ヒロイン失格(7/7) 、最高の容姿を持った最低のヒロイン
しまった……。
「ひま?」といきなり告げることをあれ程避けようと思っていたのに……。私の口から漏れ出た言葉は、練習の甲斐もなく、最悪のものだった。
事前練習なんてまったく意味がない。事に臨んで、初めて気づく。それくらいに私は緊張していた。それでも私は期待した。この先の展開に。
靴を履き終えた京くんが私を見上げる。
くる!
私は次にかける言葉を頭の中で探した。
「チッ、なんだよお前。まだ帰ってなかったのかよ」
「……え?」
……。
一瞬、時間が止まった気がした。
あからさまに不機嫌な顔をされたからだ。予想すらしていなかった投げやりな返事に私は戸惑う。想定外の展開。頭の中が真っ白になる。カチコチになった足が棒のようになって立ちつくす。斜陽の弱々しい光を受けながら、私の影は校舎の玄関口にまで達している。その長く伸びた影は、文字通り“棒”に見えた。
私は、今、何をしているのだろう? 緊張とかじかむ寒さのために、上手く思考が繋がらない。そんな余裕のない私に向かって、京くんは鬱陶しい者でも見るかのように陰気な顔をした。
「どけよ、邪魔」
「!」
カチンっ!
ぶっきらぼうと言うには余りに酷い京くんの態度に、寒空の下、針の落ちる音にすら敏感になっていた私の神経が火花を散らした。
「そ、そんな言い方しなくてもいいじゃない! 私、京くんに用事があったから残ってたのに!」
思わず声を荒げてしまう。
どんな理由があるにせよ、不機嫌な相手に向かって声を荒げてしまうのは間違い。霜焼けで真っ赤の手のひらを、氷水の中に突っ込むようなもの。
「はぁ? 僕はお前に用事なんかないよ」
感情の読み取れない京くんの冷たい声が、私を疎んじている。それが信じられなかった。
どうして? ねぇどうしてそんな嫌そうな顔をするの? 今の私には、京君の冷たい態度を冷静に受け返せるほどの余裕なんてない。それなのに何でそんなに冷たいの?
心の中を色々な思いが駆け巡る。でも、私の口からは何一つ適切な言葉が出てこない。こういう場面でどう切り返せば良いのか、正解が私の引き出しの中に無かった。
「なんでそんな言い方するかなぁ……」
苛立った。
おかしい。
何かおかしいよ。
こんな展開になるはずじゃない。
それなのに。
「なんでって何だよ? そっちが勝手に待ってただけだろっ」
チリッ!
京くんの冷たい言葉に苛立ちの火花がチリチリと混じり始める。それが信じられない。
「勝手にって、勝手に待ってたら悪いのっ? 用事があって待ってたら悪いのっ? 私が京くんに話しかけたら何か悪いコトでもあるのっ?」
ちがうっ!
そうじゃない!
私はそんなこと言いたいんじゃない!
なんで言えないの?!
なんで聞いてくれないの!?
「悪い悪いって何だよっオマエっ」
ひと際大きな声で怒鳴られてしまう。
「そ、そんなっ……」
ちがうちがうちがうちがうっ!!
私はこんなこと言うために待っていたんじゃないっ! こんなこと言いたいんじゃないっ! どうしてちゃんと言えないのっ? どうしてちゃんと聞いてくれないのっ?
「なによっ! もっと普通に『何?』って聞いてくれてもいいでしょっ?」
そこまで告げて、私の口元が、ニィ、と厭らしく歪む。
マズイ……。
太ももの裏側を蚯蚓のような生き物がウゾリと這い廻る。私は止まらない。止められない。苛立つ心をコントロールできない。
「それともぉ、京くん、なぁにぃ~? もしかしてアレなのぉ~」
私の声にとても厭らしい色が混じり込む。いやだ……、止まって。お願い、止まって。分かっていながら自制が効かない。
「バレンタインなのにぃ、誰からもぉ、チョコ貰えなかったのぉ?」
気持ちに反して、かじかむ口元が勝手に嫌味な言葉を吐き出し続ける。それも本当に厭らしい言い方で。
「それでぇ~なんかぁ~ふて腐れて怒ってんのぉ?」
止まらない。
「京くん、格好わる~い。なんかぁ子供みたぁい、アハハハ」
止まらない。
どうして?
自分のことが理解できない。私は、今、この場で、最も言ってはいけない言葉を吐き出そうとしている。だめ、本当にダメ。それだけは言っちゃだめ! それなのにどうして! 私は私の言葉を止めてくれないの!
なんで?
ねぇ、どうしてよっ?
「アレだよねぇ? そんなんだからぁ、君はリレーの選手にも選ばれないしぃ、先生にも怒られるしぃ、友達だってあんまりいないんでしょぉ?」
止まらない……。
私はどうして京君にこんな嫌味を言っているのだろう? 告白するつもりだったのに! 好きですって言うつもりだったのに! あれほどお家で練習してきたのに!
どうして?!
ねぇ!
ただ心の奥の奥が疼いて苛立ち止まらないし、止められない。ただ、“好きです”と伝えたいだけなのに、心の中に充満した苛立ちがそうさせてくれない。
「ほぉ~んと、格好悪い自分を棚にあげて人を責めるなんてっサイっテー」
私は、京くんを徹底的に追い詰める言葉を浴びせながら泣きそうになっていた。
「知ってるぅ京くん。クラスの女子がぁ、バレンタインでチョコ渡したく“ない”男子の一番が君なんだよ? みんな、言ってるよぉ。天川京一って、チビで、ハニワみたいな顔してるって! アハハハっ! ハニワだって! ダッサぁ! アハハハ」
チガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウっっ!
どれだけ彼を小馬鹿にすれば気が済むのだろう? どれだけ彼を辱めれば気が済むのだろう? どうすれば素直な気持ちを取り戻せるのだろう? 私は、その答えを知っている。“本能”に反して、彼を馬鹿にし、辱めているこの私を鎮め慰めてくれる瞬間を。
それは京くん、君が「僕も君のことが好き」そう言ってくれる瞬間なんだ。そして私にはその勝算があった。なぜならば、私は私の容姿を正しく認識している。
「モテナイね? 君(だから私が告白してあげる)」
芯の腐った私の舌の根が、その最後の言葉を吐き出そうとした。私はその言葉を無事に言い終えることはできなかった。
ズガンっっっ!!!!!!!!!!!!!
突然、目の前で火花が散った。
最初は何が起こったのか分からなかった。ただ寒さで凍えていた頬と唇と鼻頭に鋭い痛みが走り、身体は後ろに倒れて尻もちをつき、手提げ袋の中からは、渡すはずだったチョコレートの包みが乱雑に飛び出していた。
え? え? え?
頭の中にクエスチョンマークがいくつも浮かんでは消えてゆく。
「え?」
私の口から小さく音が漏れる。氷のナイフで切り裂かれたような感覚が残る。唇がじんじんと痛む。殴られた……の? わたし?
そう理解し終えた直後、私は、これまでのスベテが破壊されてしまう、とても辛く苦しく悲しい言葉を浴びせられた。他でもない、私が世界で最も好きな京くんの口から。
「しねっ! ブスッ! オマエが寄ると“おしっこ”クセェんだよっ! いつも威張ってるけど知ってんだぞっ! オマエ寝る時まだオムツいるんだってなっ? おばちゃんが買ってるの見たモンね!汚ったねぇー、パンツぬげよっ、黄色い染みがついてんだろ、ブスっ!」
「なっ?!」
その瞬間、私の脳裏に雷鳴が走る。それは、たった今京くんに殴られたという事実すらも消し飛ばすほどの衝撃だった。
「……なに、それ」
「お前、知らねーのかっ? 普通は寝るときも学校行くときも同じパンツ履くンだぞっ!」
何……それ?
オムツって何?
京くん、何を言ってるの?
みんな寝るときには分厚いパンツを履くんじゃないの?
頭の中が真っ白になる。何も考えることができない。何も分らない。でも私には、絶対に他人に知られてはいけない恥ずかしいことがあって、それを京くんに知られていて、今そのことで罵られている。それだけは分った。瞬間的に、お父さんとお母さんの顔が浮かんだ。
「蓮華、ちゃんと“かぼちゃパンツ”履いた?」
私が毎晩お布団に入る前、お母さんは必ずそう聞いていた。かぼちゃパンツ。その名の通り、見た目がかぼちゃみたいに丸くて大きなパンツだ。その中でオシッコを漏らしても、けしてお布団を汚すことがない。
私位の年齢の子は皆、夜、寝るときにこれを履く。ずっとそれを当たり前のことと思っていた。だから誰にも言ってないし、誰も知らない。夜、寝ている間にオシッコをしてしまうのは、とても恥ずかしいことだけれど小学生の歳なら当たり前のことなんだろう、そう思っていた。
「お前知ってるか? クラスの女子が時々お前のそばに行くとオシッコ臭いって言ってんの」
「え……?」
何それ……。そんなコト、知らない……知らないよ……。殴られたとき以上の激しい衝撃に襲われる。
「やっぱ学校にもオムツ履いてきたほうがいいんじゃねーのクラス委員長さんはさあ」
この頃には、もう京くんが何を言っているのか解らなかった。解りたくなかった。私だけ知らない事実があって、それは女の子としてとても恥ずかしいことで、けれども絶対に知られたくない人がそれを知っていて、今、そのことで罵られている。
私の顔は真っ青だった。背中の汗は完全に乾き、代わりに体中を嫌な脂汗が伝う。口の中はカラカラに乾いて、目の奥は重くて痛くて、鼻から伝わる下駄箱の匂いが全部私のオシッコの臭いに思えて、ショックで、悲しくて、辛くて、恥ずかしくて。
「だいたい女のクセに背がデケェんだよっ! オマエほんとは男なんだろっ? 汚ねぇパンツぬげよっ! しょんべん男女! 気持ち悪ぃんだよっ」
ダンっっっ!!!
私は目を力いっぱい閉じたままに駆け出した。転んだってかまわない、ぶつかったってかまわない光を見たくない、もう、こんなに醜い私を映し出す光の中にいたくない! 下駄箱に背を向けて必死に駆け出した私の背後から止めを指すように言葉が発せられた。
「二度と話しかけんなっ! ブスッ!!」
何も覚えていない。
空の色も空気の温度もすれ違った人もすれ違った車もバイクも自転車も、帰り道をどのようにして走ってきたのかさえ覚えていない。ただ、殴られて重く痛みの残った唇と、切れそうな程に冷え切った頬と耳たぶと身体が、自宅の玄関を開けて「お帰りなさい、蓮華」そういつものように優しく迎え入れてくれた母に対して爆発した。
泣き散らした。泣き喚いた。泣き叫んだ。わんわんと泣き叫びながら、母を罵った。私に事実を教えてくれなかった母を罵った。胸をドンドン叩いて泣き叫んだ。
どうしてっ!
どうしてっ!
叫びながら泣き叫んだ。
許せなかった。
この事実を隠していた母を、父を、そしてなにより恥ずかしい私自身を。
これまで育て上げてきた私のプライドと呼ばれるものは、この日、砕け散った。母は、そんな私の頭を抱きかかえるようにして、ただ、ただ、優しく、どこまでも優しく、この髪を梳いてくれていた。
私は、最高の容姿をもった、最低の女の子だった。
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「蓮華のステータス」
1,命の残り時間 :5年間と5か月
2,主人公へ向けた想い :初恋レベル
3,希望 :☆☆☆☆☆
4,不安 :★★★★★
5,絶望感 :★★★★☆
5,得意分野
:自意識、嫌味、逆なで
6,不得意分野 :素直な告白
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つづく
