【短編小説】「明日を選ぶということ」
―政治は生活、生活は未来―
七月一日。
梅雨の雲間から差し込む朝日が、横浜の街をゆっくり照らし始めていた。
セント・ファルシオ女学院では終業前のホームルームが始まろうとしていたが、教室にはどこか疲れた空気が漂っていた。
「また値上げだって。」
誰かがスマートフォンを見ながらつぶやく。
「お菓子もジュースも高くなってる。」
「うちも食費が大変だって、お母さん言ってた。」
「アルバイト増やそうかな……。」
笑いながら話しているようで、その笑顔はどこかぎこちなかった。
窓際の席で新聞を読んでいた喜里島ハルは、静かにページを閉じる。
六月。
平和。
戦争。
教育。
農業。
差別。
災害。
民主主義。
毎日のように向き合ってきた出来事は、七月になっても終わらない。
むしろ、人々の暮らしへさらに深く入り込んできているようだった。
昼休み。
第1クインテットの五人は中庭のベンチで昼食を広げていた。
「今日はお弁当なんだ。」
ナツが嬉しそうに蓋を開ける。
しかし中を見ると、少しだけ表情が曇った。
「最近、おかず減ったなぁ。」
すぐに笑ってごまかす。
「物価が上がってるから仕方ないって、お母さん言ってた。」
メグが小さくうなずく。
「うちのおじいちゃんね。」
「年金だけじゃ不安だから、まだ働きたいって。」
「七十五歳なのに。」
ミオも言葉を続ける。
「うちの近所のパン屋さんも、小麦粉が高くなって閉店しちゃった。」
誰も責めているわけではない。
けれど、それぞれの生活の中で、小さな変化が確実に起きていた。
放課後。
放送室では朝霧ヒビキが校内ラジオの原稿を書いていた。
『今日のテーマは、「未来」。』
そこまで書いた手が止まる。
未来。
その言葉が急に遠く感じた。
最近、SNSでは「終活」という言葉をよく目にする。
まだ二十歳にもならない若者たちが、自分の最期について考えている。
「どうしてだろう……。」
ヒビキは窓の外を見つめた。
そこへソウルストーリーこと夢路シオリがやってくる。
「考え込んでるね。」
「シオリ先輩。」
「未来が怖い人が増えてるって聞いて。」
「どうしたらいいのかなって。」
シオリは少し微笑んだ。
「未来はね。」
「当てるものじゃない。」
「つくるもの。」
「物語と同じ。」
「誰かが書き始めなきゃ、一ページも進まない。」
その日の夕方。
二十五人の少女たちは屋上へ集まっていた。
六月をともに駆け抜けた仲間たち。
第1クインテット。
第2クインテット。
第3クインテット。
第4クインテット。
そして、静かに歩み始めた第5クインテット。
誰も変身していない。
制服姿のまま。
ただ、円になって座っている。
「みんな。」
ヒビキが口を開く。
「政治って、何だと思う?」
沈黙が流れる。
やがてソウルジャスティス・ユキが答えた。
「法律。」
ソウルインサイト・マコト。
「情報。」
ソウルエデュケーション・レイナ。
「教育。」
ソウルホライズン・ソラ。
「平和。」
ハルは少し考えてから言った。
「暮らし。」
その一言に、みんなが静かにうなずく。
「ニュースを見てると。」
ネコが空を見上げる。
「遠い世界の話みたいに聞こえる。」
「でも。」
「お米も。」
「家賃も。」
「病院も。」
「学校も。」
「全部つながってる。」
「だから。」
「政治は生活なんだ。」
風が吹いた。
港から潮の香りが届く。
その風に乗って、どこかの公園から子どもたちの笑い声が聞こえてきた。
ヒビキは耳を澄ませる。
「いい声。」
「楽しそう。」
「こういう声が続く未来ならいいな。」
ハルが立ち上がる。
「六月、私たちはたくさんの人と出会った。」
「農家さん。」
「看護師さん。」
「先生。」
「介護士さん。」
「被災地の人。」
「沖縄のおばあちゃん。」
「みんな。」
「明日を諦めてなかった。」
「だから。」
ナツが続ける。
「私たちも諦めない。」
「歌うこと。」
「話すこと。」
「学ぶこと。」
「助け合うこと。」
「全部。」
「未来につながってる。」
夕日が街を黄金色に染める。
ヒビキは静かに放送用のマイクを手に取った。
スイッチは入っていない。
それでも語りかけるように言う。
「誰か一人が世界を変えるんじゃない。」
「一人が話し。」
「もう一人が聞き。」
「また誰かが考え。」
「少しずつ広がっていく。」
「その積み重ねが、未来になる。」
ハルは仲間たちを見渡した。
二十五人の表情は、それぞれ違う。
笑っている子。
真剣な子。
少し不安そうな子。
けれど、その全員が前を向いていた。
「七月が始まる。」
ハルはゆっくりと言う。
「きっと、この先も簡単じゃない。」
「でも。」
「私たちは知っている。」
「希望は、特別な奇跡じゃない。」
「誰かと話すこと。」
「誰かを思いやること。」
「一緒に考えること。」
「その小さな積み重ねなんだって。」
二十五人は夕焼けに染まる横浜の街を静かに見つめた。
その街には、学校へ向かう子どもも、仕事帰りの人も、買い物袋を抱えた高齢者も、それぞれの一日を生きる人々がいた。
政治は遠い場所で動くものではない。
生活の中にあり、人と人とのつながりの中にある。
そのことを胸に刻みながら、少女たちは新しい季節への一歩を踏み出す。
七月の風は、六月に集めた無数の声を優しく乗せ、次の物語へと運んでいった。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願い致します。いただいたチップは、クリエイターの活動に使わせていただきます。