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【読書記録】原爆ドームと『五色の舟』津原泰水/近藤ようこ

『五色の舟』(漫画:近藤ようこ/原作:津原奏水)KADOKAWA 2014

先日、連休を利用して初めて広島に行きました。
いつかは行こうと思いながら、あと延ばしにしていたのですが、今年8月6日に開催された広島平和記念式典での湯崎英彦知事のあいさつに背中を押されました。

国破れて山河あり。
かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。
国守りて山河なし。
もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。概念としての国家は守るが、国土も国民も復興不能な結末が有りうる安全保障に、どんな意味があるのでしょう。

湯崎英彦知事のあいさつ(抜粋)

東京から飛行機で広島に到着したのは午後遅くで、路面電車に乗って平和祈念公園にたどり着いたときには、すっかり日は暮れていました。爆心地にあった建物は、爆風の真下に位置していたため、鉄でできたドームの枠組みとコンクリートの構造部分の多くが残されました。建物内で働いていた人びとは全員即死されたそうです。写真から想像していたよりも小さな建物でした。
 
闇の中で柔らかい灯りをともされて佇む原爆ドーム。

広島をたずねたもうひとつのきっかけは、『五色の舟』(漫画:近藤ようこ/原作:津原奏水)という漫画でした。河出文庫『11-eleven-』に収録されている原作は、「Web河出」でも読むことができます。

『五色の舟』コミックス版。

戦時下の広島。見世物小屋の一家が、町を流れる川に浮かぶ舟の上で暮らしている。自分たちの身体の障碍を煽情的に演出して見物人からお金をもらっている。血のつながりのない5人は、脚の無い「お父さん」を中心に、仲よく助け合いながら、からりと陽気に生きている。あるとき「くだん」という人間語を話す牛のうわさをきいたお父さんは、これを手に入れて出し物にしようと決める。彼らは徒歩で岩国へと向かった。過去と未来の真実しか語らないという人面牛との出会いが、一家の運命を変えることになる。その直後に、広島に原爆が投下される。
…というお話です。

「くだん」は一家を、原爆が落とされなかった広島という「ありえたかもしれない世界」に連れて行きます。戦前と同じく活気ある戦後の広島の姿は、平和祈念資料館で見た災禍直前の町の写真そのまま。良心的な米司令官が治めるこの世界では、一家全員が最新医療の手術を受け、義肢を手に入れて安らかに暮らします。しかしそこにいるかりそめの自分が幸福であればあるほど、残してきた「現実」世界の悲惨が強く示唆されます。

アン・マキューアンの『贖罪』や、リチャード・パワーズの『舞踏会へ向かう三人の農夫』でも描かれている、「ありえたかもしれない世界」。それは小説のなかに語り込まれ、小説世界の「現実」の一部をなし、残酷な現実の反転とでもいいたくなるような、生命の祝福に溢れています。
悲しみや無念や慚愧などの激しい負の情動によって生成された「ありえたかもしれない世界」は、物語による鎮魂と救済なのでしょうか。

また、産業奨励館(=原爆ドーム)と異形の一家は、科学技術に翻弄される地球のメタファーでもあります。
美しく立派な産業奨励館が、産業奨励館として存続し戦後復興の象徴となるか、「原爆ドーム」として反戦の象徴となるか。見世物小屋一家が原爆の犠牲になるか、新しい身体を手に入れるか。
科学技術の驚異の進歩が、わたしたちにとって地獄になるか恩恵になるのか、その分かれ道はどこなのでしょう。

わたしたちは自分のなかの「くだん」にこの問いを投げかけ続けなければならないのだと思います。そして犠牲にならなければならなかった広島と長崎の人びとの供養として何をしなければならないのかも。

原爆は、一度使えば使った側が非難を免れないほど強力な兵器です。落とすと、あとにはもはや何も残らない。戦勝国が収奪するものすら無くなる。つまり、少なくとも二重の意味で、核は戦争を正当化できない

須藤輝彦、「距離の問題――あるいは戦争と批評」、『世界』2025年11月号、岩波書店


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