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オランダで子どもの学校に物申すとき

「テスト中やのに、喋ってる子がいて集中できひんかった…」
「早く終わった子が質問とかあって喋ってて、先生もそれに答えたりしてて…」

オランダで「大切な時期」と呼ばれる学年に在籍する娘、リリ(仮名)はテスト2日目に家に帰って来るなりそんな愚痴をこぼしたのでした。元学校教員の私たちとしては「テスト中に生徒が喋る?」「先生が喋るだと?」と困惑。

「私だけじゃなくて、他の子も言ってた。"先生、テスト中なのに何で喋るんですか?"って。そしたら、"あ、ごめん。"って言ってた」

「オランダの小学校のテストってそういう雰囲気でOKなん?」
「これがこの国の教育文化?ってこと?」
と色々考えたのですが、やっぱり納得がいかず、リリとも話し合って担任にメールをすることにしたのでした。

子どもにとって最善の環境を与えるのが保護者の役割?

「子どもにとって最高の場所を用意してあげるのが保護者にできること」
「保護者が子どもの環境が合っていないと思うなら変えてあげないと、子どもが時間を無駄にする」

「三島さんは、娘さんの小学校をどういう基準で選んだんですか?」
オランダから教育のことを発信していると、さぞかし子どもの教育には熱心なのだろうと思われることが多いです。
「娘さんはイエナプランの小学校に通っていらっしゃるんですか?」なんて聞かれることもしばしば。

実のところ、リリの学校選択は当時の移住業者の人にお願いしました。お願いした点は2つ。住む予定の場所に近いこと。そして、4歳から英語の授業があること。むしろそれだけで、とにかく家が見つかることが最優先という感じでした。そう言うと「あまり子どもの環境を気にしない人なのかな」というネガティブな顔をされることもあります。「この人、教育者なのに教育熱心じゃなさそう」という(残念な)顔をされることも。笑

実際、リリが通う学校は普通の、むしろオルタナティブ教育がそれなりに盛んなオランダでは、「あれ?」と思うくらい古風なスタイルの小学校です。何の変哲もない、むしろ胡座をかいちゃっているんじゃないかと思うくらい(苦笑)。「人にオススメますか?」と聞かれたら「別にとりわけオススメはしません。笑」と答えるくらいの学校です。実際、最近引っ越してきたスペイン人のパパに学校のことを聞かれた時もそう答えました。そして苦笑いされました。「オススメせーへんのかい!」と。笑

では、子どもの通う学校が自由に選べるオランダで、何故その(おすすめに値しない。笑)学校から変えないのですかと聞かれたら、私たちはこう答えます。「教育の根幹は学校ではなく、家庭にあると思うからこそ、別に学校は最低でなければそれで良いです」と。

さらに言えば、今となっては学校はリリにとって大切な居場所になっていて、本人はこれまで「学校に行きたくない」と漏らしたことがありません。だとしたら、私たちの意思で学校を変える理由は見当たりません。学校に通うのは私たちではなく、本人で、その本人が学校が楽しいと言っているのだから、いくつか(私たちから見た)難点があったとしても変える理由も必要も見当たらないのです。

「合わないから」で環境を変えたら、残されたその場所はどうなってしまうのか?

「合わなければ環境を変えること」という考えが重宝される中、私は少し違った考えを持っています。それは「合わないと感じる場所を、少しでも良くするために、自分に出来ることは何かを考えて行動する、変化の時にそこに居座る」ということです。

壊れたら買い直す、合わない人とは関わらない、問題がある環境からは距離を置く。多様化が進む現代社会の中でそれは一見、最適解に見えます。そして、とても分かりやすくもあります。もちろん、その行為や選択、判断が間違っていると言うつもりはありません。それが「最適」の時もあると思います。

でも、あらゆること全てにそれを当てはめてしまったら、その「残された場所」はどうなってしまうのでしょうか。「そんなの、私は去る側だから知らないよ」で本当に良いのか。「どうしようもないその場所」が「どうしようもある場所」になる、そのプロセスに"関わらないこと"が本当に最適で正解なのか。そうやって私たちは「好きなものを選んでいく」何かそれってすごく寂しいし、消極的だなと私は思うのです。

「学校教育に文句を言うだけの保護者」にならないために

リリが通う小学校が決して100点の小学校ではないことを、約70校以上のオランダの学校を見てきた私は知っています。恐らく、一般の人たちよりも多くの学校を見てきた私は、その質の乖離をリリの学校に多く見つけてしまいます。近隣を探せば今の学校よりも良いと思われる学校はあるでしょう。でも、そうやって「より良い環境を選ぶこと」が「今いる環境を良くしようとすること」に勝るのでしょうか?

さらに、そこまで推せない学校であったとしても(笑)、その「推せない部分」を何とかすることは自分たちにもできるのだ!という考えこそが、現代の先進国の教育には足りていないとさえ感じています。だから、私は教育について発信する立場だからこそ、自分の行動でそれを示したいと思って子どもの学校教育に保護者として出来ることで関わってきました。

そういう意味では、これまで私はリリの学校のボランティアに関して、積極的に協力してきました。クラスで日本文化に関するプレゼンテーションやワークショップはお願いされる限り、毎年しています。保護者と積極的に関わるようにもしてきたおかげで、今となっては色んな情報を共有してくれる彼らの存在にとても感謝しています。保護者で集まって餃子を作る会なんかもやりました。子どもたちの学校教育を支えたり、環境を整えることを「学校がやるべきことで、自分たちにはできないこと」にしてしまわないことが大切だと思ってきました。

担任への連絡、保護者たちへのメッセージ

話を戻すと、娘が話してくれた「テストの時の教室の様子」は私たちにとっては看過できないものでした。これまで色々と問題を感じてきたことは他にもあったし、「まぁ今回は良いか」と見過ごしたこともいくつかありましたが、これはちょっと見過ごせません。

もう一度、リリに詳しく話を聞くと、テスト中の私語に不満があったのは彼女だけではなかったということでした。もちろん、彼女の話してくれたストーリーが全て事実だとは思いませんが、少なくとも「テスト中に他者に迷惑をかけるくらいの私語があった」というのは事実だとは感じました。そこで、担任にメッセージを送り、テストが早く終わった生徒には、教室内でまだ受けている子に配慮するよう、リスペクトを示す行動をするよう、指導してもらうようにお願いしました。

ただ、同時にこれは学校教育だけの話なのか?とも思いました。「自分は終わったからテスト中でも喋って良い」と思ってしまうその行動そのものには「他者へのリスペクト」が欠けています。そして、それは家庭でも子どもに話すことが出来ることだと思いました。もちろん少し勇気が必要でした。でも、このトピックを「私たちのこと」にする発言こそ今、求められていると思ったのです。そこで、保護者のWhatsAppにもメッセージをしました。

「今日のテスト中、早く終わった子どもがテスト中にも関わらず不必要な会話をしたり、物音を立てるということがあったと聞きました。うちの娘に限らず、一部の子どもたちはその状況にフラストレーションを感じていたようです。例えテストが早く終わっても、他者へのリスペクトを示し、配慮ある行動を取るよう、ご家庭でも話をしてみませんか?この内容については担任にもメッセージを送りました。どうぞ、よろしくお願いします。では、良い夜を過ごしてください!」
というような文面で送りました。いつもの諸連絡以上に「👍」や「🩷」のリアクションをしてくれる保護者が多く、何となく自分の胸の中に突っかかっていたものが取れた気がしました。

ちなみに、担任からの回答は、
「ご連絡ありがとうございます。おっしゃるよう、テストの時は子どもたちは静かであるべきです。今日、学校で子どもたちに話をします。良い1日を!」でした。

これは個人的な感想ではありますが、リリの学校の教職員は「何かあればいつでも連絡をください」と言います。これは社交辞令ではなく、本当にそう思っているからだ…と言えるのは、このように連絡をしたら、きちんと対応してくれるからです。「フィードバックを素直に受け入れる(もちろん理不尽なものではなく、筋が通っているもの)」という姿勢を彼らには感じます。だからこそ、一緒に手を取り合って学校教育をよくしていこうと思えるのかもしれません。

主語を「私たち」に変えていく

私は今、地域のフードバンクでボランティアをしています。現地小学校の英語の授業も手伝っていて、社会にあるさまざまな場所に出向き「社会活動に関わる機会」を大切にしています。これは、私の中にある「誰かの社会」を「私たちの社会」にするために必要な行動だと思ったからです。

自分の経験や肌感覚を通して見る社会は、ニュースで見る社会とは大きく違うことを実感しています。酷いニュースを見ても「社会はそんな酷いことばかりではない」と、自分の経験から感じられることが、この社会を信じられるきっかけになっていると思うのです。

地域社会に関しても、学校教育に関しても、相手側から見えないような角度から小石を投げることはやめて、姿を現して「では、私たちでどうしていきましょうか」と言える社会が健全な社会だと感じています。そして、そういった行動が、スクリーンの中が盛んになりつつある現代社会だからこそ、より必要なのだと思います。

娘のリリは今、小学校で子ども同士のコンフリクトの仲裁に入る「メディエーター」という役に選ばれ、下級生の休み時間を見守っています。メディエーターはまさに、コンフリクトを解決することを手助けする人で、自分たちで平和的解決を導く役割を担います。

「お母さん、揉め事が起きたらいっつも解決するのは簡単ってわけじゃないよ。でも、ちゃんと話し合ったら分かり合えることもたくさんあるって分かってきた。どうでも良いじゃなくて、関係ないじゃなくて、みんなで関わって何とかする。そういう途中っていうの?プロセスがめっちゃ大事やねん」

最初から評判の良い学校を選ぶことも良いけれど、
ちょっと評判が悪くてもその学校が良くなるために自分には何ができるか。
当事者意識を持つこと、無関心から距離を置くこと。
そんな一歩が「私たちの社会は良いもんだ」を作るのだと信じています。


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🇳🇱三島菜央<現地小学校TA/ET|元高等学校教諭> 私たちの活動内容に賛同いただける方々からのサポートをお待ちしています。ご協力いただいたサポートは、インタビューさせていただいた方々へのお礼や、交通費等として使わせていただきます。よろしくお願いいたします!