正直と赤裸々の境界線
voicyのリスナーさんから、「正直な文章が書けるようになりたいけれど、むずかしい」という相談が寄せられた。
わたしは放送内でそれに答えながら、「正直な文章は人の心を動かすけれど、赤裸々な文章は読み手として苦手なので自分は書かない」という持論を展開した。
「正直な文章だね」と言われると悪い気はしないけれど、「赤裸々な文章だね」と言われると、複雑な気持ちになる。
というのも、そのギリギリのところ、つまり、赤裸々まではいかないけれど、ある種の覚悟をもった正直さを感じる文章を書きたい、という思いがあるのだ。
では、「正直」と「赤裸々」の違いってなんだろう。
手元の辞書(三省堂国語辞典)を引くと、
【正直】①うそやごまかしがない(こと/ようす) ②まちがいなく、正しく反応するようす
【赤裸々】①つつみかくさないようす。むきだし。率直。
「赤裸々」がもつ意味において、わたしが苦手とするのは「むきだし」の部分で、これを持ち味とした文章が、読み手にまわったときに苦手なのだ。だから自分も書きたいと思わない。
個人の主観としての「正直」と「赤裸々」の違いは、前者は他人を感動させたり、温かい気持ちにさせたりするのに対して、後者は、居心地を悪くさせ、目を背けたくなったりさせる、というものだ。
また、正直に話す、書くことは、当人にとっては勇気や覚悟がいることだけど、赤裸々に話す、書くことは、当人は苦しい状態から脱してスッキリする、といった印象がある。わたしは赤裸々に話したり書いたりした経験がないから、想像だけれども。
冷たいとかドライとか言われても(性格的にそういう部分はたしかにある)、わたしは、それほど人の奥の奥まで、のぞきこみたいとか知りたいとかは思わない。
一方で、表面的に話していて本音が聞こえてこないな、という人や文章にも心が動かされない。
その人の正直な気持ちが見え隠れする表現は強いし、刺さってくる。だから自分も、そのラインを書きたいと思っている。
そしてやはり、他者への優しさや配慮が感じられる文章が読みたいし、書きたいと思う。
自分のことを正直に書いていても、その正直さが誰かを癒したり、励ましたり、奮い立たせたりするような。
だからわたしのなかで、正直な文章というのは、大人の文章なのだ。
それに対して、赤裸々な文章には、ちょっと子どもっぽい印象を持っている。
むきだしにさらけだしたものを読んだ人が、戸惑ったり、面白がったり、不快感に顔をゆがめたりするのをちょっと見てみたい、というような、書き手のいたずら心。
あるいは、自分の内部を露出、排出することに精一杯で、受け取り手側の感情にまで配慮する余裕がない、という未熟さ。もちろん、それと文章力は別の話で、あくまでわたしの中のイメージだけれども。
自分が読みたいと思う文章を書ける人になるためには、文章力を磨いていくしかないのだ。そしてもっともっと精神的に大人にならなくてはいけない。
どちらにしても、まだまだ、のびしろはあります。
