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エチオピアの大学生ってどんな感じなのか?                エチオピア行って帰って100の疑問!?   No.037

私は長年日本の高校生を相手にしてきたので、日本の高校生がどういう生き物なのかはよく分かっている。しかしエチオピアの大学生とはどんなものなのかはさっぱりわかっていない。

事前に経験のあるボランティアに開いてみると、
だいたいにおいて同一年齢の日本の学生と比較すると精神年齢が低いことが多い、という話だった 。
それなら日本の高校生とエチオピアの大学生はだいたい精神年齢ではいい勝負かもしれない、という予測をしていた。

大学の授業が始まり、美術クラスの授業があるので見に行った。新人講師のダーウィットの授業で2年生対象、木炭で風景画を描く予定だと聞いた。
さっそく木炭で近くの風景をサンプルとして描いてみた。

私の描いた構内の風景画

いざ授業時間になって、学生たちが準備室の前の屋外に集まってきた。じゃあ授業をやってとダーウィットが言うので、私が英語で指示を出して、それをダーウィットがティグライ語にして学生に伝えてくれた。

それで学生たちは配られた紙と木炭を持って構内に散って風景画を描き始めた。学生たちは目がきらきらしてかわいいのだが、精神的にはかなり幼い感じがした。
例えば道路がある風景画を描くといっても彼らの理解できる道路を描くので真ん中に二本の平行線がある絵を描く。

空から見ない限りそうは見えなくて、普通に見ると奥の道幅が狭くなっていって遠近がある、ということが理解できないのだ。建物を描いてもただのいびっな四角形でまったく立体に見えない 。 

しかしただ一人絵になっている生徒がいた。
彼の名前はゲブレキロス。才能があるってこういうことだという見本のようなピカイチの天才。

これでは実技の力がひどすぎる。そこでヨナタンに無理を言って本来の授業ではない補習として実技の時間を週に一度行うことにした。

2年生を対象に自分の手を見て描いてみよう、という補習授業をしてみた。
鉛筆を持っていない方の手をモデルにして描いてと指示したのだが、
鉛筆を握っている側の手を見もしないで描くとか、親指が他の4本の指と同じ場所から出ているとか、
指がただのギザギザだとか、
関節がなくてソーセージのような指とか。

日本の絵画上の精神年齢でいうとほとんどの学生が小学生低年齢レベル。
上の写真は大学生の人物の横顔のスケッチである。
小学生ではなく。

エチオピアに行ってわかったこと。

一つの教科が存在しないと人口の9割以上はその教科ができない。

ごくまれに1割以下の習ったこともないのにできる人は存在する。大学の同僚のヨナタンもダーウィットもそのタイプだ。

そういう天才型にとって人に教えることは難しい。彼らにとってはできることが当たり前で、できない人がなぜできないかが理解できない。一つの教科が存在しないと努力型の秀才は存在しない。

一握りの天才と訓練を受けていないからできない9割以上の人が存在するだけだ。

私は美術教育界の努力型秀才だ。
決して天才ではなくて長年訓練を受け努力して経験を積み重ねてできるようになった。
努力型秀才の良いところは再現性だ。
訓練を経てできるようになったから訓練方法を知っていて再現することができる。
だからエチオピアに私は必要なのだろうなと思った。

そこで思ったのは、日本の教育に自分の頭で考えるという教科は存在しないから人口の9割以上が自分の頭で考えることが苦手なのではないだろうか。

総合的な学習で、なぜみんなもっと考えないのだろうかとイライラしていたが、よく考えれば当たり前なのかもしれない。たまたま私は自分で考えるのが得意に生まれついたのかもしれない。

自分が特に天才だとも思っていなかったが、
実は考えることに関してはそうなのかもしれない。

自分にとって当たり前にできることが他の人に
とっては難しいこともあるしその逆もある。


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