全てがつながり、消えゆく自分。楽になるはずなのになぜか苦しい|#読書の秋2025|#自分とか、ないから
この本に手を出すのは、やめておこうかな…
推薦図書一覧で東洋哲学に関する本を見つけたとき、正直そう思った。
私は、特定の宗教を信仰しているわけではない。私にとって、宗教は昔から眺める対象であって、入れ込む対象ではなかった。
宗教がなぜ存在するのかは長い間考えているけれど、私の興味の対象は個々の宗教の教義というよりも、もっと抽象的な部分、例えば宗教と人間との関係性だった。
だから、個々の宗教の教義について、私は全く詳しくない(というか、ほとんど知らないと言っても過言ではない)。
でも、ある出来事をきっかけに、目に見えない世界については信じるようになった。
となると私は、「森羅万象に神が宿る」いう神道の考え方に近いのだろうか。あえていうと、私は不真面目な神道信者といったところか。
しかし、知らないものに対して興味をそそられるのも、また事実。
こうして、東洋哲学に熱心でない1人の人間は、怖いもの見たさで東洋哲学の世界に足を踏み入れたのだ。
『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』
この書籍で取り上げられるのは、無我(ブッダ)、空(龍樹)、道(老子、荘子)、禅(達磨)、他力(親鸞)、密教(空海)。
どれも文字だけ見ると「分かるようで分からん…」という概念。
ブッダについては、実家にマンガがあったので何となく知っている。
親鸞と空海についても、日本史で出てきたので何となく知っている。
龍樹、老子、荘子、達磨については世界史の領域だが、ほぼ覚えていない。
そんな周回遅れのスタートから始まった東洋哲学の旅は、なかなか乙なものだった。
1回読んだら、何となく分かった気がした。しかし、いざ文字に起こそうとすると、何だかよく分からない。そんなことを繰り返して気づけば7回読んでいた。
私は普段、本を読み返すことはあまりない。
でも今回だけはなぜか、何回読んでも自分の中で何かが足りないような気がした。
私のお気に入りは、龍樹が提唱した「空」。全てがつながっていて、この世はフィクションという考えである。陰陽のマークで知られる中国の「道」と非常に近い概念らしい。
「空」は、ブッダが提唱した概念が基になっているらしい。ブッダがたどり着いた境地は「無我」。
「無我」とは、この世界は全てつながっていて、自分というのはただの妄想という概念。
そしてブッダは、全てが変わる世界において変わらない「自分」を作ろうとすることが、苦しみの原因だと結論づけたそうだ。
ただ、ブッダが急逝してから、弟子たちはこの「無我」の解釈に悩まされ、200巻にもおよぶ解釈本が作られてしまったらしい。
その膨大な「誰も読まないでしょ…」という解釈を「空」という一言でまとめたのが、ブッダの700年後に生きたと言われている龍樹。
龍樹によると、この世界は言葉の魔法が生み出したまぼろしで、私も、私の周りも、全てフィクションなのだ。
そして、すべてはつながっており(これが「縁起」と言われる)、「空」を悟ると、一によって全てを見ることができるらしい。
一見すると「うーん…」という感じだが、確かに言われてみるとそんな感じがする。
例えば、私には夫がいるが、「夫」「妻」というのは、婚姻届けを提出し受理されたことで、私たちにつけられた言葉だ。
そして、離婚届を提出して夫婦関係を解消すれば、「夫」「妻」という言葉は消える。確かに、言葉の魔法である。
私が「空」に関連してもう1つ思い出したのは、『がぶりもぐもぐ』という、子どものお気に入り絵本。テーマは食物連鎖である。
小さなタネから芽がでて、芽がイモムシに食べられ、イモムシがキリギリスに食べられ、
その後クモ→トカゲ→コキンメフクロウ→カワカマス→ミサゴ→キツネ(骨がのどに詰まって死ぬ)→アオバエ・ゴミムシ→土の中の小さないきものたち(キツネの小さなかけらを分解)→小さなタネの根(土の栄養を吸収)と食物連鎖がつながる。
そして、タネから育った芽が小麦になり、最後は人間が小麦からパンを作り食べる。
この食物連鎖もまさに、縁起(つながり)を感じさせる。
著者によると、東洋哲学は楽になるためにあるそうだ。
「空」の世界では、すべての悩みは成立しないらしい。自分の「変わらない本質」は存在しないので、「弱い」「悪い」など、変わらない何かを想定した悩みは成立しないのだ。
であれば、東洋哲学は私に向いているかもしれない。楽だったことは、今まであっただろうか。
発想を変えれば、これから楽な人生を歩めるのだろうか…。
私は、楽しかったことや嬉しかったこと、幸せだったことをほとんど記憶できない。
私の頭の中に写真としてストックされるのは、怖かったことや悲しかったこと、辛かったこと。
そしてそれらのフラッシュバックによって闇に引き込まれ、時にこの世でない場所から「こっちに来れば楽になれるよ」と手まねきをされるのが、私のこれまでの人生だった。
「空」の世界にいけば、怖いとか、悲しいとか、辛いとか、何かを基準にして生まれる相対的な概念がそもそも成立しないのだろう。
もしそうだとすれば、私はこれ以上写真をストックせずに、生きていけるかもしれない。
実は、この本を読んで楽になれるはずだったのに、読みすぎてしまったせいで、ちょっとした副作用に苦しんでいる。
具体的に言うと、何かを見るたびに、それらを宇宙につなげてしまうようになったのだ。
マグカップを見ればマグカップ→土→…、本を見れば本→紙→草→土・空気・水・太陽の光→…と頭の中で勝手にさかのぼっていってしまう。
もしかしたら私は、「この本に手を出すのは、やめておこうかな…」という直感に従った方が良かったかもしれない。
私はいま、「空」の世界に沼りかけている。
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