反ユダヤ主義とはなんぞや?
冒頭画像出典:英国Smith College Museum of Art『正義のために闘い、芸術のために生きた リヤ・グルンディヒ=ランガー(1906–1977)』より引用。ナチス政権下で、命がけで創作を続けた社会派アーティストの作品。
正直に言うと、これ、よくわからなかった。歴史の授業で当然習ったはずのことも、頭の中では「はぁ?…」。
どうしてナチスはユダヤ人を迫害したのか。それ以前に、そもそも『反ユダヤ主義』って何?(仏教徒の私にはデフォでは全くわかるはずもない…)。
この私にとっての「大いなる謎」は、長い間タブー視されてきたせいか、こっちでも誰もはっきりと教えてくれない。しかし最近、テレビのドキュメンタリーを観て少し目から鱗が落ちた。
そのドキュメンタリーとは、ドイツとフランスが共同運営する文化チャンネルARTEの、なんと4時間もの大作、その名もずばり「反ユダヤの歴史」。バビロニア、エジプト、ローマ帝国までさかのぼり、約2000年以上にもわたる「ヘイト」の歴史を綴る。衝撃的。

ARTE(独仏公共放送)より
ちなみに、このARTEチャネルとは、ドイツとフランスの公共放送で、受信料とEUからの資金提供で運営され、欧州議会や欧州委員会からも文化政策の推進機関として支援を受けている。NHKによる紹介はここ。
さて、この番組、内容が濃すぎ…(ハマって一気に観てしまった😅)。これを全部ポストで紹介するのは無理なので、ここでは、サクッと「目から鱗」キーファクトだけ紹介したい。
余談:あ、そういえば、あの日本の右翼ポピュリスト政党参⚪︎党も反ユダヤを挙げているらしい。…でも、日本には、ヨーロッパのような一神教による宗教政治の歴史もほとんどないのに、「反ユダヤ主義」を挙げるって…? 正直あきれる💢。
かれらユダヤ人たちの(壮絶極まる)2000年超の迫害と虐待の歴史も知らずに、軽々しく、平和な日本で『なんちゃってユダヤ陰謀説』。…それ、絶対カルマの請求書が来るやつ…👹。

画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より
(※日本では文献があまりないので、Wiki英語版でどうぞ)

画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より

画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より
右翼ポピュリスト政治家の「外国メディアで聞きかじった陰謀論を、なんとなく挙げてみただけ」みたいな反ユダヤ発言。正直「は?」だが、仏教徒らしくあとは「カルマの裁き、様!」👹に任せさせていただく。ちなみに在日イスラエル大使も激怒中 💢。これ、当然…。

また、近年は胸が張り裂けるようなイスラエル・パレスチナの衝突があり、世界各地で反ユダヤ感情が再燃している。この分裂と憎悪連鎖の根はどこにあるのだろう。両者が平和に共存する道は本当にないのだろうか、とただ胸を痛めるばかり。甘い考えかもしれないが…。
このARTEドキュメンタリーによれば、かつてスペインのイベリア半島やフランスでは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の人々が平和に共存し、文化交流を行っていた時代も(一時期だが)あったとのこと。下にその例を。
イスラムによるアル=アンダルス(711年〜1492年)支配のまとめ:スペインのイベリア半島におけるイスラム教徒の支配下で、キリスト教徒やユダヤ教徒も共存できた地域。住民は自治権を持ち、宗教の違いを尊重しつつ暮らし、学問・交易・都市生活に参加した。多言語・多文化が共存し、科学や農業、工芸などの知識も交流され、イスラム、キリスト、ユダヤ教すべての異宗教の人々が互いに尊重し合う希少な時代の例となった。

画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より

フランス・イスラム財団イスラム教研究員Ghaleb Bencheikh氏談
画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より
しかし、中世に突入するにつれて、ヨーロッパ各地では宗教と政治が複雑に絡み合うようになっていく。統治者たちは自らの権力を維持し野心を満たすため、悪策を用いて人々を操作し、分断を生み出していくようになった。
ここでまず、冒頭で率直に申し上げたい。この長編ドキュメンタリーから私が受けた印象の一つは、中世に権力によって企まれた分断悪策が、何世紀も後になって、第二次世界大戦後の膨大なユダヤ難民を生んだ『もとの起り』だったのではないだろうか、ということ。

ドイツ、ミュンヘンのLudwig-Maximilians大学、自らもユダヤ人である歴史教授 Michael Brenner氏
画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より

画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より
これは、あくまで個人的な感想。でも、事実として、多くのヨーロッパ諸国は戦後、ユダヤ難民の受け入れを躊躇(ちゅうちょ)した。何世紀に及ぶ分断とヘイトの連鎖。そのため、難民たちは行き場を失い、欧米と国際社会(国連、英国など)はイスラエル建国を急いだ –– そこにはパレスチナ人たちが住んでいたにもかかわらず。
この歴史の重みを思うと、胸が締めつけられる。
ドキュメンタリーによると、その分断戦略の先駆けとなったのが、1240年のパリ論争(Disputation of Paris)。日本ではほとんど文献がなく、オンラインでも情報はほとんど見つからなかった。以下は英語版 Wikipediaをもとにした簡単な日本語まとめ。
1240年のパリ論争(Disputation of Paris)のまとめ:1240年、フランス王ルイ9世の宮廷で、ユダヤ教タルムードがユダヤ出身でキリスト教に改宗したニコラ・ドニンにより冒涜疑惑で告発。ユダヤ側はラビ・イェヒエルが弁護、告訴側には王妃ブランシュ・ド・カスティーユやキリスト教大司教ゴーティエ・ル・コルヌも関与。結果、大量のユダヤ教文書が焼却された。
当時の統治者であるフランス王ルイ9世、王妃ブランシュ・ド・カスティーユ、キリスト教大司教ゴーティエ・ル・コルヌらが関与し、少数派のユダヤ教を公的に劣勢に立たせた。討論の末、ユダヤ教文書は焼却された。また、宗教対立も政治に利用され、民衆に優劣意識を植えつけた。

画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より
また、この事件から約20年ほどの間、当時のフランスでは、キリスト教徒とユダヤ教徒は服装や外見がほとんど同じで、地域社会で問題なく共存していた。しかし統治者たちは「これではいけない」として、ユダヤ人を見かけや暮らしで区別する規制を設け、社会的に孤立させる分断政策を始めた。
その流れはヨーロッパ各地に広がっていき、ユダヤ人は差別化のために刻印入りの衣服を着せられ、やがてゲットーへと追いやられていった。さらに「ユダヤ鼻(鷲鼻)」という差別的なイメージもこの時期に人為的に作られ、邪悪な顔をしたユダヤ人像が教会のステンドグラスや絵画に描かれるようになっていった。
これは、このドキュメンタリーで知った新事実。中世以前は、地域社会でのキリスト教徒とユダヤ教徒の区別は割とあいまいで、ユダヤ人も他の市民とあまり変わらず暮らしていた。しかし、中世の権力者たちが区別を意図的に強めていった。

中央:イタリア ― ユダヤ人専用の衣服
右:ドイツ ― とんがり帽子で差別化
画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より

画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より

シカゴ大学歴史教授David Nirenberg氏談
画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より
上の写真、反ユダヤ研究の権威であるシカゴ大学歴史教授、David Nirenberg氏によるとこうだ。
「権威や統治者がこの時代に行ったのは、「ユダヤ人」というスケープゴート的階級※を意図的に作り、社会の不満や責任をそこへ押しつけることだった。こうして、為政者はユダヤ人を悪役に仕立て、自らの失政を覆い隠すことができた。」
※スケープゴート的階級とは「罪を背負わされる身分」のこと
ここまでまとめて、言葉を失った。全てを書き切るにはまだ遠いが(いや、無理…😅)、まずは強く印象に残ったことだけを記しておく。
この暗黒のヘイト迫害史は、今の社会でも「悪役」を変えながら繰り返されている気がする。現代の悪役は、特定の地域や背景をもつ移民や外国人、社会の期待に沿わない人、あるいは個人の自由を謳歌する人たちかもしれない……。
それを支えているのは、恐れと憎しみ、さらには強い妬みの感情。

画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より
過去を学び、感情に流されず、ささやかでも自分の頭で考えることが大事だと思う。そして、自分が無意識に偏見を植え付けられていないか、自問する。
先にも書いたが、中世の権力者が企てたヘイトの悪策連鎖は、何世紀も経った戦後社会にまで影を落としたように思える。もしそうなら、それは今の私たちを脅かす憎しみの連鎖、いや、火薬庫のひとつ。とても悲しくなる。
「歴史は繰り返す」のだろうか。いや、ただ繰り返すだけなら、歴史もがっかりするに違いない。
だからこそ、批判的に考え、つねに心の葛藤を抱くことが必要なのかもしれない。簡単ではないけれど…。
戦争追悼八十年
〜 平和を願い、黙祷と合掌 〜

画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より

画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より

画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より

画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より

画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より

画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より

カナダ・ウォータールー大学 歴史教授Robert Jan Van Pelt氏談
画像・出典:ARTE(独仏公共放送)より
「当時のフランス社会は、社会問題の原因や背景をじっくり考え、分析することを怠り、安易に何もかもをユダヤ陰謀論のせいにした。こんなやり方では、健全な社会など育つわけがない。」
