【短編小説】『命どぅ宝、その声を未来へ』
六月二十三日。
朝の校内放送が静かに流れ始めた。
「今日は沖縄慰霊の日です。」
放送室でマイクの前に座る朝霧ヒビキは、いつもより少しだけゆっくりと言葉を紡いでいた。
「八十年以上前、多くの命が失われた沖縄戦。その一人ひとりを思いながら、今日のお昼には一分間の黙とうを行います。」
放送が終わると、放送部の後輩が小さく尋ねた。
「先輩、どうして毎年この放送をしているんですか?」
ヒビキは少し考えてから微笑んだ。
「忘れないためかな。」
「忘れない?」
「戦争を知らない私たちだからこそ、知ろうとすることが大事だと思うの。」
昼休み。
図書館では「沖縄戦と平和」をテーマにした小さな展示が開かれていた。
夢路シオリが集めた戦争体験記。
綴木シオンが探してきた古い写真集。
そして一冊の絵本。
『白旗の少女』
ヒビキはその本を静かに開いた。
幼い少女が、たった一人で戦場を歩く姿。
家族を失い、それでも生きようと白旗を握りしめる姿。
ページをめくるたびに胸が締めつけられた。
「命どぅ宝……。」
思わず声が漏れる。
その言葉を聞いて、花守マヨが隣に座った。
「沖縄の言葉で、『命こそ宝』だよね。」
ヒビキはうなずいた。
「簡単な言葉なのに、すごく重たい。」
午後。
平和学習会が開かれた。
講師は沖縄出身の卒業生だった。
スクリーンには「平和の礎」の写真が映し出される。
黒い石碑に刻まれた、数えきれない名前。
「この名前は、兵士だけではありません。」
「子どもも、お母さんも、おじいちゃんも。」
「国籍も問いません。」
「戦争で亡くなったすべての人の名前です。」
教室は静まり返った。
誰も話さない。
誰もスマートフォンを見ない。
ただ、その写真を見つめていた。
講演が終わると、一枚の紙が配られた。
「未来への手紙を書いてください。」
一年後の自分ではない。
十年後でもない。
まだ生まれていない未来の誰かへの手紙だった。
みんな鉛筆を止めたまま悩んでいる。
ヒビキは静かに書き始めた。
『あなたが、この手紙を読んでいる世界は平和ですか。』
『笑って学校へ行けていますか。』
『家族と夕飯を食べていますか。』
『友達とけんかをしても、また仲直りできますか。』
『そんな毎日が続いているなら、それは決して当たり前ではありません。』
『たくさんの人が「生きたい」と願った先にある今日です。』
『どうか、その日常を大切にしてください。』
書き終えた紙を見つめながら、ヒビキは胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
放課後。
屋上には、第5クインテットの五人が集まっていた。
風がゆっくり吹き抜ける。
誰もすぐには話さなかった。
やがて音羽カナデが口を開く。
「歌って、不思議だよね。」
「歌った人がいなくなっても残る。」
蒼井レイナもうなずく。
「本もそう。」
「学びもそう。」
「思いは受け継がれていく。」
海風ソラは遠くの空を見つめる。
「沖縄の海も、きっと今日はいろんな人が空を見上げているんだろうね。」
ヒビキは静かに言った。
「私は放送部だから。」
「大きなことはできない。」
「でも、一つだけできることがある。」
「声を届けること。」
翌朝。
校内放送が流れた。
「昨日は、たくさんの人が平和について考えてくれました。」
「ありがとうございました。」
「戦争を知らない私たちは、戦争を語れないのではありません。」
「知ろうとすること。」
「学ぼうとすること。」
「そして、人に伝えること。」
「それも平和を守る一歩だと思います。」
放送が終わる。
教室では誰かが拍手をした。
その拍手は一人から二人へ。
二人から十人へ。
やがて学校中へ広がっていく。
昼休み。
展示されていた未来への手紙は、一冊のアルバムにまとめられた。
タイトルは――
『未来へ届ける声』
何十年後か。
そのアルバムを読む生徒がいるかもしれない。
「こんな先輩たちがいたんだ。」
そう思いながらページをめくる日が来るかもしれない。
平和は、一人では守れない。
けれど、一人ひとりの願いは、必ず次の誰かへ渡すことができる。
「命どぅ宝。」
その短い言葉は、戦争を生き抜いた人たちから未来への贈り物だった。
朝霧ヒビキは放送室の窓を開けた。
六月の風が優しく吹き込む。
その風は、沖縄の空へ、そしてまだ見ぬ未来へと、静かに続いていた。
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