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【短編小説】彼は踊る、ピアノの音がする

うららが死んだ。

もう十五年は会っていない元恋人の訃報。
最近はSNSが発達して、こういった報せの第一報が人伝ですらない。

かつて活躍した、日本人バレエダンサーの早過ぎる死は、安易な追悼の言葉を並べるのにちょうどいいのか、表舞台から姿を消して久しいというのに、誰もが身近な人間かのような顔で悼んでいた。
本人が見たら鼻の先で笑いそうな騒ぎだ。

拡散され、僕のタイムラインにまで回ってきた小さな画面の中で、うららが踊っている。海外に拠点を移した直後のガラコンサート。この頃は、まだ付き合っていた時期だ。

葬儀に行くか迷って、結局行くことにした。
葬祭場は思っていた以上にアクセスが良く、清潔で明るかった。
入り口の見るからに重たそうな木の扉は、近づいてみたらなんのことはなく自動扉で、僕が立つのと同時に静かに横に開いた。
吹き抜けのガラス窓からは嘘みたいに明るい陽が差して、エントランスはキラキラした光に満ちている。

その光の中心にある黒い革張りのベンチに、生きているうららが腰掛けていた。

昔と何も変わらない。
長いまつ毛、高い鼻梁、西洋の絵画から抜け出した天使。
天使を眺めるのに、おあつらえ向きのクラシック音楽が聞こえる。
本当にその音が聞こえているのか、僕の頭で勝手に流れているメロディなのか判断がつかない。グールドの弾く、ゴルドベルグ変奏曲。うららが好きだった曲。

黙っていれば美しい彫像のようなのに、口を開けば飛び出してくるのは文句とわがままばかりの、天使というよりは悪魔みたいな、ただの癇癪持ちの悪ガキだった、うらら。

僕は、自分のいる場所が一瞬わからなくなった。
わからなくなって、その衝動のまま、

「うらら?」

と呼びかけた。


呼びかけに応じるように、うららは、ゆっくりと僕を振り返ると、ぱちんと瞬きをした。
そうして、
「叔父のお知り合いですか」と言った。

魔法が解けた気持ちだった。
うららのはずがない。うららは若いままで、自分だけ歳を取って出会うなんて。

よく見れば、まだ少年と言っても差し支えないような男の子だった。通っている学校の制服なのか、黒い詰襟を着ている。

うららじゃない。

ゴルドベルグ変奏曲はまだ流れている。
多分、会場内のオーディオでかけられているのだろう。

「そんなに似てます?」

間違えた気恥ずかしさで、二の句が継げずにいる僕に彼はくすりと笑うと、立ち上がってこちらを向いた。

笑い方の、ちょっと嫌味なところがうららに似ていた。
うららより少しばかり上背があるように感じる。確かではない。だってもうずいぶんと昔のことだ。

「君は、うらら、いや、浦澤くんの」
「甥です」
はじめまして、と言って、男の子は僕にぺこりと頭を下げた。

叔父。
うららにはあまり似合わない言葉だ。

「この度は、ご愁傷様です」
かろうじて吐き出した言葉と共に、僕も頭を下げる。うららによく似たうららの甥は、軽い調子で首をすくめた。

「来てくださってありがとうございます」
「君は、」

君は、の続きに僕は何を言おうとしているのだろう。おざなりに開いた僕の口は、鋭く響いた女性の声で遮られた。

「ハルくん!」

自分の名を呼ばれたと、そう思って僕は振り返った。
それと同時に、目の前の彼が、
「なに?」
とその声に応じた。
廊下から僕らのいるエントランスを、喪服姿の女性が覗き込んでいる。
女性は僕には目もくれず、
「そろそろ始まるから、こっち来といて」
と言うと、パタパタと足音を立てて廊下を去っていった。

女性がいなくなってしまうと、あたりはしんと静かで、葬儀のために人が集まっているようには到底思えない。
明るいエントランスには、相変わらず僕と彼しかいない。

「ハルさん」

と、唐突にうららの甥が言った。
びっくりして彼を見る。

「やっぱり、ハルさんだ。ピアニストなんでしょう?」

イタズラが成功したような顔で、うららにそっくりの顔が笑った。

「昔はね。今はもうピアニストじゃないよ」

うららの練習に付き合って、よくピアノを弾いた。エアコンの効きが悪い、小さくて汚い稽古場で。繰り返し繰り返し彼が踊るから、繰り返し同じ曲を弾いていた。

「僕もダンサーなんです。叔父に教わっていて」
うららが、人に何かを教えるなんてイメージが沸かない。

「あなたのピアノで練習してきたんですよ」

まさか、と思った。
冗談かと笑おうと思ったのに、彼がポケットから無造作に引っ張り出したUSBに見覚えがあって、黙った。

一度だけ、うららのレッスン用にと、僕のピアノを録音したことがあった。
頼まれてやったことじゃなかった。あったら便利かと思って、勝手に録音しただけ。うららは大して嬉しくもなさそうにUSBを受け取って、僕の前では一度も使わなかった。

それを、彼が持っている。

「嬉しいな、ハルさんに会えるなんて」

うららは、何を思って自分の甥にバレエを教えて、僕のピアノで練習をさせていたのか。
知る術を失った僕に、うららの笑う声が聞こえた気がした。



(本文文字数:2,000字)

#すべて失われる者たち文芸賞  参加作品です。



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