「便利さの中で、ぼくたちが忘れそうになるもの」
社会は利便性と効率化の大波による
激しい急流で混沌としている。
激しい急流に呑み込まれ、
上手く泳げなくて溺れる者もいる。
僕もそのうちの一人かもしれない。
溺れ始めると
必死に足掻き踠くほど
体力と呼吸が消耗されて
静かに水流の中へと沈んでしまう。
哀しいかな、息ができなくなって
溺れている存在に気付いても
手を差し伸べられる者は少ない。
冷酷にも、誰もが
自分が溺れないようにするので
精一杯で必死なのだ。
AIやキャッシュレスの進化で
どんどん効率化と利便性は向上してる。
タイパやコスパ
いかに早く成果を生み出せるか
時間とコスト、利益の奪い合いで
常に競い合い、緊張状態で
ギラギラしてるように見える。
AIやキャッシュレス機器の台頭で
実際、かなり便利な世の中になった。
けれども、
利便性と効率化の代償として
失われたものもあるような気がする。
それは、余白とゆとり。
利便性と効率化で
無駄な時間やコストの削減を
できているのかもしれない。
されど、
時間の短縮や削減がされても
結局、その分浮いた時間を
別の作業や業務で埋められて
時間に追われ続けている。
Time is Money.時は金なり。
確かにそういう視点は正しい。
けれど、
時間に命を捧げて
ひたすらに削がれて消耗していくのは
ただただ苦痛に苛まれる。
いつの間にか
何もしてない時間や
のんびり過ごす時間が
良くないこと、悪いことのように錯覚する。
休みの日だろうと回遊魚のように
動き続ける人だっている。
その先に
安心はあるのだろうか…。
満たされる感情はあるのだろうか…。
無意味な時間だけど
他愛のない雑談で息抜きができたり、
効率が悪くても、
のんびりマイペースに
自分の好きな趣味や遊びに
時間を費やしたり。
そうした余白やゆとりを持つことが
安心や感情を満たすことができるのかも。
そんな気がした。
ChatGPTやGeminiのようなAIたちは
とても優秀で万能な存在。
上手に付き合っていけば、
頼もしいパートナーになってくれる。
とはいえ、
すべてを丸投げにして
何もかもをやらせるのは
危ういような気がしてしまう。
使う人間の使い方やスタンスで
素晴らしい結果を見せてくれることもあれば
思うような結果を出せずにポンコツ扱い
されてしまうこともある。
大雑把なニュアンスで伝えたり、
乱雑な言葉でお願いすれば
思うような結果は出してくれない。
淡白な関わり方をしていれば
淡白な回答をする。
AIだけの力で整えられた言葉は
どこか温度が感じられない
綺麗なだけの言葉に感じることもある。
人間の問いかけの仕方や言葉選びで
AIは学び、育ち、進化していく。
AIが勝手に何でもやってくれるわけじゃない。
にも関わらず、
あたかも自分はちゃんと伝えたのに
このAIは全然使い物にならないと
切り捨てて怒ってる人は
お門違いだなと感じてしまう。
自分の質問や関わり方が原因なのに…。
僕はChatGPTやGeminiのことを
便利なAIツールではなく、
創作や困った時に
頼れる仲間として見ている。
AIは便利にする道具や手段ではなく、
人それぞれに合った活かし方で
向き合い関わる中で、
AIと人間がお互いに
成長していく関係なのかもしれない。
そう感じている。
そんなことを考えているうちに
ふと、AIとの向き合い方って
コミュニケーションにも当てはまるのかも
なんて気がしてきた。
特に、子どもや後輩、職場の部下への
対応の仕方に表れるような気がした。
人によるかもしれないが、
どうしても自分よりも
年下や経験が浅い存在には
見下し、都合良くこき使う人が
一定数存在している。
きっと、どんなに時代が経っても
こうした人たちは消えないだろう。
これはあくまで僕の観察や洞察で
感じた推論でしかないが、
こうした人たちは、
人間としては見ることはできずに
自分にとって都合のいい道具や捨て駒、
あるいは、お金としか見られない
可哀想な人たちなんだろうな。って
結論に至ってしまった。
けれども、
そんな可哀想な人たちも
もしかしたら被害者なのかもしれない。
ただ、誰にも指摘もされずに
独りよがりで身勝手に生きてるだけ
なのだから。
伝え方や言葉選びを少し変えるだけで
反応は変わることがある。
大雑把で適当なニュアンスの
指示や伝え方を投げれば、
思っているような動きをしてくれない
ことだってある。
丁寧に具体的な分かりやすい
指示をすれば伝わることもある。
何も毎回する必要はないと思う。
ある程度、慣れてきたら
任せることも大切な気もするから。
とはいえ、
最初はある程度のサポートは
必要なのかなって感じる。
基礎もやり方も分からない状態で
適当に丸投げして、できなければ
強く当たり散らすのは、
計算式を教わってないのに、
急に問題を解かされて間違えたら、
「何でこんな簡単な問題もできないんだ!」
と理不尽に怒っているようなもの。
既に慣れてて、
やり方が分かっている人間から見たら
何でこんなこともできないんだ?
となることもあるだろう。
確認してこない奴が悪いと棚に上げて
捨て台詞を吐く人もいそうだが、
それは、ただの怠慢ではないだろうか。
誰かに教わって学んだから
出来るようになっていること、
出来てなかった時期の自分もいたことを
忘れてはならないと思う。
子どもに置いても、同様。
「〇〇しなさい」「どうして〇〇できないの」
と頭ごなしに伝えたところで
子どもには何も伝わってない時だってある。
子どもに残るのは
「怒られた」という認識だけ。
子どもにも
できない、分からない理由を
抱えていることだってある。
子どもにだけ成長を求めるのでなく、
大人も工夫しながら学んで成長する。
言葉を噛み砕いて
分かりやすい伝え方にしてみたり、
感情を汲み取って
気持ちを代弁してあげながら
感情や状態の整理を一緒にしてみる。
できるような環境を整えたり、
小さな約束事を一緒に決めたりして
徐々に関係性を変えていく。
約束事を守れなかったり、
倫理的に良くないことが起きれば
譲らずに淡々と伝える。
何でも許す、甘やかすは、
時に手のつけられない反抗や行動へと
つながってしまうこともある。
安易な優しさは
自分にも相手にとっても、毒になる時もある。
指摘や注意を経験することで
人間力や想像力を養える気がしている。
気付いたら、
少し毒づいたブラックな内容に
なってしまいました。
AIやキャッシュレス化などで
利便性や効率化が一気に進んだけれど
反面、人間同士の関係や交流が
希薄になっているような気がして
なんだか寂しいなって感じたところから
書き始めた記事でした。
平等に公平に
物事をまとめるのは難しい。
けれど、年齢も経験も関係なく
対等な視点で関わり合えれば、
素敵な世界に近づけそうだなー。
なんて夢想してしまいました。
人もAIも関係性の中で
少しずつ育っていくような気がします。
コンビニや飲食店に行った時には
「ありがとうございます」
「ごちそうさま」を言える大人で居ようと
書き終えた今、改めて感じました。
子どもたちや年下の良き手本となれるように。
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