あったことをなかったように嘘をつくのは注目を集めて儲かるらしい。あったことをあったと真実を言うのは黙殺されてお終いになるのに。
最近の世の中は
いろいろなんだかなぁと思うことは多い。
明らかにあった事実(原爆とか)をねじ曲げてなかったことにして陰謀論に結びつけて商売の種にして儲ける人が存在する。
被災地のフェイクニュースをでっち上げて
人を傷つけて注目を集める人もいる。
どう考えてもおかしいことでも、権力のあるものがおかしくないと言い張れば流される。
議会襲撃でも裏金でもスキャンダルでも
なんでも時間が経てば有権者は忘れてくれる。
だけど、こういう事実がありましたよね、
と言えば黙殺される。
事実であっても不都合なことは
存在しなかったことにされる。
例えばエチオピアの内戦でノーベル平和賞受賞者が自国民を兵糧攻めにして多数の死者が出たこと
なんてたいして報道されない。
元ボランティアが原稿を書いたところで
JICAの記念誌に載せられることはない。
そんな不愉快なニュースは真実でも報道されず
知られずまるでなかったことのようになる。
だってその方が
日本政府にもエチオピア政府にも好都合だから。
私たちのスマホは私たちが興味を持つことを
表示する。
だから刺激的なタイトルの陰謀論は
中身がでっち上げでもなんでも
人の注意を引きつける。
単純なことを繰り返せば人は信じるようになる。
そうやってポピュリズムが戦争を連れてくる。
不愉快な真実などネットにあっても
ほとんどの人の注意を引かない。
人は見たいものを見て、
見たくないものから目を背ける。
悲しいが、人間はそういうものなのだ。
だから多数の人の注意を引くことに成功したデマを信じないことだ。
たくさんの人がいいと言っているから
真実に違いないと思い込まないことだ。
それを信じることで誰が得をするのかを
考える必要がある。
逆にたいして知られてない真実を、
みんなが知らないから嘘に違いない
と決めつけないことだ。
知られないほうが都合がいいのは誰なのかを
考える必要がある。
自分で考える気になれば、今はたくさんの情報が手に入る。でもぼんやりオススメを見続けていると
どんどん陰謀論にはまってしまう。
昔と比べると情報の量は格段に増えたが、
その内容は玉石混交で吟味しないといけない。
だけど何を元に吟味すればいいのかすら
情報がありすぎてよくわからない。
結局、溢れる情報とどうつきあうのか?
昔なら、たくさんの知識や情報を持っている人が賢いとされた。今はスマホに詰まった大量の情報を
みんな持っているが、その使い方が難しい。
結局、溢れる情報と少し距離をとるしかない
かもしれない。
スマホ断ちとかデジタルデトックスとか。
回りまわって昔みたいな生活こそ
心を休めることができるのでは。
停電生活が時々ちょっと懐かしくなる。
世の中には知らなくてもいいことも
たくさんあるのではないか?
でも狭い関心世界にこもり、
広い世界を見ようとしないのも問題。
何を見て、何を見ないのか?
複雑で
ややこしくて
油断できない
情報過多の世の中で
どう生きていくのか?
それがとても難しい今日この頃。
