あの〜、この前の学期にやったことを覚えてますか? エチオピア行って帰って100の疑問!? No.065
私がアビィヤディ教員養成大学で教えることのできる最後の学期が始まった。
任期は9月まであるが、大学の後期は3月から6月、
次の学期が始まる10月には私はいないのだ。
そういう事情なので私はやる気満々で大学の授業に臨んだ。そしてとてもがっかりした。
特に2年生は前の学期に結構見て描く訓練をしてきたので、ある程度できるようになった、と私は思っていた。
だが久しぶりに会うと、彼らのほとんどは前にやったことをきれいさっぱり忘れていた。
もともとの美術の積み重ねがないし、離れると感覚が鈍ったり、習ったことを忘れたりするのはある意味しょうがないこともわかる。
だけど あまりにきれいな忘れ方に、もうちょっとどうにかなりませんか、と言いたくなる。
思わず大学の他の科目の教員に愚痴ると、
「そうだよねー。
何度も言ったのにすぐに忘れちゃうんだよ。」
と同じく困っていたので別に美術だけの問題でもないようだが。
そのように教員たちが頭を抱えていても、学生たちはできないことや忘れてしまうことに何の不安も持たないようでいつも楽しく屈託なさそうに見える。
時にはお互いに肩のあたりを叩きあって、
だってそっちが先にぶった、
ぶたれたからぶち返しただけだ、
と楽しそうである。
たしか君たちけっこう年齢的には大人なはずだよね? 小学生みたいだけど、と言いたくなるくらいだ。
いろいろと覚えていなくても、
できないことがあっても、
常に「問題ない!」
根拠のない自信に満ち溢れている。

時には大学の教員に、
「日本の学生ってどんな感じ?」
と聞かれる。私は、
「日本の生徒はとてもまじめでよく勉強して
いい子だ。だけどとっても自信がない。」
と答えた。
もし日本のまったく平均的な高校生を一人連れてきてエチオピアの学校に入れたら言語の違いはともかく普通に優等生になれると思う。
いつも遅刻もしないで授業に出席し、まじめにノートを取り、期限を守って提出物を出す。それだけで優等生確定である。日本の平均値はとてつもなく高いのだ。
私の考えた理論だが、
人の劣等感の大きさは
その人の所属する集団のレベルの高さと比例する。
例をあげてみよう。
東大の理系修士に行って高校の教員になった人に、
「研究者になろうと思わなかったの?」
と聞いたことがある。
彼は、
「研究者っていうのは自分なんかより
もっとすごい人がなるものだ。」
と答えた。
有名大学出身の青年ボランティアが
流暢な英語を話すので、
「すごいね。」
と言うと、
「僕くらいなんていくらでもいますよ。」
という答えが返ってきた。
できる人はできる集団にいて、
自分よりもっとできる人がいるのを見ているので
自分に自信が持てないのだ。
日本の高校生を見ていると、
表面は楽しそうにしていても、
ものすごく気を使ったり、常に不安に思ったり、
人にどう思われるのかを気にしたりして
生きているように見える。
