見出し画像

玉露マリアージュ

今朝、玉露を淹れた。朝比奈産つゆひかり。小さな急須に湯を落として、白い茶杯にほんの少しだけ注ぐ。量だけ見れば「これで終わり?」なのだが、口に含むとちゃんと世界がある。甘いというより、旨い。静かというより、深い。玉露は高級茶というより、飲む出汁なのではないか。最近、そんなことを考えている。

おじさんになると、朝の一杯にも思想が混ざってくる。若い頃なら、とにかく熱くて濃くて目が覚めればよかった。今は違う。熱すぎると渋い。急ぎすぎると雑になる。玉露は、こちらのせっかちさを見透かしたように、静かに「まあ落ち着け」と言ってくる。仕事ではすぐ結論を出したがるくせに、お茶の前ではすぐバレる。工程設計の頭で湯量と時間を管理しているようで、結局は茶葉にしつけられているのは自分のほうだ。

で、玉露を飲みながら思った。これは和菓子だけのものではない。むしろ、刺身に合うのではないか。醤油をどっぷり付けた刺身ではなく、塩をほんの少し、柚子皮を少し、わさびをごく少量。そういう静かな食べ方の刺身だ。試すなら白身魚がいい。鯛やひらめを昆布締めにして、小さく一切れ。そこに玉露を合わせる。想像しただけで、これはたぶん正解だ。

玉露の旨味は、刺身の後ろに回り込んで味を伸ばす。ここが面白い。醤油は輪郭を作るが、玉露は余韻を作る。柚子は上に香りを持ち上げ、わさびは少しだけ鼻の奥をきれいにする。派手さはない。でも、派手じゃないからこそ、年齢を重ねた舌にはちょうどいい。若い頃みたいに焼肉のタレで世界を解決する時代は終わった。いや、今でも焼肉は大好きだが、朝からやる話ではない。

これ、静岡に住んでいるからなおさら面白い。朝比奈の玉露があって、海の魚があって、わさびがあって、柚子もある。山と海の距離が近い土地だからこそ、小さな茶杯の中で風景がつながる。玉露マリアージュ、なんて少し洒落た名前を付けてみたが、やっていることは案外素朴だ。地元のうまいものを、少し丁寧に合わせてみるだけ。それだけで、日常が少し深くなる。

家でやるなら大げさな準備はいらない。白身の刺身を少し。できれば昆布締め。藻塩、柚子皮、わさび。玉露は低温で一煎目をじっくり。これだけで、十分に遊べる。湯葉でもいいし、帆立でもいいし、しらすでもいい。玉露は「高級だから触れにくい」のではなく、「丁寧に扱うと応えてくれる」飲み物なのだと思う。

コーヒーもそうだ。焙煎や抽出を少し変えるだけで、同じ豆が別人みたいな顔をする。玉露も同じで、茶葉と湯の対話がある。違うのは、コーヒーが火の飲み物なら、玉露は水と間の飲み物だということだろうか。どちらも好きだから、朝は玉露、昼はコーヒー、夜はまた別の音楽。そんなふうに一日を組めたら、なかなか悪くない。

最近は、こういう小さな楽しみが、将来の移動生活にもつながる気がしている。大きな家や立派な設備より、小さな道具と少しの工夫で深く楽しめるもののほうが、持ち運べる人生に向いている。急須ひとつ、茶杯ふたつ、柚子ひとかけ、魚ひと切れ。それだけで、その土地の朝が立ち上がる。移動しながらも、暮らしは薄くならない。むしろ濃くなるかもしれない。

次は、鯛の昆布締めでやってみようと思う。柚子皮を少し、わさびをごく少量、そして朝比奈の玉露一煎目。仕事の前にそんな一口を味わえたら、その日は少しだけ機嫌よく働けそうだ。おじさんの朝としては、かなり上出来である。

いいなと思ったら応援しよう!