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牛肉を愛した偉人たち㊹:フィンセント・ファン・ゴッホ

 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh 1853~90年)はオランダ南部のズンデルトでプロテスタントのキリスト教会の牧師の家に生まれた。オランダ人名のファンはミドルネームではなく、姓の一部であるため省略しないが、ここでは紙幅の都合で以下「ゴッホ」と表記する。
 画家になる前は伯父の仲介で画商の仕事を得たが、失恋がきっかけで無口になり宗教にのめり込んだため職場を解雇される。
 その後、ゴッホは聖職者になるためにアムステルダムで神学を学んだが、代数やラテン語、ギリシャ語などの授業も受けねばならなかった。しかし、神学に直接関係のない学問は聖職者になるために必要ないとゴッホは考え、あまり一生懸命取り組まなかったようだ。 
 この辺の事情は映画『炎の人ゴッホ』Lust for Life(1956年)の冒頭シーンに扱われている。ちなみにlustには(激しい)情欲や渇望などの意味がある。
 「我々、ベルギー伝道委員会は諸君に伝道師の資格を与える。神のお導きとご加護を祈る」
 伝道師の授与式で5名の若者が卒業するがゴッホは独り廊下で待たされる。
 その後にゴッホの講評を説明する。
「私は多くの生徒を教えてきましたが、彼のような者は初めてです。即席の説教がまるでできずー原稿を用意しても覚えられない。
 読むのもつっかえながらだ。そんな者を伝道師として送り出せますか?」
「結論が出たようですな」・・・
 しかし、理解ある委員の一人がゴッホの熱意を汲み、伝道師のいない炭鉱町ボリナージュの半年間の臨時説教師を斡旋する。
 給料もベッドも衣類も貧しい人に与え、下宿を出て「家具一つない小屋でうずくまって寝た」
 ゴッホは坑夫たちとともに生きようとした。最も危険といわれている炭坑の坑内地下700メートルまで入ってみたり、坑内で爆発事故があったときは、傷ついた人を献身的に看護した。伝道委員の面々は、これを伝道師のとるべき振舞いとは認めなかった。
 伝道委員会の方針に従おうとしないゴッホは再び任命されることはなかった。『ゴッホ〈自画像〉紀行』木下長宏(中公新書)。
  
 この映画はカーク・ダグラス(ゴールデングローブ賞主演男優賞)がゴッホをアンソニー・クイン(アカデミー賞助演男優賞)がポール・ゴーギャンを好演している。
 それではお馴染みの和田誠による映画評を見ることにしよう。
 
  実在の人物を俳優が演じるわけですから、当然本人とは違います。違う
 けれども似ているとそれなりの興味が湧く。学者や小説家は名前ほど顔が
 知られていない場合が多いのでいくらか楽ですが、誰も知っている場合が 
 むずかしい。ゴッホなんかよく知られている顔だしね。「炎の人ゴッホ」
 はカーク・ダグラスが頑張っていましたが、あの映画でゴーギャンを演っ
 たアンソニー・クインが実に感じを出していました。
 『シネマ今昔問答』「リアルな伝記映画」和田誠(新書館)。
 
『赤い葡萄畑』のたった一枚のプロ画家
 生前に売れた油彩画は1枚だけという通説で知られるゴッホの作品は、1888年に描かれた『赤い葡萄畑』。1890年にベルギーの女流画家アンナ・ボックによって400フラン(現在の貨幣価値で約40万円)で購入されたという。
 しかし皮肉なことに21世紀が四分の一を過ぎた現在、ゴッホの絵画は最高落札額で取引されている。以下がトップ5にランクインされている。
 多作なアルル時代に描かれた《果樹園と糸杉》(1888)は、2022年11月にクリスティーズ・ニューヨークで1億1720万ドル(約186億3000万円)で落札され、現在まで続くゴッホのオークション最高記録を樹立した。この絵は、ねじれた枝ぶりのオリーブの木や黒々とした糸杉、その上に広がる明るい空など、生き生きとしたプロヴァンスの風景が力強い筆致で描かれている。
 以下、2.《医師ガシェの肖像》131億2000万円。3.《畑を耕す農夫》121億3000万円。4.《髭のない自画像》113億7000万円。5.《オリーブの木と糸杉に囲まれた木造の小屋》113億4000万円。
 ちなみにわたしのお気に入りは『タンギー爺さん』(1887年)。背景には富士山などの浮世絵が描かれており、ジャポニスムが最も良く表れた作品である。タンギーはファン・ゴッホの死に際して葬儀に参列した数少ない理解者。昨今、口さがない周囲の連中がわたしのことを「短気ー爺さん」と呼んでいるが・・・
 
 南仏プロヴァンスの饗宴
 ホテルインターコンチネンタル東京ベイのファインダイニング ラ・プロヴァンスでは現在ゴッホが南仏で描いた数々の名画に着想を得た期間限定コースを提供している(6月5日~8月31日)。
 それではホテルのホームページから魅力あふれる饗宴をぜひ堪能されたい(文章のみだけどね)。
 
  ゴッホにとって「ひまわり」は、希望の象徴や感謝・歓迎の想いを託し
 た特別なモチーフとされています。コースの始まりの一杯は、夏のフルー 
 ツ〝パイナップル〟をベースにしたオリジナルカクテル「トゥルヌソル
 (ひまわり)」でゴッホの世界へ誘います。前菜は、「夜のカフェテラ
 ス」(*筆者注。1888年9月に南仏アルルのフォーラム広場で描いた代表
 作。青い夜空とガス灯の黄色い光のコントラストが特徴的で、「夜なのに
 黒色を使わずに描いた」革新的な作品として世界中で愛されている)。か
 ら着想を得た、ラ・プロヴァンスオリジナルのパレット・アート・オード
 ブルで幕を開けます。夜の風景を色彩豊かに描いたゴッホの表現を一皿に
 映し出しました。
  ゴッホが南仏アルルの強い陽光に魅了され、黄色を象徴的に用いたこと
 から、冷前菜では旬の穴子とロブスターを使用したタブレを提供します。
 温前菜は、「アルルの跳ね橋」(1888年。オランダの国宝)をイメージし
 たブイヤベース、魚料理はアルルの郷土料理でもあるラタトゥイを取り入
 れ,南仏の豊かな風土と祝祭の空気を一皿に表現しました。メインディッシ
 ュには、プロヴァンス地方の伝統的な牛肉の煮込み料理、ドーブ・プロヴ
 ァンサルを現代的に仕立て、南仏の食文化と深い味わいをお届けします。
  プレデザートは、ヨーグルトと白桃のジュレで軽やかな余韻を添えまし
 た。デザートは、エグゼティブシェフパティシエ永井による、療養中のサ
 ン=レミで描かれた「星月夜」(1889年に南仏の療養所で描かれた心象風
 景)をモチーフにしたリンゴのタタンで締めくくります。静物画ではりん
 ごや洋梨、栗などの果実も数多く描かれていたことから、デザートにもそ
 のエッセンスを取り入れ、皿にはゴッホが愛したとされている、アブサン
 香るアングレーズで夜空の光を表現しました。
  また、南仏の光や午後のアルルをイメージした特別装飾席で、さらに名
 画の世界へと誘います。
  南フランスの自然とゴッホの感性が響き合う、ラ・プロヴァンスでしか
 味わえない特別のひとときをご堪能ください。
 
 ドーブ・プロヴァンサルは、フランス南部のプロヴァンス地方に伝わる伝統的な牛肉の赤ワイン煮込み料理。調理法:一口大に切った牛肉や野菜を赤ワインとハーブでじっくりとマリネし、専用のドービエ鍋や厚手の鍋で弱火でトロトロになるまで数時間煮込む。一般的なビーフシチューとは異なり、トマト、オリーブ、にんにく、オレンジの皮、プロヴァンスハーブ(エルブ・ド・プロヴァンス)が使われることが多く、南仏らしい爽やかで豊かな香りが特徴。
 
 この連載では偉人たちは巨万の富を得た者(チャップリン、ロッシーニ、ピカソなど)も数多いが極貧のまま生涯を終えた浪費家のシューベルトや終生弟の援助に頼り切ったゴッホもいる。
 はたしてパンとチーズを齧りながら日々写生旅行に出かけたゴッホにとって、夢にまで見た豪奢な牛肉料理をどう想っているのだろうか。
 
『Lust for Life』
 1890年7月27日、ゴッホは好んで描いた麦畑の真ん中で麦に囲まれながら、持っていたピストルで自分の腹部に銃弾を撃ち込んだ。遺書は残されず、死の兆候もなかったという。その2日後に「炎の人」は死に物狂いで駆け抜けた37年と4カ月の人生を閉じた。
                初出:『肉牛ジャーナル』2026年7月号

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