ネバーセイ ネバネバ アゲイン!
私はネバネバの存在を疎ましく思っている。
誤解しないでほしい。
私は納豆は好きだ。
ついでにいうとオクラもトロロも平気だ。
メカブでもモズクでもワカメでもコンブでも
喜んで食べる。
ただガムテープのネバネバは触ると手が荒れるのであまり触りたくはないけど。
ではどのネバネバが嫌か?
それは
〜せねばならないとかがんばらねばならないとか
固定概念のネバネバである。
私がJICAシニアボランティアとして行くことを決めた時に最初にドブに捨てたものである。ネバネバの固定概念が強いと任地で柔軟にやっていくのが難しいだろうと思って捨てることにした。
お前はがんばらねばならないとまったく思ってないのか!
とあちこちからお叱りを受けそうだが、
実は私はとてもがんばった。
ただ自分ががんばりたくてがんばっただけだ。
がんばらねばならないなんて思ってない。
〜せねばならない、
という固定概念は人を幸せにしているのだろうか?
〜せねば、がんばらねば、という固定概念が強いと
自分はがんばれていないとか〜ができていないとか自己否定につながるのではないだろうか?
例えば、大谷翔平選手は心からやりたくて野球をしているのが明らかだから、
あんなに輝いているのではないか?
ほんとはやりたくないけど、がんばらねばならないからやるというので素晴らしいパフォーマンスができるとは思えない。
〜せねばならない、ほんとに?
コロナ前までは明らかに体調不良で咳をゴホゴホしながら出勤してくる、出勤せねばならないと信じている方々がけっこういた。
ただの歩く感染源の傍迷惑だ。
がんばらねばならない、
と無理して心身の調子を崩す人は後を絶たない。
そのがんばりは自身の健康を損なうし、
別に人のためにもならない。
日本人は真面目にがんばるのがすごいところ。
でも過度のねばならないの思い込みは幸福度を下げ自己否定を強めることになる。
ネバネバを捨てて、
自分がやりたいからやるという方が幸せだ。
というわけで、もうネバネバなんて言わないようにしてみませんか?
ネバーセイ ネバネバ アゲイン!
