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「頑張れない自分」を責める前に、まず見直したい3つの

こんにちは、亀田です。

最近あらためて思うんですが、僕たちは「頑張れない自分」を責めるのが、ちょっと上手すぎるのかもしれません。

やると決めたのにできなかった。
続けようと思ったのに、また止まってしまった。
今日こそ進めるつもりだったのに、気づいたら一日が終わっていた。

こういうことがあると、すぐに自分の意志の弱さを疑いたくなります。

もっと本気ならできたんじゃないか。
気合いが足りないだけなんじゃないか。
結局、自分は甘えているだけなんじゃないか。

そんなふうに、自分に矢印を向け続けてしまうんですよね。

もちろん、自分の行動を振り返ることは大事です。

何でもかんでも環境のせいにしていたら、それはそれで次の一歩が見えなくなります。

でも一方で、頑張れない理由をすべて「自分の弱さ」にしてしまうのも、やっぱり少し乱暴だと思うんです。

なにがか。

人が動けなくなるときって、本人の性格や根性だけではなくて、動けなくなる構造があることが多いからです。

これは、自分を甘やかすための話ではありません。

むしろ、自分を責め続けて止まるくらいなら、一回ちゃんと構造を見て、もう一度動ける形に戻していこうという話です。

今日は、「頑張れない自分」を責める前に見直したい3つの構造について書いてみます。

1. 目的が大きすぎて、今日の一歩に落ちていない

まず一つ目は、目的が大きすぎることです。

「変わりたい」
「ちゃんと発信したい」
「仕事を前に進めたい」
「もっと自分の人生を良くしたい」

どれも大事です。

大事なんですが、そのままだと大きすぎるんですよね。

たとえば、「発信を頑張る」と決めたとします。

でも、今日やることが決まっていなければ、手は止まります。

テーマを考えるのか。
過去のメモを見返すのか。
1行だけ書くのか。
誰に届けたいのかを決めるのか。

ここが曖昧なままだと、頭の中ではずっと「やらなきゃ」と鳴っているのに、身体は動きません。

仕事でも同じです。

「資料を作る」とタスクには書いてある。だけど、実際には情報を集めるのか、構成を作るのか、最初の1ページだけ書くのかが決まっていない。

そうなると、パソコンを開いているのに、なぜか別のことをしてしまう。

そして、また自分を責める。

でもそれは、やる気がないからではなく、行動に変換されていないだけかもしれません。

大きな目的は、人を支えてくれます。

ただ、大きすぎる目的は、ときに人を止めます。

だからまず、問いを小さくしてみるといいのかなと思います。

今日15分で始められる形になっているか。
最初の一手は何か。
完璧に進める前に、どこだけ触ればいいか。

「頑張る」ではなく、「始められる形にする」。

それだけで、責める対象だった自分が、少しだけ一緒に作戦を立てる相手に戻ってくる気がします。

2. 期待が重なりすぎて、選べなくなっている

二つ目は、期待が重なりすぎていることです。

動けないとき、目の前にあるのはタスクだけではないんですよね。

家族の期待。
職場の期待。
SNSで見える誰かの成果。
過去の自分が決めた理想。
今の自分が守りたい生活。

こういうものが一度に重なると、どれを選んでも何かを裏切るような感覚になることがあります。

仕事を頑張れば、家族との時間を削っている気がする。
家族を優先すれば、自分のキャリアから逃げている気がする。
発信を始めれば、何者かになろうとしている自分が少し恥ずかしい。
何もしなければ、また何も選べなかった自分を責める。

これ、結構しんどいじゃないですか。

人は、選択肢がないときだけでなく、背負っている期待が多すぎるときにも止まります。

ここで必要なのは、さらに自分を追い込むことではないと思うんです。

まず、「これは誰の期待なのか」を分けてみることです。

これは自分が本当に引き受けたい期待なのか。
それとも、引き受けないといけない気がしているだけなのか。
今すぐ全部に応えようとしていないか。

期待に応えることと、自分で選ぶことは、似ているようで違います。

誰かを大切にするためにも、自分が何を選んでいるのかを見失わないことは、たぶん必要です。

全部を捨てなくていい。
全部に反抗しなくてもいい。

ただ、いま背負っているものを一度テーブルに並べてみる。

その中で、今日の自分が本当に引き受けたいものはどれか。

そこからしか、納得して動くことは始まらないのかなと思います。

3. 比較対象が遠すぎて、自分の現在地が見えない

三つ目は、比較対象が遠すぎることです。

頑張れない自分を責めるとき、たいてい近くには比較があります。

同じ時期に始めた人が、もう成果を出している。
SNSで見かける誰かが、迷いなく前に進んでいる。
自分より忙しいはずの人が、ちゃんと積み上げている。

そういうものを見ると、自分だけが遅れているように感じます。

でも、遠すぎる比較は、現在地を測る道具にはなりにくいです。

むしろ、自分を責める材料になりやすい。

もちろん、誰かの姿に励まされることもあります。

目標になる人がいること自体は、悪いことではありません。

ただ、その比較を見たあとに、自分の一歩が具体的になるのか。

それとも、自分を責める言葉だけが増えるのか。

ここは見ておいた方がいいと思うんですよね。

もし後者なら、その比較対象は、今の自分にとって少し遠すぎるのかもしれません。

必要なのは、「あの人との差」を見続けることではなく、昨日より少しだけ具体化したことを見ることです。

昨日はただ「書かなきゃ」だった。
今日はタイトル案を1つ出した。

昨日は「変わりたい」だけだった。
今日は何に困っているのかを3つ書き出した。

昨日は「どうせ無理」だった。
今日は「最初の15分だけなら何をするか」と問い直せた。

それは小さすぎるように見えるかもしれません。

でも、自分の人生のハンドルを取り戻す感覚は、だいたい小さいところから戻ってきます。

責めるより先に、動ける形へ戻す

頑張れないとき、僕たちはつい、自分にもっと強い言葉をかけようとします。

甘えるな。
ちゃんとしろ。
本気ならできるはずだ。

でも、その言葉で本当に動けるようになるなら、もうとっくに動けているのかもしれません。

必要なのは、さらに自分を追い込むことではなく、動ける形へ戻すことです。

目的が大きすぎるなら、今日の一歩に落とす。
期待が重なりすぎているなら、誰の期待なのかを分ける。
比較対象が遠すぎるなら、昨日より具体化したことを見る。

これは、自分を甘やかすための整理ではありません。

自分を責め続けて止まる代わりに、もう一度、自分で選んで進むための整理です。

もし今、自分を責めているなら、少しだけ問いを変えてみてもいいかもしれません。

「なぜ自分はこんなに弱いのか」ではなく、

「いま自分は、どんな構造の中で動けなくなっているのか」へ。

その問いに変えた瞬間、あなたはもう、自分を裁く側ではなく、自分を前に進める側に戻り始めているのだと思います。

あなたが今、責める前に見直せそうな構造は何でしょうか。

目的でしょうか。
期待でしょうか。
比較でしょうか。

まずは一つだけ、見てみるところからでいいのかなと思います。


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