源説自体も言語学的な裏付けには乏しく、後付けの民間語源にすぎないとする見解もある。


・標準和名としての「ヨシ」

植物学の分野では、標準和名として「ヨシ」が採用されている。

これは、植物の名称を統一するための便宜的な措置であり、必ずしも一般社会での呼称を代表するものではないようだ。

標準和名が「ヨシ」となった背景には、植物学者の影響や、関西地方での「ヨシ」の使用頻度などが関係していると考えられている 。


☆推測される時期と経緯

・明治時代以降の植物学の発展

日本の植物学が発展し、植物の標準和名を定める必要性が高まったのは明治時代以降とされる。

・牧野富太郎氏の影響

著名な植物学者である牧野富太郎氏が、「ヨシ」の名称を広めた影響は大きいと考えられる。

彼の著書である『植物学大辞典』(1940年頃)には、葦が「ヨシ」と記載されており、学術的な呼称として採用されている 。

・標準和名の整備

植物分類学の進展と、それに関わる学会・団体が標準和名リストを整備する過程において、「ヨシ」が採用されたと考えられる。

いつ、どのような議論を経て「ヨシ」を標準和名としたのか、具体的な記録は残されていないが、一般的に標準和名の整備は20世紀中頃から本格化し、1950年代から1960年代にかけて多くの名称が統一されていったと推測される。


☆「アシ」と「ヨシ」の呼称の地域差

・地域差の傾向

地名には「アシ」と読むものが多い傾向がある(例:「芦屋(あしや)」「芦ノ湖(あしのこ)」「芦原(あしはら)」など) 。

これは、「アシ」が古くから広く使われてきたことの名残と考えられる。

関西地方(特に京都、大阪、滋賀)では、「ヨシ」が比較的多く使われる傾向がある 。
滋賀県では、葦が伝統工芸の原料として重要な役割を果たしており、「ヨシ」が商品名としても定着している例がある 。

関東地方では、「アシ」が比較的多く使われる傾向がある 。

・都道府県別の割合

北海道:アイヌ語では葦を「サㇽキ 、スㇷ゚キ」と呼び、和語では「アシ」が主流(例:芦別市)。「ヨシ」は学術的文脈限定のようだ。

東北:宮城県(仙台)や福島県の湿地で「アシ」が一般的で文学的伝統(『奥の細道』など)でも「アシ」が使われる。

中部:愛知県(矢作川)や岐阜県では「アシ」が優勢。静岡県では「ヨシ」も見られるが少数。

中国・四国:広島県や岡山県の河川(太田川など)で「アシ」が一般的だが、香川県では「ヨシ」も一部使用。

九州:福岡県や熊本県の河川(筑後川)で「アシ」が主流。「ヨシ」は教育やメディアの影響で増加。

都道府県別の呼称割合を示す統計はないが、地名分析(「芦」が「アシ」読みで約80%)や方言調査(『日本方言大辞典』)から、「アシ」が全国的に優勢と推測される。

地域差はあるものの、「アシ」「ヨシ」どちらの呼称も、日本全国で使用されていると考えられる。


☆「ヨシ」が使われる環境

・教育現場

小学校では「葦」は教育漢字に含まれないため、基本的に教えられていない。

中学校では、常用漢字として「葦」が教えられる 。中学校の国語の授業などで、「アシ」「ヨシ」両方の読み方を教えていると考えられる 。

・葦を扱う専門業者

「葦簾(よしず)」と呼ばれる葦素材で作られた大きな日除けのように、製品名に「ヨシ」が使われることが多い。

葦を加工・販売する業者の中には、「ヨシ」を標準的な呼称として使用しているところもあると考えられる。

・マスメディア

大手の報道機関では、標準和名である「ヨシ」を使用する傾向があるようだ 。これは、学術的な正確性を重視するためと考えられる。

・植物学での通称

植物学の分野では、標準和名として「ヨシ」が用いられる。論文や専門書などでは、「ヨシ」が使用されるのが一般的のようだ。

・年代や地域的な俗称など

ある年代や地域によっては、「アシ」という呼び方が根強く残っている場合がある。特定の地域やコミュニティでのみ使われる俗称が存在する可能性もあるが、一般的な情報は見当たらない。


これらの情報を総合的に考えると、「葦」の読み方は、歴史的背景、地域性、使用する場面など、様々な要因が複雑に絡み合っていると言える。


……俺は、信じていたものが、音を立てて崩れていく喪失感に愕然とした。と同時に、時代の変遷に伴い「葦」は「アシ」から「ヨシ」へと変わりつつあるのだと実感する。


ふと、言葉が思い浮かぶ……。


葦き名を 言いそびれたる 川の瀬に

風はむかしの 声をさらいて


時代の移ろいを「アシ」という言葉に重ね、気づいたときの寂しさを描く。川のせせらぎに紛れて忘ゆく名が、風に攫(さら)われ失われていく——そんな叙情的で抽象的な表現。

心で謎の短歌を詠んでしまい、切ない余韻が流れる…

その後、息子と情報を共有して自由研究へ追記しながらも、心中の足取りは重く家路についたのであった。





☙ 名前が変わるとき、何が残るのか


言葉の読みは、時と共に静かに移ろい、かつての当たり前が少しずつ姿を変えていく。

「葦」が「アシ」から「ヨシ」へと読み変わりつつある今、その変化の波は他の言葉にも及んでいる。


たとえば「杉」。私たちは普段「スギ」と読んで疑うことのない漢字だが、神社の境内などでは「一本杉(いっぽんさん)」と呼ばれることがある。東京都や鳥取県の一部神社では、杉の大木を「サン」と呼び、御神木として崇めている例もある。古語や方言に残るこうした読みは、信仰や民俗の中で今もひっそりと生き続けている。


また、「稲」はどうだろうか。ふだんは「イネ」と呼ぶこの植物も、農業や学術の世界では「水稲(すいとう)」「稲作(とうさく)」と音読みされるのが一般的だ。

「水筒(すいとう)と間違えそうだな」などと思いながら調べてみると、実は国の農業統計や品種改良の分野ではすでに「トウ」が標準的な読みになっていて、「イネ」との区別が文脈によって明確にされているのだ。


読み方の違いには、意味の違いや用途の違いが背後にあり、ただの「呼び方」以上のものが宿っている。


そう考えると、「アシ」と「ヨシ」も、どちらが正しいかではなく、どう使い分けられてきたか、どんな場面で呼ばれてきたかという歴史の積み重ねそのものなのだと感じる。


言葉の読みとは、時代と地域、人々の暮らしが織りなす、もうひとつの風景なのかもしれない。


そして、「アシ」は「ヨシ」として受け継がれていく中で、またいつか別の呼ばれ方をされる日が来るのかもしれない。

そんな想像を巡らせながら、今日もまた誰かがその茂みのそばで立ち止まり、風に揺れる葦を見上げる――その静かな場面に、言葉の未来は確かに息づいている。


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