2026/04/29(水・祝) オリヴィエ・ラトリー∶オルガン・リサイタルatみなとみらいホールめっちゃ良かったぁ〜
人生よ永遠のゴールデンウィークであれ
みなさまこんばんは。
ゴールデンウィークで
まったりまったり過ごせてるのが幸せすぎて
もう私の人生ずっとゴールデンウィークであれと
そんなことすら思いました
今までどんだけ生き急いでたんだと思う。
朝ゆっくり起きて、焦らず身支度して、
好きなものを食べて
ものすごい勢いで烈火の如くピアノを弾いて
(烈火は言い過ぎかな〜チョロ火ぐらいかな)
日が暮れる前に帰って、お腹空いて
またご飯食べて
そしてゆっくりする
幸せすぎる。
私の人生毎日こうあってほしい
一人でずっと弾いてると寂しいから
これプラスときどき外に出て演奏したり
誰かと触れ合えたりができれば最幸です
それがいいですまじで
はい。という感じで
4/29(水・祝)の出来事を振り返ってまいります
これもゆっくり書きたくて、書けてなかったの
あっという間に過ぎた2時間
↓こちらの記事で
募集をさせていただきました通り、
みなとみらいホールでの
オリヴィエ・ラトリーさんの
オルガンコンサート、
無事に聴いて来れました。
オルガンのいろんなお話を
お分かちできて、とっても楽しかったです。
お呼びかけして、本当に良かった。
リアクションくださった皆さま、
本当にありがとうございます。
ここでお会いできなかった方にも、
いつかお会いできたらいいな。
なんかね、自分が思ってた以上に
オルガン好きだったってこと
思い出せました。
抜け落ちてた心のパーツを拾った感じ。
昔大好きだったあの娘と10年ぶりの再会、
みたいな?
あ、こんなに
人様に語れるほどの想いや、知識が
自分の中にあったんだ、って。
どうしても、音楽を専門に学んだor学んでいる
人達ばかりに囲まれた環境に居続けると
(それはとてもとても恵まれたことなんだけど)、このぐらい知ってないとダメ、
できてないとダメ、というハードルは
どんどん上がっていって
(※あくまで自分の頭の中で※)、
自分の好き、も知ってる、も
稚拙で取るに足らない、役に立たないものだと
そう思えるようになってしまったんです。
誰もそんなこと言ってないはずなのに、
ただ、評価、指導、そういったものを受ける中で
なぜか。いつしか。私は
音楽を好きでいても辛くなるだけだと、
勝手にそう思って苦しんでた時期もあったのです
でも今は素直にめっちゃ好きです
と言えます
あーやっぱり好きだった、って
お前以外の皆わかってたよ、みたいな。
今からでも遅くないから
好きって言いに行けよ、みたいな。
そういう恋愛漫画、ありますよね?
そんな感じでここ半年は過ごしていました
ピアノ、歌、ライブというパーツを
これまでと変わった形で取り戻して、
それからこの日はオルガンというパーツを
胸に収めることができたように思えました。
段階を辿りながら。
あれ〜、コンサートの感想の記事なのに
全然本筋から外れたこと書いてるじゃん。
でも、私にとっては
大事なことでした。
お話してくださって
(あるいはお話はしてなくとも、
あの場に居るよと教えてくださって)
本当にありがとうございました。
言い尽くせない気持ちです。
そんな気持ちをいただけたから!
もっとお話したいから。
小規模なパイプオルガン体験会、
夏に開催するぞ!と腹をくくれました。
今、会場候補のスタジオの管理人さんと
打ち合わせ中ですのでね。
固まったら、お知らせ記事を書きます。
どうかもう少し待っててくださいね。
ほっこりできる良い会にしたいなぁ。
うーん、そろそろ
コンサート自体の話に触れます☆
オルガンの演奏は日常茶飯事
曲目解説とか、歴史とか、
そういうことはもっとお詳しい方々が
書いてくださってるのを読ませていただくとして
私は自分の感じたことを
主観まみれで自由に書きます。
ラトリーさんの演奏の、何が素晴らしかったか。
それは「やったるで」「見せたるで」
「聴かせたるで」「ここ、聴きどころやで」
「どやどや」といったような(所謂外連味?)
そういった力みやごまかしといったものが
一切なくて
無駄な力は一切抜けてて
さらっと
やるべきことをやり
弾くべき曲を弾き
それだけで我々を圧倒し
で
じゃっ!!!!!みたいに
自然に帰ってった
定時になったから
タイムカード切って
お疲れ様でーす!って挨拶して
普通に帰ってった、みたいな
(※あくまで比喩です※)
あるべきものがあるべきように
ただそこにあって、
そこで起きたことが
私にとっては、一番の衝撃でした。
風が吹いたら、髪が揺れる。
それと同じぐらいの自然さで、
ラトリーさんはオルガンの前に座り、
一切楽譜を広げることなく
(即興演奏の際の、会場側から渡された
主題の紙だけでしたね。見てたのは)
息を吸って吐くように
いつものご飯をいつもの時間に食べるように
シャツを着て、上からジャケットを羽織るように
演奏をしていった。
私にはそう見えました。
もちろん、もちろんね!!!
あたかも何でもないかのようにやってるように
見えることの裏側には、
どれだけの積み重ねがあるかとか、
そんなことはもちろん承知の上でですよ。
でもなんていうか、違和感が無くて。
スッと入って、吹き抜けていって。
夢中で聴いてたのに、気づいたら
あっという間に終わってて。
特別な何かが起きたはずなのに、
何か問題でも?みたいな自然な感じがあって。
あれ、何なんでしょうね。
なんて言ったらいいんだろうなぁ。
言葉ってむつかしいね。
いっぱい文字数書いてる割には、
伝わるのか、わかんないよ。
ちょっと、別のエピソードを引っ張り出して
関連付けてお話しても、いいですか。
ベルリンの教会での思い出
私が学部の4年生の時、
専攻の研修旅行で
ドイツに10日間(確か)行く機会に恵まれました。
引率の先生が
ドイツで教会音楽家の国家資格を取得された
キャリアをお持ちの方で。
バッハの足跡を辿る、という大枠のテーマで
アイゼナハに始まり、ライプツィヒへ向かって。
最後はベルリンで締めくくり、というような
旅程で学んで回ったのです。
でね、そのベルリンでの出来事で
印象に深く刻まれたエピソードがありまして。
同じ専攻の友人数名と一緒に
ベルリンの大通りを歩いていて。
なんせ、道も広くて、建物も大きくて、
見たいもの、見るべきものも
たくさんありすぎて。
歩き疲れて。
立ち寄った教会のベンチに座って
少し休んでいたのです。
そうしたら、いきなり
オルガンコンサートが始まって。
たぶんランチタイムの、
いつものミニコンサート、みたいな
感じだったのかな。
最近日本でも増えましたよね、そういうの。
びっくりしつつも、
えっ、ラッキーじゃん、とか言って
そのまま座って聴いていて。
聴き終わって、
良かったね、と言って去ろうとしたら
オルガニストの方が降りてきて、
これから上の階で
オルガンのレクチャーをやるから
どうぞおいでよ(※超意訳)
的なことを、英語で我々に声掛けてくれて。
えっ!!!いいの!!!と驚きつつ
こんな良い機会に立ち会えて
本当にタイミング良かったと喜びつつ、
そのまま演奏台(コンソール)の近くまで行って
そのオルガンの解説を
(英語だからつまみつまみの理解だけども)
聞かせてもらって。
確か、ちょっと触らせてもくれたと思う。
なんせ10年ぐらい前のことだから
詳細はちょっとおぼろげになってるけど……。
そんなことがありました。
これで何が言いたいかと言うと、
今更私なんぞが改めて言うまでもないけれど、
ヨーロッパの(全てのでは無いが)土地の中で
教会、オルガンというものが
本当に当たり前に存在していて
それは街の誰もが気軽に
立ち寄ったり側で見たりできるもの、
開かれたものなんだ、ということを
目の当たりにした、
身体で感じられたということが
私には衝撃だったのです。
日本国内にいるとさ、
オルガンは敷居が高い、
そこら辺にあるものではない、
やすやすと触れられるものではない、
という認識に
どうしてもなるじゃないですか。
キリスト教も、日本古来の宗教ではないし。
(オルガン=キリスト教という訳では無いですが
切り離せない関係ではあるので)
でも、我々も
神社の境内で遊んだり、
お寺のお坊さんとお話したりは
できるわけじゃないですか。
(それもそんなにメジャーな出来事でもないか……)
ドイツではそれが教会だった。
そういう風に感じられたわけですね。
その時感じたことの身体の記憶が、
ラトリーさんの演奏で
呼び起こされた気がしました。
生粋のクリスチャンならともかく、
私の血の中に
キリスト教や、クラシック音楽って
元々あるものではないし。
どうしても、手の届かないもの、
憧れのもの、高潔なもの、
どっかそういった見方に陥りがち。
そこに手を伸ばすことは、
いささか無理をしていることになる時も
時としてはあるのです。
実際、私がピアノ教室で
ピアノを習っていた理由だって
そういうものです。
憧れの習い事だから。
そういう考えが根深くあったから。
それが悪いわけじゃないですし。
それで
オルガンって、ヨーロッパの
男性の体格に合わせて作られてるからさ、
昔ながらのつくりの古いオルガンの一部は、
小柄な日本人だと手足が届かなかったりも
するし。
(新しいものは、用途に合わせて
オーダーメイドで設計がされているし
椅子の高さなども調整できるから
多くの人が弾きやすい構造に
作ってもらえていることが多いわけだが)
そもそも手も足も動かすし
昔は女性が弾くことを前提とした
楽器ではなかったわけだろうし。
だからこそ、
ピアニストのステージドレス=定番、だけど
オルガニストのステージ衣装は
パンツルックなのかどうなのか、みたいな
そういう乖離が現場でもあったりするわけで。
憧れのものに手を伸ばす。
自分の中に無かったものを取りに行く。
それが悪いってことじゃなくて、
そうすると、どうしても
「やってる感」「やったるぞ感」
「どやどや感」「こんなに頑張りました感」を
感じられがち。
(少なくとも、私が自分自身について言うならば)
演奏自体の内容がどうだったかより、
「こんなに頑張って、すごいね!!!」
みたいに、なりがち。
欧米の人なのに演歌がうまくてすごいね!!!
落語がやれてすごいね!!!
とか。
アジア人なのにヨーロッパ人並みの体格だね!!
とか。
それが悪いとかじゃなくてさ……。
こういう話って、本当に、本当は、
私ごときが言葉足らずに語るべきでないほど
デリケートな話題であるわけなのですが……。
はい。
何が言いたいかと言うとですね……。
ラトリーさんの演奏からは、
あんなに弾けてすごい!!!!!
とかじゃなくて
(※もちろん大前提として
ものすごい演奏だったということは
もう言うまでもないとした上で)
当たり前のように
日常の茶飯事のように
何食わぬ顔で
弾いて
おじぎをして
帰った
よそゆきでも
お祭りでも
特別でもない
ただ
ラトリーさんにとっての
毎日のお仕事
朝礼と終礼
生活の繰り返しのひとつの風景が
シンプルにそこにあった
それだけ
当たり前が提供された
でもそれがめちゃめちゃすごい
何が起きたんだか
呆気に取られちゃって理解が追いつかない
瞬きする間に2時間過ぎてた
(は、さすがに言い過ぎか。でもそんぐらい)
みたいな。
おみそ汁とご飯だけで
おそろしいほどおいしい料亭のお仕事
みたいな
そういう感じ。
伝わりますでしょうか……。
伝われ〜〜〜。
伝わんなくてもいいや。
わからん!!!と思われてもいいです。
今の私の言語化能力では、
これが精一杯でした。
もちろん全然違うことを
感じられた人がいっぱいいたろうし、
私の書いてること、おかしいぞって
思われる方もいるだろうし
それで当たり前でしょうから
今はそれで良いのです。
私の感じたこと、感じたままに書いたら
こんな感じの文になってまいました。
とにかく。
行けて良かった。
それだけは確かです。
なむなむ(なむ???)
いいなと思ったら応援しよう!
応援ありがとうございます。オープンマイクへの参加費とドリンク代、または楽譜購入代、またはスタジオレンタル代へ循環させていただきます。