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ソル・ルウィットvs.やんツー~展覧会「ソル・ルウィット オープン・ストラクチャー」と「浮遊する器官」からみえたこと

心地よい。思わず大きく深呼吸をした。

「ソル・ルウィット オープン・ストラクチャー」東京都現代美術館)の展示室には、大小のドローイングや立体作品が距離をたっぷりとって展示されている。このように空間を贅沢に使った会場は、昨今なかなか見られなくなった。展示空間そのものが心地よい。少々大げさかもしれないが、これを体感しただけでも訪れてよかったと思えた。

鉛筆による繊細なドローイングは、
撮影したら肝心な部分が飛んでしまった(汗)


本展は、「コンセプチュアル・アート」を代表するソル・ルウィット(1928-2007)の日本の公立美術館初の個展だという。1980年代末頃からよく見るようになったルウィット作品のイメージは、オシャレ感のあるポスターにも使われ、松屋銀座のアートショップにも並んでいた記憶がある。そんなふうにしばしば触れていたせいか、個人的にはこれが「初」とは意外だった。

作品の背後にある概念やルール、システムを重視するコンセプチュアル・アートは、端的にいえば、コンセプトそのものが作品である。ルウィットは、1967年の論考「コンセプチュアル・アートについてのパラグラフ」でこの新しいアートの定義を発表し、広めたことで知られる。そう、彼は理論家でもある。そういう人だからコンセプチュアル・アートが生み出せたのだろう。

ルウィットの作品の実制作は「ドラフトマン」が担う。つまりルウィットの仕事は指示出しと最終確認で、ドラフトマンへバトンタッチした後の工程において「遊びが生まれる余地」がある点が、彼のアートの面白いところだと思う。指示から読み取った内容をかたちにしてみせたとき、なかには「こうきたか!」とルウィットをうならせる案があったかもしれない。もしかしたら、彼はそのような提示を期待していたのではないか、ドラフトマンの解釈と視覚化を楽しんでいたのではないか、と想像をふくらませてしまう。

ドラフトマンの方は、キャプションなどにみえるテキストよりも詳細な指示を受けていたのではないかと思われる。が、私たち鑑賞者には知る由もない。試しにイメージと照らし合わせながら、短めのテキストを選んで数行読んでみた。すると、いくらか「遊びが生まれる余地」がありそうな感触があった。

例えば「halfway」と「midpoint」の使い分け。

ルウィットの指示には「halfway」と「midpoint」が頻繁に出てくる。両方とも日本語にすると「中間」だが、「midpoint」は「まん真ん中」を指す。一方、「halfway」は「途中・途中で」と訳すこともできる。私はネイティブではないので断言しかねるが、イメージと見比べても、このときの「halfway」は「まん真ん中」に限らず、曖昧さがあるようだった。「(〇と〇の)途中」なら「まん真ん中」より選択肢は増すはず。その分ドラフトマンの裁量で作れるイメージは広がって、バリエーションがより豊富に生まれ得るに違いない。……と推察した。
( ↑ もし間違っていたら教えてください。)

作品上には簡潔な指示が書き込まれているが
それを読んだだけでは、線や図の正確な位置関係はわからない
キャプションにはもう少し具体的な指示が示されていた
ドラフトマンにはより詳しい指示が与えられたのだろう
「halfway」と「midpoint」を使った簡潔な指示が
画面上にあるのだが、すっかり飛んでしまった

短いテキストを選んで少し読んでみた
全文読んだらさらに気づきがあったかも……


……そうはいいつつ、私にとってルウィットといえばこちら  ↓  。これらのウォール・ドローイングにみえるイメージが脳裏に焼きついている。


↓  こちらは、そうそう、こういう作品あったな、と展示を観て記憶がよみがえった作品たち。どちらかというと、立体作品は『美術手帖』などで目にする方が多かったかもしれない。


アーティストが指示を出し、それに基づいて別の誰かが視覚化・造形化する。この1960年代後半に現れた作品制作のあり方は浸透し、もはやコンセプトを強調する作品でなくても広く実践されている。例えば、草間彌生の立体作品《南瓜》のように。

タイムアウト東京HPより引用

最近観たやんツーの個展「浮遊する器官」BUG)もまたその種の作品に挙げられるだろう。
ちなみにちょっとややこしいかもしれないが、この個展の場合、展覧会=作品そのものである。

***

やんツー(1984-)はテクノロジーを駆使した作品で知られる。折しも現代美術の賞である「TCAA(Tokyo Contemporary Art Award)2026-2028」を先日受賞したばかり。これからますます注目されるだろうアーティストである。

「六本木クロッシング2022展 往来オーライ!」(2022年12月~ 2023年3月 森美術館)
展示風景


新作「浮遊する器官」は、AIを搭載したドローン(役:子ども/男)と木材を使った素朴な造りのカタパルト(投石器、役:大人/男)による対話劇で、鑑賞者はフェンスで仕切られたスペースの外から劇を眺める。

個展の風景(上演前後)
ドローン
戦地で実際に使われているDJI社製「Movic 3」
カタパルト(投石器)


二人(?)の対話は、隣接するカフェのコーヒーの話題からスタート。雰囲気はなごやかである。カタパルトのそばに置かれたモニターと一番奥の壁には、二人の声の字幕と対話内容に即した映像が映し出される。

ところが話が進むにつれて、雲行きは怪しくなっていく。そしてシーンが転換するや否や、武器である両者は戦争の記憶をたどりつつ、それぞれが担う役割の正当性を主張、併せて非難や問いを相手にぶつけ出す。空中に浮いたドローンはブーンと音をたてながら時折前後、左右、上下に動く。やがて彼らの主張や非難は堂々巡りの様相を呈し、それまでやや優勢に思われたカタパルトが突然武力を行使……。

正直なところ、「命令通りにやっているだけ」を繰り返し、戦争への強制動員や責任回避を強調するドローンの発言を聴いていると、子どもだから、フィクションだから、と思いながらもイラっとした。

カタパルトもカタパルトで、独りよがりな論理を盾に正当性を主張し、強い口調でドローンに迫る。大人気ない、と思った。だが考えてみれば、相手が誰であれ、自分の主張を頑なに通そうとして軋轢が生じる事態は、国内でもあちらこちらで起きている。キレて暴力沙汰になるケースも珍しくない。そして、これらは大人か子どもかは関係なく発生しているように思う。戦争につながりかねない対話のずれや関係性のもつれ、圧力は、戦時下にある国家間のみならず、私たちの周囲にもある、と改めて考えさせられた。

興味深いことに、約20分にわたるこの対話劇は上演されるたびに内容が変化するという。

劇の後、フェンスの向こうに足を踏み入れると、静まり返ったスペースの壁沿いに、制作日誌などの資料が貼られていた。なかでも私が最も注目したのは、壁に直接手書きされた「プロンプト」だった。実は、先の対話劇はこのプロンプト、すなわち「指示」を受けた生成AI(Gemini)によって作られていたのである。クレジットを確認すると、「脚本編集:Gemini」「発話生成:Gemini」とあった。

この傷ついた壁も対話に出てきた
カタパルトがドローンに向けて投げつけるのは、
実は身の回りにあるモノだった
やんツーらしいユーモアがこんなところに!
制作日誌など
プロンプト
生成AIにまず「あなたは劇作家です」と指示している


近年生まれた職業に「プロンプトエンジニア」がある。生成AIから高精度でかつ目的通りの出力を引き出すための指示文(プロンプト)を設計する専門職である。本作におけるやんツーの役割は、まさにプロンプトエンジニアに相当するだろう。

テクノロジーの発展に伴い誕生したプロンプトエンジニアリングだが、このたびやんツーの新作を観て、その手法は基本的にソル・ルウィットのそれと軌を一にしていると感じられた。ただ、ルウィットの思想が当時革新的であったものの、美術の枠組みから出ることはなかったのに対し、やんツーの作品は現代社会と呼応した、開かれたものになっていることは明らかである。

ルウィットの思想を吸収し、応用し、発展させた「指示出しとそれに基づく創作の系譜」の最も新しいかたちを見た思いがした。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

<追記>
なんと、やんツーさんが、次のコメントと共にXでこの記事を紹介してくださいました!とてもとても 励みになります!!やんツーさん、改めてありがとうございました!

プロンプトもインストラクションでソル・ルウィットの系譜で見れると、なるほどです

↓ お礼を伝えたところ、お返事をいただき……

今回の作品良くも悪くも美術の文脈をそこまで意識せず制作したので、ルウィットにつなげて語れるというのは自分の中に全くなかった視点で本レビューを読んでハッとしました!こちらこそ、こういったレビューや感想は大変励みになります、ありがとうございます。

やんツーさんの3月25日のXより



<参考>
やんツー個展「浮遊する器官」、BUG HP(2026年3月23日最終閲覧)


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