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出会って10年。義母と私は、まだちょっとぎこちない

4人家族のわが家は、子どもの誕生日を、いつも5人でお祝いする。

加わるのは、子どもたちにとってのおばあちゃんであり、私にとっての義母。

毎年孫の誕生日に合わせて、電車で6時間かけてわが家にやってくる。

私の夫はドイツ人で、夫の母である義母もまた、ドイツ人だ。

旧西ドイツの小さな村の出身で、高校卒業と同時に、旧西ベルリンへやってきた。東西統一後もずっと、ベルリンに住んでいる。

義母は決まって孫の誕生日の2日前にやってきて、誕生日の翌日に帰っていく。期間にして3泊4日である。

義母と初めて顔を合わせてから、もう10年になる。

「籍を入れる前に、一度きちんと挨拶しておかないと…」ということで、夫と2人で、当時住んでいた東京からベルリンまで会いに行った。12月の下旬のことだった。なかなか思うように休みを取れない職場だったけれど、そのときだけは、上司が見逃してくれた。

初めて会った義母は、太陽のようにまぶしく輝く笑顔が、印象的な人だった。当時の義母は離婚手続きの真っ最中で、マンションで1人暮らしだった。マンションの部屋にはいたるところに、義母の好きなピンク色があった。

私はドイツ語がサッパリだったので、義母とは英語でやり取りした。仕事のことや日本のこと、ドイツのことについて、お互いの英語力が重なる範囲で会話した。

義母は、私と初めて会うときにかなり緊張していたようだ。

「今度息子の結婚相手が日本から来るんだけど、どうしよう…」

と親友に相談したら、

「取り繕ってもどうせ後からバレて無駄なんだから、ありのままでいきなさいよ」

と背中を押されたらしい。

結婚して何年かしてから、義母が私に教えてくれた。今では笑い話だ。

義母が滞在している間は、けっこう忙しい。

滞在初日は、子どもの誕生日の2日前。
毎回、お昼過ぎに義母がやってくる。布製のスーツケースを引いて現れる義母は、ばっちりメイクを決めている。本人よりも先に、香水とヘアスプレーの匂いが、玄関から家の中に入ってくる。

年中スッピンで、香水なんか持ってもいない私とは、正反対である。ドイツのマンションに座敷わらしがいるとしたら、急に家の中の匂いが変わって、さぞかし驚いていることだろう。

子どもたちはというと、おばあちゃんが来て大興奮。ドイツ語の絵本やお気に入りのおもちゃを手に、義母にまとわりつく。マグネットでもついているかのように義母に吸い寄せられる子どもたちを横目に洗濯物を畳んだりしていると、あっという間に夜になる。

滞在2日目は、誕生日の前日。
普段は好きなだけ寝ている夫が、いそいそと全員分の朝ごはんを準備して、コーヒー片手に皆とテーブルを囲む。コーヒーの湯気とともに、「親の前だけいい顔をして」というモヤモヤが立ち上ってくる。

でも、そういった黒い気持ちは、自分の前に置かれた朝食やコーヒーと一緒に、胃酸が葬ってくれる。身体とは実に便利である。

誕生日の前日には、色々な準備がある。
日中のどこかで誕生日ケーキを焼き、デコレーションする。翌日に幼稚園がある場合は、幼稚園に持っていくクッキーも焼かなければならない。

夜、子どもたちが寝たら黙々とプレゼントをラッピングして、風船を膨らませ、ダイニングテーブルの上とその周りを飾り付ける。ドイツに来てドイツ語よりも早く上達したのは、お菓子作りと、ギフトラッピングである。

滞在3日目は、誕生日の当日。
まずは朝に、子どもがプレゼントを開ける。幼稚園がある日は幼稚園へ送っていき、午後お迎えにいく。誕生日が土日祝日と重なったら、動物園かどこかへ皆で出かける。

ドイツでは、誕生日に親戚から電話がかかってくるのが一般的だ。幼稚園から帰ったあと、あるいはお出かけ先で、いとこやおじいちゃんから次々と「お誕生日おめでとう」の電話がかかってきて、これまた忙しくなる。

滞在最終日は、誕生日の翌日。
朝食を食べたあと、義母は決まって、黒パンにチーズをはさんだサンドイッチと果物をお弁当として準備する。お弁当ができたら、身だしなみを整えて、荷造りをする。12時過ぎに発車する電車に間に合うように、街の中心にある駅まで、夫が車で送っていく。

義母が滞在している間、朝は眠い目をこすりながら、日中は誕生日関連のタスクと子どもたちの対応に追われながら、義母と当たり障りない話をする。
その日の食事のこと、子どものこと、天気のこと、ベルリンにいる他の親戚のこと…そんなところだ。

夜、子どもたちが寝たあとに、物理的に時間はある。でも、「みんな寝たことだし、お茶でも淹れてゆっくりお話ししましょうか」とはならない。

義母も私も、非日常のドタバタに振り回されて、エネルギー切れ。「今日は疲れたから、早めに寝るわ」なんて言って、滞在中は毎日、いつもよりも早い時間にベッドに入る。

上の子と下の子は、誕生日が1ヵ月も離れていない。3泊4日の滞在が終わって数週間後には、また次の3泊4日がやってくる。

1回目の滞在と違うのは、「園芸店で花を16株買ってきて、バルコニーのプランターに植える」というタスクが加わることだけだ。

義母は、ドイツ人にしては小柄で、身長が私と全く同じ。体重もほぼ同じ(だけれど、私の方がちょっと重い)。のっぺりとして凹凸の少ない体型の私に対して、義母は絵に描いたようなボンキュッボン。手に入らないと分かっているものの、ちょっと羨ましい。

身長体重という意味でのサイズ感が同じ義母と私だが、性格は正反対。

義母は明るくて、友人がたくさんいる。毎日親戚や友人と、電話でおしゃべりしている。お店に何かを買い行くと、まず店員さん話しかける。「自分で商品がどこにあるか探すよりも、店員さんに聞く方が早いから」とよく言っている。

一方の私は根暗で、友人はほぼいない。誰かと電話することなんて滅多にないし、お店で店員さんに話しかけるなんてもってのほかだ。お店で探している商品が見つからなければ、潔く諦める。

私の交友関係の少なさは、父によく似ている。父は人と密に関わる仕事をしているけれど、本質的には人が嫌いだ。周りの人間はバカだと、本気で思っている節がある。

父の「友人」という人を、私は1人も知らない。母でさえ、父の「友人」を知らない。父は平日真っ直ぐ家に帰ってきていたし、土日祝日も、誰かと出かける姿を見たことがない。父のスマホに連絡先として入っているのは、家族と職場のみ。片手で収まってしまいそうなシンプルさだ。

私は父とは違って、人を見下してはいない。でも、私のスマホの連絡先に入っているのも、ほぼ家族だけ。かろうじて大学時代に交換した連絡先がいくつか残っているけれど、卒業以来、片手で足りる程度の回数しかやり取りしたことがない。

不思議と、孤独感はない。私には、そういったつながりは、あまり必要でないようだ。

私から見ると、人と濃いつながりをもつ義母は、不思議な人間にうつる。そして、義母から見ると、人とのつながりが希薄な私は、不思議な人間にうつるようだ。

「こっちで友達を作らなくていいの?」「友達がいなくて、寂しくないの?」

毎年のように義母からそんな質問をされ、その度に私は、「友達は別にいなくていいよ。寂しくないから大丈夫」と答える。

義母は表情が分かりやすい。

「本当に理解できない」

義母が口を開く前にはもう、言いたいことが顔に書いてある。

私が父に似ている部分は、もう1つある。私は父と同じで、本当に口数が少ない。何とかした方がいいと思うのだけれど、私は根本的に、人に興味がないのだ。

目の前に人がいても、その人のことを「知りたい」という気持ちが、全然湧いてこない。だから、相手に何を聞けばいいのか分からないし、質問されても最低限の返答しかできない。

オンラインでは、画面の向こうの顔の見えない誰かに、多かれ少なかれ興味を持つことができる。そして、仕事のときも、滞りなく話すことができる。

でも、リアルかつプライベートだと、てんでダメである。私は、リアルで人と深いつながりを持つことを、無意識のうちに避けているのかもしれない。

どうして結婚できたのか、今でもよく分からない。夫が物好きなのだろうか。

夫は、干渉されることを嫌う。だから、おしゃべりで絶えず話しかけてくる妻よりも、無口でそっとしておいてくれる妻の方が、性に合うのかもしれない。いや、それにしても解せない。こんなにつまらない話し相手には、滅多に出会えないと思うのだけれど。

一方で義母は、よくしゃべる。というか、話題を見つけるのが上手い。家具、服、食べ物、窓の外の鳥、道に咲く花…目に入るものを何でも、話のタネにすることができる。天性の才能だと思う。

義母と私がおしゃべりしているときの発語量は、体感では義母が8割で私が2割。ごくたまに私が追加の質問をして話を広げることがあるけれど、基本的に私は、義母から聞かれたことに答えているだけ。

義母が私との会話を楽しんでいるのかは、よく分からない。話しかけてくれるということは、嫌われてはいないということだろうか。

私は上の子の妊娠中に、ドイツ語コースを受講し始めた。10年前に英語で始まった義母とのやり取りは、ドイツ語コースが始まった日を境に、ドイツ語に変わった。

私のドイツ語レベルには諸説あるが、義母と親戚との電話をこっそり聞いたところによると、「ゆっくり目に話したら、全然問題なく意思疎通ができる」らしい。

でも、私が電話を盗み聞きしたのは、確か一昨年だった。現在は、夫に話しかけるのと同じペースで、義母が私に話しかけてくる。どうやら、私のドイツ語は、一昨年よりは進歩している様子である。

義母と私は、生まれ育った時代だけでなく、国まで違う。でも、義母とぶつかったことは、まだない。

私がドイツ語で言い争いできるレベルに達していない可能性も、否めない。でも、私のドイツ語力は、たぶん本質的な理由ではない。

今まで義母とぶつかっていない一番の理由は、お互いの文化の違いを、違いとして受け入れているからだと私は思う。

文化の違いというのは、生活の細々したところに如実にあらわれる。

義母がシャワーをするのは、朝かお客さんが来る直前。私がシャワーをするのは、夜。

食洗機に入りきらない食器を手洗いするとき、義母はシンクにお湯をため、その中に食器用洗剤をと食器を入れて、ブラシでザブザブゴシゴシと洗う。私はお湯を流しっぱなしにして、食器用洗剤をつけたスポンジでザーザーゴシゴシと食器を洗う。

子どもたちが家の中で裸足で過ごしていると、義母は「足の裏が冷えて大変。靴下を履かせなきゃ」と言う。私は「足の裏が鍛えられていい。滑るから靴下はいらない」と言う。

相手の行動や言動にちょっと目を向ければ、粗なんていくらでも見つけられる。一日中文句を言いながら過ごすこともできるはずだ。でも、義母は私に文句を言わないし、私も義母に文句を言わない。

「文化の違いだから、仕方ない」

義母と私が、お互いについてそう思っているであろう現状は、私にとっては心地よい。

言葉の壁と文化の壁。2枚の壁をはさんで、義母と私は向かい合わせに立っている。

言葉の壁は、10年前に比べると、脆くなっている。でも、完全に崩れたわけではない。生まれ育った国が違うから、文化の壁は、同じ国出身の場合よりも分厚い感じがする。

私たちは、壁の崩れかけた箇所や穴が空いた箇所から、向こう側の相手をのぞき込む。

部分的には、相手のことが分かる。でも、分からないことの方が、圧倒的に多い。分からないことが多すぎて、無意識のうちに気を遣ってお互いぎこちなく振る舞っているような、そんな感じがしている。

10年前に初めて会った日、義母は何かを取り繕っていたのだろうか。それとも、ありのままだったのだろうか。私はまだ、ヒントさえ手に入れていない。

これまでの子どもの誕生日は、土日でも平日でも、義母と私以外の誰かが、家にいた。

ドイツに来て最初の誕生日はまだ上の子が幼稚園に通っていなかったし、次の年の誕生日からは、下の子がいた。それに、義母が滞在するときは、夫も何かと理由をつけて休みをとっていた。

下の子は今年、幼稚園に入園する。夫の会社は、今年新しい工場を立ち上げた。今後数年間は、休みをとりにくくなるそうだ。

子どもたちを小学校と幼稚園に送って、家に帰ってくるのが8時45分。お迎えのために家を出るのが14時15分。次の誕生日からは、義母と2人きりの5時間半が、できるのかもしれない。

5時間半の間、義母と何を話せばいいんだろう。何をすればいいんだろう。

子どものころ、私の家には父方の祖母が同居していた。でも、父方の祖母と母との関係は、控えめにいって最悪だった。

義母と嫁が上手くいかないというのは、何も私の実家に限ったことではなさそうだ。ネット上の掲示板をのぞいてみれば、義母への愚痴や恨みつらみが、これでもかと書かれている。

私は、リアルでもネット上でも、義母との関係性についてのお手本を持っていない。何が正解なのか、私にはよく分からない。手探りで進めるしかなさそうだ。

どうしよう。正直にいって不安だ。でも、「どこから始めようか」と、少し楽しみにしている自分もいる。

「この人のことを、もっと知りたい」

そんな気持ちが、私のどこかにあるということだろうか。

まだ霞んでいて、よく見えない。でも、私の中で、これまでにはなかった何かが芽を出し始めているような、そんな気がしている。

もし本当に、本当にそうだとしたら…

義母は、私の人生を、変えるかもしれない。『葬送のフリーレン』で、ヒンメルが、フリーレンの人生を変えたのと同じように。

だって、私が「人」について知りたいと思うようになるなんて、ちょっとした奇跡なのだから。





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