【短編小説】長崎を最後の被爆地に
八月十日。
セント・ファルシオ女学院の平和学習室では、前日の長崎原爆の日について話し合う小さな集まりが開かれていた。
参加していたのは、喜里島ハル、朝霧ヒビキ、高瀬ミライ、そして綴木シオン。
机の上には、長崎の平和宣言や被爆者団体の活動を紹介する資料が並んでいる。
ヒビキが一枚の紙を読み上げた。
「『これからも核兵器廃絶、国家補償の援護法の旗を掲げ、被爆証言活動、被爆者運動を引き継いでいく』……」
読み終えると、部屋の中が静かになった。
シオンが小さく息をつく。
「七十年も、声を上げ続けてきたんだね」
ハルはうなずいた。
「一人の人が七十年間というより、何世代もの人が受け継いできたんだと思う」
「そう考えると、すごいよね」
前日。
長崎では、被爆から八十一年の平和祈念式典が開かれていた。
平和宣言では、あらためて、
「長崎を最後の被爆地に」
という言葉が掲げられた。
その言葉を目にしたとき、ハルは胸をつかまれるような感覚を覚えた。
「長崎を最後にするって」
ハルが言う。
「願いじゃなくて、約束なんだね」
ミライがゆっくり答える。
「そうだと思う」
「核兵器が二度と使われないようにすること」
「そのために、外交や軍縮を続けること」
「被爆者の証言を聞いて、次の世代が引き継ぐこと」
「全部つながっている」
ヒビキは資料の別の箇所を見つめていた。
被爆者団体と政府の面会。
けれど、被爆体験者が十分に自分の言葉を伝えられなかったという記述。
「会うだけで、話を聞いたことになるのかな」
ヒビキがぽつりと言った。
シオンが首を横に振る。
「ならないと思う」
「聞くって、相手が何を言いたいのか受け止めることだから」
「時間を取って、話を遮らないで」
「都合のいい部分だけじゃなくて」
ハルは、熊本地震の被災者支援について話し合った日のことを思い出した。
その時も、みんなで確認した。
困っている人に必要なのは、「頑張っています」と伝えることではない。
何に困っているのか。
何を求めているのか。
その声を聞き、必要な支援につなげること。
長崎の被爆者の声も同じなのだ。
「被爆者の人たちは」
ヒビキが続けた。
「自分たちのためだけに核兵器をなくしてほしいって言っているわけじゃないんだよね」
「うん」
ハルが答える。
「もう誰にも同じ経験をしてほしくないから」
その言葉に、四人とも黙った。
自分が経験した最も苦しい記憶を、未来の誰かを守るために語り続ける。
それはどれほど大きな勇気なのだろう。
午後。
四人は学校の放送室へ移動した。
ヒビキが提案したのだ。
「校内ラジオで、長崎のことを取り上げたい」
「でも、追悼だけで終わらせたくない」
ミライが尋ねる。
「何を伝えたい?」
ヒビキは少し考えてから答えた。
「被爆者運動が続いてきたから、私たちは今も『長崎を最後の被爆地に』って言えること」
「言葉だけじゃなくて、その言葉を守るために動いてきた人がいたこと」
シオンはノートを開いた。
「それなら、『引き継ぐ』をテーマにしよう」
放送の原稿を作り始めた。
最初に、被爆者団体が長年、核兵器廃絶や被爆証言活動を続けてきたこと。
次に、被爆者の高齢化が進むなかで、二世、三世、若い世代が活動を引き継ごうとしていること。
そして、日本が唯一の戦争被爆国として、核軍縮や国際的な緊張緩和にどう向き合うのか。
ミライが原稿の一部を書きながら言った。
「平和外交って、きれいごとじゃない」
「核兵器を使わせないために、国同士が話し続けること」
「軍縮のルールをつくること」
「約束を守らせる仕組みをつくること」
「それが、本当の安全保障の一部なんだと思う」
放送が始まった。
ヒビキの声が、夏休み中の静かな校舎に流れる。
「昨日、長崎は被爆から八十一年を迎えました」
「長崎では長年、被爆者のみなさんが、自らの体験を語り、核兵器をなくすよう訴え続けてきました」
「その願いは、自分たちだけのためではありません」
「未来を生きる私たちのためでもあります」
ヒビキは一度息を吸った。
「『長崎を最後の被爆地に』」
「この言葉は、過去を振り返るためだけの言葉ではありません」
「これから先、どの国でも、どの人にも、核兵器による被害を生み出さないという、未来への約束です」
放送終了後。
一人の一年生が放送室へ訪ねてきた。
「先輩」
「はい?」
「被爆者の人がいなくなったら、誰が話を伝えるんですか?」
ヒビキは一瞬、言葉に詰まった。
その横で、シオンが答えた。
「私たちだと思う」
一年生が驚いたように見る。
「もちろん、体験した人と同じようには語れない」
シオンは続ける。
「だから、証言や記録を大切にして」
「勝手に作り変えないで」
「受け取った言葉を次の人に渡す」
「それが、私たちにできることだと思う」
一年生は静かにうなずいた。
「私も、もっと知りたいです」
夕方。
四人は学校近くの川沿いを歩いていた。
夏の空はまだ明るい。
ヒビキが言う。
「七十年って、すごく長いよね」
ハルが答える。
「でも、平和って、一度つくったら完成するものじゃないんだと思う」
「守り続けなきゃいけない」
ミライが続ける。
「外交も」
「軍縮も」
「人権も」
「何もしなければ後ろへ戻ることがある」
シオンは、小さな記録ノートを胸に抱えた。
「だから、引き継ぐんだね」
四人は川辺のベンチで足を止めた。
ハルは、長崎の平和宣言にあった言葉を思い出していた。
被爆者の思いを受け止めてほしい。
核兵器をなくすために、日本が役割を果たしてほしい。
それは、政府だけに向けられた言葉ではない。
自分たちにも向けられている。
「私たちは」
ハルが言った。
「被爆を体験していない」
「でも」
「何もできないわけじゃない」
ヒビキがうなずく。
「聞くことができる」
シオンが続ける。
「記録することができる」
ミライも言った。
「考えて、話し合って、選ぶことができる」
ハルは静かに笑った。
「そして、次の人へ渡せる」
夏の夕暮れ。
四人の前を、小さな子どもが父親と手をつないで歩いていく。
子どもは空を見上げ、楽しそうに何かを話していた。
その子が大人になる未来。
さらにその先の世代。
その人たちが「広島と長崎だけが、人類最後の被爆地だった」と振り返ることのできる世界。
それは、自然に訪れる未来ではない。
誰かが願い。
誰かが声を上げ。
誰かが記録を守り。
誰かが外交を続け。
そして、次の世代がその思いを受け取ることで、初めて近づいていく未来なのだ。
シオンはノートの最後に、一行を書いた。
「受け継ぐとは、昔の言葉を繰り返すことではない。その願いを、今の自分の行動へ変えること。」
四人はその言葉を見つめた。
長崎を最後の被爆地に。
その願いを遠い誰かの言葉にせず、自分たちの世代の約束として引き継いでいくために。
詩奏少女隊の少女たちは、静かに歩き始めた。
被爆者たちが七十年かけて守り続けてきた小さく、しかし消えることのない灯を、次の未来へ渡していくために。
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