短編ミステリー小説
『秘湯の湯煙に消えた真実』
【前編】日常の崩壊
主人公の紹介
槻城レン(つきしろ・れん)/20歳・大学2年/本作の主人公
サークル内でも一歩引いて人を観察するタイプ。推理小説が好きで、論理で人間関係を測る癖がある。今回の温泉旅行も、特別楽しみにしていたわけじゃないけれど、皆との空気を壊さずに来た。
●登場人物紹介(主人公・槻城レンの視点で)
天野ミミ(あまの・みみ)/20歳・明るい人気者
サークルの太陽みたいな存在。誰にでも笑顔を見せるが、どこか危ういものを感じさせる一面もある。正直、俺には眩しすぎる。
御子柴ヒカル(みこしば・ひかる)/22歳・インテリ先輩
冷静沈着で、観察眼が鋭い。俺よりも一歩先を読むようなやつ。理論派として尊敬しているが、どこか苦手でもある。
鳴瀬カエデ(なるせ・かえで)/19歳・おっとり天然系
正直、何を考えているか分からない。ミミと仲が良くて、いつもニコニコしているが……俺は、こういう無垢な感じが一番怖いと思っている。
瑠璃ミナト/20歳・寡黙なミステリアス男子
距離を置きたがるタイプ。サークルでも深く踏み込んでくることはない。でも、何かを見ている目をしている気がする。
皐月院ユウマ(さつきいん・ゆうま)/21歳・リーダー気質の同期
やたら声が大きくて前に出るタイプ。正直、うるさい。でもグループをまとめる力はある。俺とは対照的。
氷川レイ(ひかわ・れい)/年齢不詳・温泉インスタグラマー
旅館に偶然同宿していた他の客。スマホ片手に写真を撮ってばかりいる変わり者。
鬼神野サネト/60代・旅館の館主
一見無口で偏屈そうな老人。だが、旅館の管理には厳しく、どこかすべてを見通しているような雰囲気がある。
佐伯アヤ/30代・仲居
明るく元気な対応で宿の雰囲気を和らげてくれる存在。だが、ときどき目が泳ぐような素振りを見せる。
日向(ひゅうが)料理長/50代・旅館の厨房責任者
寡黙で無愛想な職人気質。料理は絶品だが、何を考えているか読めない。
◆第一章:集まった6人と、静かな始まり
「これが最後の集合になるかもな」
皐月院ユウマがバスの中でそう言って笑った。社会人になるメンバーも増えてきて、サークルとしての活動も自然と減ってきている。
大学の温泉サークル『湯けむり会』に所属している俺たち6人は、最後の思い出にと二泊三日の温泉旅行を計画した。
目的地は、山奥の秘湯「鬼神野旅館」。ネットでは“風情がある”とか“隠れた名宿”と評価されていたが、道中は本当に秘境だった。
宿に到着したのは午後4時すぎ。古びた木造の玄関をくぐると、囲炉裏のある広々としたロビーが迎えてくれた。木の香りと湯の香りが交じり合い、心が一気に緩む。
「うわ〜!雰囲気サイコー!」
最初に声を上げたのは天野ミミだった。彼女の表情は、どこにいても常に明るい。
「確かに、レトロすぎて怖いくらいだな」
御子柴が天井を見上げながら言うと、カエデがくすっと笑った。
「ミナトくんはこういう宿、好きそうだよね」
「……悪くない」
ミナトは小さく答えただけだった。
チェックインを済ませると、案内してくれた仲居の佐伯アヤが部屋に荷物を運んでくれた。浴衣に着替えてしばらく休んだあと、自然と話は「最初の温泉、どこに入るか?」になった。
「まずは露天でしょ!せっかくだし、開放感あるところで疲れ取りたい!」
ミミが元気に提案し、女子チームと男子チームに分かれて風呂へ向かうことに。
男子側の内湯は、硫黄の香りがかすかに漂う石造りの湯船だった。
「おお、これぞ温泉って感じだな」
ユウマが嬉しそうに湯に浸かり、御子柴は湯温を確認するように静かに脚を入れる。
「熱すぎずぬるすぎず、ちょうどいい」
俺もゆっくりと肩まで湯に沈める。体の芯まで温まり、疲れがほどけていく。
女子風呂でもミミとカエデが笑いながら話していた。隣の垣根越しに、時折その笑い声が聞こえてくる。
風呂から上がると、廊下にふわりと料理の香りが漂っていた。食事処に移動すると、地元の山菜や川魚をふんだんに使った夕食がずらりと並んでいた。
「すっごい豪華……!」
カエデが感嘆の声を上げ、ミミが箸を手に取りながら笑う。
「これは写真撮らなきゃだめでしょ〜」
ユウマがビールを注ぎながら「じゃあ、最後の旅行に乾杯!」と声を上げ、グラスが一斉にぶつかる。
楽しい食事の時間が流れる。
その後、それぞれが自由時間に入り、卓球をしたり、ロビーで本を読んで過ごした。
そして、ミミが立ち上がってぽつりと呟いた。
「……ちょっと、露天風呂、行ってくるね」
「え、また入るの?」
それは御子柴だった。眉を上げて振り返る。
「うん。夜の露天って、雰囲気いいんだよ。好きなんだ」
俺たちは「行ってらっしゃい」と軽く手を振った。
——その後、ミミが戻ってくることはなかった。
数十分後、佐伯アヤの悲鳴が旅館に響いた。
「お客様が……露天風呂で……!」
走って駆けつけた露天風呂の湯船には、ぐったりと沈んだミミの姿があった。
死因は"溺死"のように見えた。誰もが事故だと口にした。
だが、俺は違和感を感じていた。
◆第二章:静寂の湯と最初の違和感
ミミが露天風呂で死亡したという知らせは、宿中に衝撃を与えた。
仲居の佐伯アヤの悲鳴とともに駆けつけた時、湯煙の向こうに沈むミミの姿が目に入った瞬間、誰もが言葉を失った。
その場にいた全員が、一度は「事故だ」と心の中で唱えた。深夜の入浴、足を滑らせたのか、のぼせたのか……理由はいくらでも考えられる。
でも——なぜか、胸の奥がざわついた。何かがおかしい。
翌朝、旅館内は沈黙に包まれていた。朝食の席でも誰も箸を進めようとせず、誰かが口を開くのを待っていた。
「昨日の……ミミのこと、だけどさ」
静かに言い出したのは御子柴だった。
「俺たち、ちゃんと警察に話さないといけないよな。何かおかしかったこととか、気づいたことがあるなら」
「おかしかったこと……って、事故じゃないって言いたいの?」
皐月院ユウマが眉をひそめる。
「そういうわけじゃない。ただ……深夜に一人で、露天風呂に行くって、ミミらしくないと思ったんだ」
御子柴の言葉に、俺もこくりとうなずいた。
(あのときのミミの表情……どこか、言いかけたことがあったような)
「なにか悩んでたのかもしれない」
カエデがぽつりと言った。
その瞬間、瑠璃ミナトの視線が俺に向いた。 何も言わなかったが、その眼差しは鋭かった。まるで、「お前はどう思う?」と問いかけているようだった。
「……確かに、ミミの行動は、少し妙だったかもしれない」
俺は口を開いた。
「夕食のあと、あんなに楽しそうだったのに……突然、黙って立ち上がって、露天に行くって。あれが最後の姿になるなんて、思わなかった」
言葉を選びながらそう言うと、部屋の空気がまた静まり返った。
そのときだった。ロビーがある方角からシャッター音が聞こえた。
振り返ると、男がひとり、柱の影でスマホを構えていた。
「……あ、すみません。邪魔しちゃいました?」
男は人懐っこい笑みを浮かべて、スマホを下ろした。
「昨日から同宿してる氷川レイといいます。趣味で旅館の写真を撮ってて。なにかいい場所や物があったら教えてくださいね」
このとき俺たちはまだ知らなかった。 彼のカメラが、“真実”をすでに記録していたことを——。
