【短編小説】「見えない備え」
―本当に守るとは、想像することから始まる―
七月中旬。
梅雨の終わりが近づいた横浜では、朝から断続的に激しい雨が降っていた。
セント・ファルシオ女学院でも、防災週間の一環として「災害と避難生活」をテーマにした特別授業が行われていた。
参加していたのは、
桜庭ユメ、花守マヨ、朝霧ヒビキ、そして稲穂マコト。
四人は体育館の一角に設けられた防災展示を見学していた。
「非常食、水、モバイルバッテリー……」
マコトは展示を見ながらメモを取る。
「備蓄品は知っているものばかりだね。」
その時、担当していた防災士が一つの袋を手に取った。
「では、これは何でしょう。」
透明な袋。
中には凝固剤が入っている。
ユメがすぐ答えた。
「携帯トイレですよね?」
「その通りです。」
防災士はうなずいた。
「でも、今日はその先のお話をします。」
「もし夜中に停電したら。」
「トイレは真っ暗です。」
「懐中電灯を持ちながら使えますか?」
四人は顔を見合わせた。
ヒビキが小さく首を振る。
「……考えたことありませんでした。」
「だからランタンが必要なんです。」
「両手を自由に使える明かり。」
「それだけで安心感が全く違います。」
授業が終わると、ユメは少し考え込んでいた。
「避難って。」
「避難所まで行けば終わりだと思ってた。」
マヨも頷く。
「でも実際は。」
「そこから毎日生活するんだよね。」
「食べることも。」
「眠ることも。」
「トイレも。」
「全部。」
放課後。
四人は近くのホームセンターへ向かった。
「本当に売ってる。」
ヒビキがランタンを手に取る。
LEDランタン。
乾電池式。
充電式。
ソーラー充電。
さまざまな種類が並んでいた。
マコトは商品の説明を読み始める。
「連続点灯二百時間。」
「防滴仕様。」
「吊り下げ可能。」
「避難所向けにも使える……。」
「なるほど。」
「用途によって選び方が違うんだ。」
その隣には携帯トイレが山積みになっていた。
「一日五回として。」
マコトが電卓を取り出す。
「四人家族なら。」
「三日分で六十回。」
「一週間なら百四十回。」
ユメは驚いた。
「そんなに必要なの?」
店員が笑顔で話しかける。
「皆さん、最初はそう驚かれます。」
「だから早めの準備が大切なんですよ。」
帰り道。
四人は商店街を歩く。
「備えって。」
マヨがぽつりと言う。
「非常食を買えば終わりじゃないんだね。」
ヒビキが答える。
「生活を想像することなんだ。」
「暗くなったら。」
「寒かったら。」
「小さい子どもがいたら。」
「高齢の人だったら。」
「そうやって考えていくと。」
「必要なものが見えてくる。」
翌日。
四人は学校で「防災チェックリスト」を作り始めた。
「水。」
「食料。」
「救急用品。」
「携帯トイレ。」
「ランタン。」
「乾電池。」
「ラジオ。」
「モバイルバッテリー。」
「ウェットティッシュ。」
「トイレットペーパー。」
「常備薬。」
ユメが最後に書き加えた。
『家族と話し合うこと』
マコトが微笑む。
「それ、一番大事かも。」
その日の昼休み。
四人は各クラスを回り、防災チェックリストを配布した。
「よかったら家で話してみてください。」
「備蓄だけじゃなくて。」
「避難場所や連絡方法も。」
一年生が尋ねる。
「何から始めたらいいですか?」
マヨは優しく答えた。
「全部一度にやらなくても大丈夫。」
「今日一つ。」
「明日また一つ。」
「少しずつ準備していけばいいよ。」
夕方。
校舎の窓から雨上がりの空が見えていた。
雲の切れ間から差し込む光が、街をゆっくり照らしていく。
ヒビキが静かにつぶやく。
「災害は。」
「いつ来るか分からない。」
「だから怖い。」
ユメは空を見上げた。
「でも。」
「怖がるだけじゃなくて。」
「知ること。」
「備えること。」
「助け合うこと。」
「それなら今日からできる。」
ハルたち第1クインテットのメンバーも、後日このチェックリストを受け取った。
それは戦うための道具ではない。
誰かを守るための知恵だった。
「本当に大切な備えとは、必要な物を集めることだけではない。」
「もしもの時を想像し、自分や大切な人の暮らしを思い描くこと。」
その小さな気づきは、生徒たちの間に静かに広がり、やがて学校全体の防災意識を変えていくのだった。
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