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2025年の夏が終わる。私は生成AIを見つめ、未来の物語へ思いを馳せる|「#未来のためにできること」

「人間が自分で書いた文章に、
意義はあるのだろうか」

少しだけ涼しくなった夜風の中で、私は自分に問いかける。

生成AIが作る文章は、整っていて美しい。

生成AIの前では、性別も、学歴も、職歴も関係ない。
プロンプトを打ち込めれば、生成AIが膨大なデータを参照して、一瞬で文章を生成してくれる。
そのプロンプトさえ、生成AIが作ってくれるのだ。

生成AIはまさに、魔法の杖だ。

でも、彼らが作った文章は、どこか味気ない。
彼らは、何かを体験することも、感じることもないからだ。

生成AIの欠点を人間が補い、共に創り上げる

これが、未来における文章の正解になるのかもしれない。

生成AIを右腕にして、生産性を高め、価値を高め、
文章をかつてない早さで、かつてない高みに持っていくことが、人間の役割になるのかもしれない。


では、人間が自分で書いた文章は、どうなるのだろうか。

読書感想文コンクールでも、直木賞でも、芥川賞でも、ノーベル文学賞でも、
人間が書いた作品は、埋もれるのだろうか。
生成AIと共創することが、作品の価値を高め、評価されるのだろうか。

未来で出版される本は、もう人間だけでは執筆されないのだろうか。それが、出版業界のイノベーションなのだろうか。

そして、先人たちが紡ぎ、遺した言葉は…?
学習データとして生成AIに読み込まれ、その後捨てられる、ただの素材になるのだろうか。

「生成AIの力を借りずに文章を書くこと」

それは、生産性の低い
無駄な作業になるのだろうか。

私には、分からない。でも私には、できることがある。


私の視線の先にあるのは、すっかり見慣れたあの画面。

「今日は何をしましょうか?」

ChatGPTは、私に問いかけてくる。

私はそっとタブを閉じ、こう答える。

「ありがとう。
でも、何もしなくていいよ。」

そして私は今日も、真っ白なキャンバスに、私だけの物語を描くのだ。


私はいま、種をまいている。いつか芽を出し、美しい花を咲かせることを願いながら。

君はもしかしたら、見向きもしないかもしれない。「なんて無駄なことを」と笑うかもしれない。

でも……

その花が誰かの心を打ったとき、未来の社会は、再び気づくだろう。

何も書かれていない
真っ白なキャンバスを前に
人間がときに悩み、ときに苦しみ、
何度も諦めそうになりながら、
それでも諦めずに描いた物語にも、

価値があるかもしれないと。

たとえ生産性が低かったとしても、
そこには意義があるのだと。

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