【風まかせ文芸部】ソフトクリーム【2000字小説】
「ソフトクリームの看板ってよくないですよね」
と薫子は唐突に言った。
美吉が彼女の視線の先を辿ると、通りの向こうのスーパーマーケットの店先に「ソフトクリーム」と書かれた看板がある。
美吉はしばし首を傾げた後、
「食いたいってこと?」
と聞いた。
聞かざるを得ない空気だった。あまりにも薫子がソフトクリームの看板を睨みつけているものだから。
薫子は、ぐぎぎと錆び付いた音がしそうなほどゆっくりと、美吉のほうへと顔を向けると、
「公演本番が間近に迫ったバレリーナにそういうこと聞きます?」
と、苦虫を嚙み潰したような顔をして見せた。
「いや、あの程度消費できるだろさすがに」
「そりゃ、美吉さんはいいですよ、持ち上げられるほうじゃないですもんね、こちとらリフトされるほうですからね!」
そんなやり取りをしながら、結局ものの数分後には、二人は空調の効いたイートインスペースに並んで座って、ソフトクリームを食べていた。
今日も気温は40℃を越えている。
そもそも、息をして、吸った空気が熱くてたまらないのだ。呼吸をするだけで、身体の中が煮えていく。こう暑くては、「生きる」ことでカロリー消費は十分じゃないかと思うけれど、
「これで私を持ち上げる一誠の腰が壊れたら美吉さんのせいですからね」
と、しょうもないことを言う。
「おまえね、人に奢らせといてその言い草はないだろ」
「おいしいです、ありがとうございます。あー、久しぶりに食べるソフトクリーム」
「俺もだなあ」
美吉がゆっくりと食べている隣で、薫子は本当に味わったのかと疑問に思うほどあっという間に、コーンにたどり着いている。
ばりばりと音を立てて咀嚼をしながら、
「そういえば、ソフトクリームって、微妙な思い出があるんですよね」
と言った。
「え、この期に及んでまだいちゃもんをつける気か?」
「ちがいますよ、本当のソフトクリームに対する思い出じゃなくて、あくまでも“ソフトクリーム”って言葉に対する、思い出です」
美吉はまだ、コーンにたどり着けていない。
「美吉さん、食べるの遅いですね」
「おまえが早すぎるだけだろ。それで?」
「え?」
「ソフトクリームの微妙な思い出は?」
一瞬忘れていたらしい薫子は、ああ、その話でした、と呟いた。
「自分から言い出したくせにおまえ……」
「すみません。ま、言っておいてなんなんですけど、大した話ではなくて。その、子どもの時に通っていたバレエ教室で、ソフトクリームを摘むって練習があったんですけど、それが嫌だったって話です」
「つむ?」
「今振り返ると、小さい子ども相手で、先生方も苦肉の策だったんだとは思うんですけど。レッスンの中で、お姫様になった気持ちでお花畑に座ってって言われるんですよ。それで、最初はお花を摘む練習だったんですけど」
そう言って、薫子は、ソフトクリームを持っているのとは反対の腕を優雅に動かして、空中から見えない花を持ち上げる。
「マイムと、アームスの練習だったんだろうな」
「そうだったんでしょうねえ」
バレエは、言葉のない演劇だ。
物語は、踊りと、身振り手振り、つまりは“マイム”で表現する。そのためにも、なんてことのなさそうな腕の動きひとつ、おろそかにすることはできない。
その訓練を、子どもの頃からできるというのは、理想的なことだろう。
「ただそれがですね、途中からソフトクリームになったんですよ」
「ソフトクリーム?」
「そう、お花が生徒たちに不評で、先生たちがソフトクリームを摘んでって。私、それができなくて。だって、ソフトクリームって生えてなくないですか?」
真剣な薫子の言葉に、美吉はむせた。食べかけていたコーンがのどに詰まりそうになる。
「それでもね、先生がソフトクリームの畑だって言うなら、まあしかたないなと思って、私は素直にソフトクリームを摘んだんです、こうやって」
薫子は手を円筒形のものを包むような形にして見せる。
あくまでも優雅に、空中からソフトクリームをコーンを抜いていく。
「そうしたら先生が“薫子ちゃん、手はそうじゃなくて、こうよ”って。お花を摘むのと同じようにしろって、でもそんな指先でつまんだらコーン持てなくないですか?」
「いやまあ、演劇的にはお前が正しいと思うよ」
「そうですよね? でも、演劇的正しさなんて求められてなかったわけですよ」
「まあ、ただのアームスの使い方の指導だからな。ソフトクリームなのは、子どもの注意を引くためだけのもので、なんでもよかったんだろうし」
「そう、でも私はそれが、どうしても嫌だったんです」
薫子は、さいごのひとかけをぱくんと、口に入れ、もぐもぐと口を動かした後、紙ナプキンでぐい、っと口元をぬぐった。
「ソフトクリームは、お花みたいに生えてないし、お花を摘むみたいには持てないんですよ。そういうの、ちゃんとしてないと嫌だったんです」
かつての小さなバレリーナは、そう言って笑うと、なにもない空間へ、優雅に指を掲げて見せた。
久しぶりに風まかせ文芸部さんに参加させていただきました。
※見出し画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。
