見出し画像

「滑らかに動く」ために、自分の中の嵐から目をそらす

本日は晴天なり、ということで日差しが強い一日でしたね。

今週の私のテーマは「滑らかに動く」でした。
実際のところは結構前に立てたスローガンだったのですが、今週になりいよいよそれが実現できているな、と感じるようになりました。

「滑らかに」とは?

今回の記事で言う「滑らかに動く」は、大きく下記を満たしている状態とします。

  1. 作業手順や方針に迷う要因を(ある程度)排除できている。

  2. 必ずしも集中を意識しなくても良いものとしている

  3. 時折今の状態を言語化し、認識し、捨てている。

これにより得られるメリットはというと、

  1. 判断を要求される機会を極力減らし、消耗なく行動できる

  2. 自分の集中力の増減に左右されないメンタルを保てる

  3. 頭の中のモヤモヤに思考を左右されず、一日の振り返りも楽になる。

となります。

この3つの要素はどれも「自分の消耗を減らし、性能低下を防ぐ」目的で行っています。

そんなわけで、私のテーマとしての「滑らかに動く」はロマンとか五感を無視するなら「消耗少なく動く」と言い換えてもいいでしょう。

集中力を意識すると起こること

上記の話、1と3は割と理解しやすいと思っています。

1は脳内で「混乱」に使うリソースの節約であり、3はいわゆるジャーナリング・思考の吐き出しでスッキリすることですから。

これに対し、「集中を自覚しなくても良い」とか、「集中力の増減に左右されない」は人によっては少し違う文脈に見えるかもしれません。

ですが、これも消耗を減らす手段です。

そもそも「集中しよう」と思って自在に集中でき、同じ要領で長時間維持できるのなら苦労しません。

心身のコンディションはもちろん、環境による五感の刺激・各種プレッシャーなどが集中の上下動を作ります。

そして、この波は自分が一番過剰に感じてしまうものだと思います。

集中できない自分を否定し、深く長く集中できる自分を目指した結果、それに至らない自己否定の頻度が上がってしまい、それに悩み・消耗し、集中できない状況に陥っては本末転倒でしょう。

そんな自分の心の中の嵐が外に見える性能の低下につながっては目も当てられません。

集中力を意識しないことで、滑らかになる

「必ずしも集中を意識しなくても良い」思考は上記の自己否定の頻度を下げることができます。

集中できている自分は良いもので、できていなければ悪いなどと判断せず、できる範囲でひたすらに手や体を動かす。

もしそれすらできないならまとまった時間休みますし、とりあえず作業するうち集中が回復し・深まっていくこともよくあります。

そんなことを繰り返しているうちに、そこそこの深さで、ある種ぼんやりしながらでもいい感じに動ければそれが一番ではないかと思えてきたわけです。

結果として、集中の波の上下も減り、一日を大きなショックなく滑らかに過ごせるようになった、と感じています。

みんながみんなそうなる、とまでは言えませんが、「自分考えすぎでは?」と思う人には刺さるかもしれません。

いいなと思ったら応援しよう!