[ショートショート04]ばまれな
ども、ならなすおです。
今回、言葉に馴染みがないと思うんで、先に注釈しときます。
この文章で使ってる「気色ばむ」という言葉は、「キレる」とか「激高する」という意味で使ってます。
私が、本当に、心から嫌いなやつです。
怖いです。
他人を怖がらせて自分に利益を誘導する人は、私は嫌いです。
という事前情報をご承知置きの上、本編をお楽しみください。
ここから本編
何があろうと、相手が気色ばんだ時は走って逃げることにしている。
なるべく人の多い場所へ。
学校だと職員室。
授業中、先生が気色ばみ始めると、職員室に駆け込む。
悪意ある主観に満ち溢れた内申書なる書類に人生を左右されかねないという問題には別途対策が必要だ。
放課後、いじめっ子が気色ばみ始めると、職員室に駆け込む。
画鋲、落書き、靴隠し、トイレ個室での水攻めなどの間接攻撃には別途対策が必要だ。

(AIで生成)
相手が自分に不同意や悪意を向けるのは、しょうがない。
相手は自分ではないので、その主張や思考をどうこうできない。
ただ、気色ばまれるのは、嫌だ。
怖いから。
同じような事を考えている人は、多いんじゃないかなー?
気色ばまれることなく、生きていきたい。
僕は、SNS上に、「ばまれな宣言」と「ばまれな三原則」を公開した。

(AIで生成)
[ばまれな宣言]
我々は、自明の真理として万民に付与されていると広く解されている天賦の諸権利のうち、幸福追求権の主要な実現手段の一つとして、他者から気色ばまれない権利を主張する。
我々は、気色ばまれないこと以外を望まない。
仮に、その回避行動の報復が検討されたとしても、相手が気色ばんでおらず、冷静な対話が行われる限り、またその対話が冷静な第三者の視点で真偽、公正性、合法性等について客観的に検証・判定される限り、それを即座に否定することをしない。
[ばまれな三原則]
(その1)
我々は、気色ばんでくる相手を含め、一切の他者への攻撃を企図・画策しない。
ただし、防衛・回避手段として不可欠な最低限の対抗を除く。
(その2)
我々は、相対的な地位の向上を望まず、安寧のみを希求し、不本意に気色ばまれることの回避策及び気色ばまれた際の避難策のみを検討する。
(その3)
我々は、気色ばむこと自体を否定するものではない。精神の高揚及びその発露は人間活動にむしろ不可欠であることを認める。故に、自身に不本意に向けられた気色ばみ以外の気色ばみについては、検討の対象としない。

(AIで生成)
いじめられっ子にとって、DV被害者にとって、パワハラ被害者にとって不都合な事象は、相手の「自己を対象とする気色ばみ」のみの排除で、相当程度減少する。
この主張は、話題になった。
だけれども、「ばまれな推進派が、その推進の過程で気色ばむ」という矛盾を解消することはできなかった。
なぜ人々は、気色ばむのが好きなのだろう?
気色ばめる立場を望むのだろう?
疲れないのかな?
気持ちいいのかな?
その気持ちよさを知ったら、僕も気色ばむのかな?
