【短編小説】ミニトマトのスープ
母の姉である伯母の話は、我が家ではほぼ禁句に近く、私は、自分の家族の(具体的に言えば両親の)、目を盗むようにして伯母と交流を持たなければならなかった。
自由奔放な人だ、と家族は伯母を評した。
それは、彼女の妹である私の母からも、彼女の母親である私の祖母からも、彼女の義弟である私の父からも、機会は少ないものの「伯母」というトピックに関して話すことがあれば、必ず使われる言葉だった。
私が知っている伯母は、自由奔放と言うには、あまりにも生きづらそうに見えた。
子供じみていて、細かいことをよく覚えていて、自分が喋ったことを、喋りすぎたと、必ず後になってひどく気に病んでしまう。
時たま、私がすっかり忘れている事柄に関しての、長文の謝罪らしいメールが、奇妙なタイミングで届いたりした。往々にして、それはとうに過ぎた事柄であって、私はその長文のメールを見ながら、一体この話は何のことだっただろうかと、記憶を掘り返さなくてはならなかった。
そうして私はその度に、気にしなくていいと同じくらい長い返事を送ったり、電話をしたりしなくてはならなかった。
そんな調子の人ではあったけれど、とはいえ、なぜ伯母の話が禁句なのか。
私は、家族の誰からも何も教えてもらえないまま大きくなった。
伯母について私が話題にすれば、家族から聞こえないふりをされたり、直情的に叱られたり、何も教えられていない子どもにしてみれば理不尽な目にばかり合っていて、私は今となってはむしろ、家族よりもよっぽど伯母のほうが好きだった。
その伯母が、不意に死んでしまった。
去年の春先のことだった。
我が家から排斥されていた伯母のお葬式や、お墓のことなんかは、彼女が死ぬ直前に結婚をした、長らく伯母のボーイフレンドだった、なずなくんが全てやってくれた。一切合切、私の家には何の相談も入らなかった。
なんにせよ、人が死んだ時、死んだその人をどうするのかは、伴侶という立場が一番強いらしい。なずなくんがそう言っていた。
多分、彼はそのために伯母と結婚したのだと思う。なずなくんの年は伯母よりもうんと下で、伯母とよりも、私とのほうが近い。
なずなくん、というのはあだ名で本名は違うのだけれど、伯母も私も、彼のことをなずなくんと呼んでいた。
二人がどうやって知り合ったのかとか、いつから交際していたのかとか、そういう話はまったく知らない。私は知らないことが多い。
今日の夢に伯母が出てきた。
伯母は、なんだか偉いお坊さんが着ていそうなきらきらの糸で刺繍がしてある、オレンジ色の袈裟のようなものを着て、真剣な顔で台所らしい場所に立ち、すごく立派な分厚いまな板の上で、何かを熱心に切っていた。
「カナちゃんなにしてるの」
と、私は伯母に言った。私は、伯母の事をカナちゃんと呼んでいた。
「スープをね、なずなくんに作ろうと思うんだけどね」
と伯母は言った。言いながらも、長くて細い、緑色のわけぎみたいなものを、ゆっくりと切っていた。
「なんだかうまく切れないんだよね」
「私がやろうか」
伯母は、心底驚いたというような顔で私を振り返った。
「やあ、まったく思いつかなかったよね」
「なにが」
「自分でできないことは、他人を頼ればいいということ」
「他人じゃないよ。姪だよ、あなたの」
「そうだった」
伯母は、そう言うとからからと笑った。生前の伯母よりも、肩の力が抜けているような笑い方だった。
「じゃあ、お願いしようかな。作ってもらえる? 作り方はなずなくんに聞けばいいから」
ぱちん、と目を開けると、そこはもう私の部屋の自分の布団の上で、奇麗な袈裟を着た伯母はどこにもいなかった。
耳の中でまだ伯母の声が残っている気がする。
私は途端に、伯母の不在をなんだかしみじみと感じてしまって、起きるには随分早すぎる早朝の、カーテンからもれる青白い外の光を見ながらひとしきり泣いた。伯母が死んだことで泣くのは、これが初めてだった。
なんにせよ、スープを作らねばならない。
と、私はしっかり泣いたあとで思った。なずなくんに聞いて、スープを作らないとならない。
伯母となずなくんが住んでいた家は、そのままなずなくんが一人で暮らしている。賃貸の一軒家だが、そもそも家の持ち主はなずなくんの親戚だと前に聞いた。それで、格安で借りられているのだそうだ。
私は、てっきりなずなくんも家族仲が悪くて天涯孤独か何かで、伯母となずなくんは、互いに二人きりなのだと思っていたので、なずなくんが全然そんなことなく、彼には彼の家族があったり親戚づきあいがあったりするとわかって、その話を聞いた時、なんだかびっくりしたのだ。
久しぶりに会ったなずなくんは、一回りくらい小さくなっているように見えた。
「それで何のスープを作るのさ」
玄関先で会うなり夢の話をまくしたてた私に、彼は眠そうな調子で言った。私が見た伯母の夢の話は、わりとあっさり受け入れられた。
「たぶん、それもなずなくんに聞かないといけないんだと思う」
なずなくんは、あくびまじりに台所に向かいながら、うーんと首をひねった。
「特にこれといってないんだよなあ、思いつくものが。可南子さんは料理もする人だったとは思うけど。スープとか、そういう優しい感じのものに思い入れの無い人だったし」
「普段何が多かったの」
「炒め物かな。いつも辛くするんだよね。山椒とか鷹の爪とか、何にでも入れちゃうから。ああ、あと八角も入ってた」
「食べたことなかったな、そういえば」
「食べに来なよ。いつでも作るよ」
当たり前のように、伯母のレパートリーを自分のものとして引き継いでいる様子のなずなくんの言葉に、私はうっかり感動して泣きそうになったのだが、年が近い男の子の前で泣くのはなんだか居心地が悪くて、目に力を入れてグッと涙をこらえた。
「なずなくんが今食べたい、ってものなんじゃない?」
完全なる思い付きだったのだけれど、なずなくんは突然顔を上げて、「あれか」と言った。
「そういえば、なんか一昨日ぐらいに、懸賞で当たったミニトマトが届いたんだけど、箱開けたら4袋くらい入ってて」
「懸賞?」
「多分、可南子さんが前に出してたやつだと思う。可南子さん好きだったからね、ドラッグストアのレシートで応募するやつとか、コンビニのくじとか。で、またくじ運いいんだよ。僕、そういうの全然なんだけど、可南子さんは絶対良いのが当たるんだよ」
なずなくんは、伯母のくじ運が誇らしいかのように、にこにことしている。
冷蔵庫を開けると、伯母のくじ運の賜物であるらしいミニトマトの袋が、4つ並んでおさまっていた。
見たことがないくらい、つやつやのキラキラだった。
「1袋くらい持って帰る?」
「いいよ、カナちゃんとなずなくんのだもの。食べなよ」
「届いたの受け取った時にさ、なんとなくスープ作ろうかなって気がしたんだよね。面倒でやらなかったんだけど。冷蔵庫に入れたらそのまま忘れてた」
面倒で、という言葉に倦怠感がにじんだ。
私は改めて、この人は伴侶を失くした人なのだな、と思った。彼らの結婚を、伯母が死ぬのを見送るためのものだと、言うなれば、私の家族に口を出させないためのものだと勝手に思っていたけれど、それだけじゃなかったのかもしれない。
「ニンニクと玉ねぎをオリーブオイルでめっちゃ炒めて、ミニトマト4つ切りくらいで皮が剥けてドロドロになるくらい炒めて、コンソメ味で煮るの。で、上からバジルかける」
すらすらと、なずなくんが言った。空中にあるレシピを読み上げるように。
「へえ、美味しそう。好きなスープなの?」
「いや、ぜんぜん。作ったこともない。届いたミニトマトを受け取った時に思い付いただけ。誰でも思いつきそうだから、調べたらレシピとかあるかもだけど、僕は知らない。でも間違いないでしょ、構造は簡単だもん」
ニンニク、玉ねぎ、トマト、オリーブオイル、そしてバジル。
たしかに間違いない。
「イタリアンって感じだね」
「そうだね」
「でもカナちゃんはわけぎか何か切ってたよ。それで、スープ作りたいのに、うまく切れないって困ってた」
「今言ったこのスープのことなんだったら、材料から間違えてる。わけぎだなんて」
わざと意地悪を言うみたいな調子で、くつくつと笑うと、なずなくんは、「可南子さんが言うなら、作るかあ」と言った。
どこぞのブランド品らしきキラキラのミニトマトは、冷蔵庫に三日放置されていたくらいではびくともしていない。
「じゃあ、まずはニンニクを切るところから、よろしく」
なずなくんは私の手の中にニンニクをぽんと置いた。
「みじん切りにする? それともニンニクチップみたいな感じ?」
「どっちでもいいよ。ニンニクは香りづけでメインのイメージじゃないし」
メインシェフから、切り方を任されてしまった。ニンニクは皮付きのまま、ニンニクの固いところを包丁で切って、そのままニンニク本体を持ち上げると、ニンニクの皮はキレイにべりっと剥ける。そうしてつるんと皮の剥がれたニンニクを縦に半分に切って、芯を取る。
私はこのニンニクの芯を取る瞬間が好きだ。複雑な伸び方をしていて、抜きにくかったりするのがにゅっと取れた時の感覚は凄く気持ちいい。
「ねえ、ニンニクの芯抜きながらにたにたするのやめて」
なずなくんが私を見ながら嫌そうに言った。
「気持ち良くない?」
「いやなんとなくわかるけども」
芯の取れたニンニクを一旦薄切りにする。それから、薄切りにしたものを直角に切って細切りに。みじん切りの一歩手前だけどこれでいいかな。私は自分がニンニクを使う時はここくらいまでしか切らないんだよな。
なずなくんに向かってニンニクを見せる。なずなくんは「それでいいんじゃない」と言った。
ニンニクを2かけ切ったので、今度は玉ねぎを薄切りにする。皮ごと半分に切ってから、根のところを切ってその勢いで皮を剥く。
「え、あ、そういう剥き方?」
なずなくんが驚いたように口を出してくる。
「昔は丸のまま手でさ、皮を剥いてたんだけど、こっちのほうが早いってこの間気が付いたんだよねえ」
玉ねぎの後、つやつやキラキラのミニトマトも4つ切りにする。
切る、切る、切る、切る、包丁がまな板にあたる音がリズミカルに跳ねる。
「カナちゃん、めっちゃ立派なまな板使ってたよ、わけぎ切れてなかったけど」
「いいなあ、それ絶対青森ヒバだよ。先に欲しいって言ってたの僕なのに、ずるいなあ」
なずなくんは、私が切ったニンニクと玉ねぎを炒めながら羨ましそうに言った。
ニンニクと玉ねぎの良い匂いがする。よく炒める。焦げる寸前まで炒める。ミニトマトを入れて、炒める。トマトの甘い匂いが立つ。コンソメの素と水を入れて、鍋に蓋をする。
私となずなくんは、しつけの行き届いた犬の兄弟のように、台所に並んでスープが煮えるのを待った。
「青森ヒバのまな板もカナちゃんに当ててもらおう」と私は言った。
「本当に届くかもね、可南子さんが何に応募してたか把握してないから」
「だからまあ、このスープでも食べて、青森ヒバが届くまではとりあえず生きてたら」
なずなくんは、噴き出して笑った。
「青森ヒバが届くまでは、でいいんだ」
「多分だけどね、その頃になったらまた、カナちゃんは私の夢に出てきて、次の料理を作るんだと思うよ」
なずなくんが黙ってしまったので、私も黙った。黙って、スープが煮えるのを待った。
まだだ。まだ煮えていない。それでももう、美味しそうなスープの匂いは、台所に漂い始めている。
※みんなのフォトギャラリーの写真をお借りしました。
