【読書記録】テヘランで『ロリータ』を読む アザール・ナフィーシー

2025年5月28日現在、米国のトランプ政権が留学生受け入れを実質的に停止し、これに抵抗するハーバート大学の闘いを、世界中がかたずをのんで見守っています。
学問の自由。
『テヘランで『ロリータ』を読む』は、イスラム共和国イランで、ヴェール着用に抵抗してテヘラン大学を辞任した英文学教授の、テヘランでの日々の回想記です。
イスラム共和国における「自由」度は「4月の天気」のように目まぐるしく変化し、予測不可能。大学へはしばしば圧力がかけられ、イスラム教徒学生は党派で分断され、女性の立場も不安定です。
ナフィーシー教授は信条を貫いて大学を去り、自宅で自由に、でもこっそりとお気に入りの女生徒だけを集めて読書会を開きます。
ナボコフ、フィッツジェラルド、ジェームズ、オースティンらをはじめとするさまざまな英米文学作品について学生たちと議論する過程で、ナフィーシーは必然的に彼女たちの人生と生活における苦悩に向き合うことになります。
『ロリータ』という作品だけが扱われているわけではないのに、このタイトルになったのはなぜか。冒頭で著者はこう語ります。
「イスラム共和国イランにおけるわたしたちの生活にもっとも共鳴するフィクションは、『ミス・ブロディの青春』でも『1984』でもなく、ナボコフの『処刑への誘い』または『ロリータ』だろう」
イスラム革命下に生まれ育った女性の人生には、大きな空白があります。あらゆる経験から切り離され監視下に置かれた、失われた日々。
いっぽう『ロリータ』の語り手ハンバートという小児性愛者の罪の深さは、ロリータというひとりの人間のかけがえのない人生の時間を抹殺したことにあります。ハンバートは病んだ独裁者であり、ロリータはその犠牲者です。
「イスラム共和国に生きるということは、毛嫌いしている男と寝ることに等しい」
ナフィーシー教授の教え子たちは、いや、イランの女性たちはみな、大切な時間を独裁者に奪われた「ロリータ」なのではないか。
向学心に燃え、秘かに勉強を続ける女学生の多くは、イスラム世界における男女の関係、結婚問題、そして家族のしがらみに悩み、政治運動で逮捕・投獄され、処刑された人もいます。
教授はやがて、煩悶の末に、学問と言論の自由を求めて米国に移住します。
そして30年経った今、ナフィーシー教授がイスラム・ナショナリズムの圧政から逃れてやってきた米国は、キリスト教ナショナリズムとMAGA共和主義者の帝国になろうとしています。
学問の自由は心の自由。何があっても、どういう形になっても、死なない。
これだけは心から信じています。
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