【短編小説】「七十二分の未来」
―明日があることは、奇跡ではなく、守るもの―
七月六日。
放課後のセント・ファルシオ女学院。
図書館の窓からは、夏の夕陽が静かに差し込んでいた。
今日は読書好きが集まる自主勉強会の日だった。
集まったのは、喜里島ハル、白峰ユキ、朝霧ヒビキ、そして夢路シオリの四人。
机の上には、一冊の新刊本が置かれていた。
『核戦争 世界滅亡までの72分間』
タイトルだけで、空気が少し重くなる。
「七十二分……。」
ハルは表紙を見つめた。
「世界が終わるまで、たったそれだけしかないんだ。」
ユキは静かにページをめくる。
「一発の核兵器が撃たれたあと、お互いが報復を繰り返せば、人類の文明は数十分で壊れてしまう……。」
誰も冗談を言わなかった。
それほど現実味のある話だった。
ヒビキがぽつりと言う。
「私、小さい頃は『核兵器があるから戦争にならない』って聞いたことがある。」
ユキは首を横に振った。
「でも今は、その考え方そのものを疑問視する専門家も増えている。」
「『使わせないための兵器』が、『使わなければ信用されない兵器』になったら……。」
その先を言葉にする必要はなかった。
シオリは本を閉じた。
「物語にはね。」
「最後の一秒で世界が救われる話がある。」
「でも現実は違う。」
「核兵器は、一度使われたら物語みたいに巻き戻せない。」
窓の外では、部活動を終えた生徒たちが笑いながら帰っていく。
その何気ない日常が、とても尊く見えた。
帰り道。
四人は港へ向かう遊歩道を歩いていた。
海風が暑さを少しだけ和らげてくれる。
ヒビキが空を見上げる。
「今日の空、きれいだね。」
「もし世界中の人が同じ空を見ているなら。」
「戦争なんて考えなくてもいいのに。」
ハルは苦笑した。
「きっと、向こうにも同じことを思ってる人はいるよ。」
港では、小さな平和写真展が開かれていた。
そこには広島、長崎だけではなく、世界各地の子どもたちの写真が並んでいる。
学校へ向かう笑顔。
サッカーをする少年。
家族で食卓を囲む少女。
そして、戦争によって壊れた街。
同じ年頃の子どもたちだった。
「この違いって……。」
ハルは写真を見つめた。
「生まれた場所だけなんだよね。」
写真展のスタッフが話しかけてきた。
「核兵器は都市を壊します。」
「でも、本当に壊すのは未来なんです。」
「学校へ行く未来。」
「恋をする未来。」
「家族をつくる未来。」
「普通に生きる未来。」
「全部、一瞬で。」
四人は言葉を失った。
夕暮れ。
港に座ってアイスを食べながら、四人は海を眺めていた。
ヒビキが笑う。
「こういう時間が好き。」
「何も特別じゃない。」
「でも幸せ。」
シオリもうなずく。
「幸せって、大事件じゃない。」
「誰かと笑える今日なんだよね。」
ユキはノートを開いた。
そこには今日の勉強会のメモが並んでいる。
「核抑止。」
「安全保障。」
「外交。」
難しい言葉が続く。
その最後に、彼女は一行だけ書き加えた。
『目的は、人が生き続けられること。』
「結局。」
ユキはゆっくり言った。
「どんな安全保障の議論も。」
「人が生きられなければ意味がない。」
ハルは海の向こうを見つめる。
「あの水平線の向こうにも。」
「学校があって。」
「夕飯を作ってる人がいて。」
「宿題をしてる子どもがいて。」
「笑ってる家族がいる。」
「その人たちも。」
「私たちと同じなんだ。」
日が沈み始める。
港の灯りが一つ、また一つとともり始めた。
シオリが静かに言う。
「文明って。」
「すごい建物でも。」
「難しい技術でもない。」
「誰かが誰かを思いやることを、何千年も積み重ねてきた時間なんじゃないかな。」
その言葉に、三人は静かにうなずいた。
帰り道。
四人は自然と横一列になって歩いていた。
急ぐ人もいない。
競う人もいない。
ただ、同じ方向へ歩いていく。
ハルは夕空を見上げ、小さくつぶやく。
「七十二分で世界は壊せるかもしれない。」
「でも。」
「平和は、一日一日を積み重ねてしか作れない。」
ヒビキが微笑む。
「だから明日も。」
「ちゃんと学校へ来よう。」
「またみんなで笑おう。」
四人は笑い合った。
その笑顔は特別なものではない。
けれど、その何気ない一日こそが、未来へ続く平和の証なのだと、誰もが心の中で感じていた。
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