ゴッホの絵が売れたのは「手紙」のおかげだった
人は正論では動かない。
・この商品は素晴らしい
・この商品は価値がある
・だからこれは買うべきだ
そんなことをいくら言っても
お客さんには売れない。
人が財布の紐を緩めるのは
感情が動いたときだ。
ゴッホは、37歳で自ら命を絶った。
弟のテオは画商だった。
兄が描いた絵を全て引き取るかわりに
毎月生活費を送るという契約を
兄と結んでいた。
施しではなく、対等な取引の形にすることで
兄のプライドを尊重していた。
だからゴッホの絵は
テオの手元にあった。
でもそのテオも、ゴッホが亡くなった
半年後に病気で亡くなった。
残されたテオの妻、ヨーは28歳で
息子はまだ1歳になったばかりだった。
当時のヨーロッパは女性は家庭にいるもの
という認識が強く、
女が1人で稼いで子どもを育てるなんて
ほぼ考えられない時代だった。
夫が亡くなり収入は途絶えた。
手元にあるのは、
1フランでも買わないと酷評された
大量のゴッホの絵だけだった。
実家や周りの人たちからは
「そんな不吉な絵なんて捨てて現実を見なさい」
と言われた。
当時、ヨーは日記にこう書いている。
私はこれから幼い子を抱えて
一人で生きていかなくてはならない。
あまりの寂しさと不安で胸が張り裂けそう。
ヨーの実家は裕福だったし
戻れば生活は安泰だった。
でも実家に戻れば、
あの絵は処分しなければならない。
そうすればテオの夢も消える。
だから彼女は、
生活が苦しくても実家に頼らずに
オランダの田舎町で下宿屋を始めた。
また、得意の語学を活かして
翻訳の仕事も請け負った。
女が1人では生きていけないと
言われた時代に自分で稼ぐ基盤を作った。
最初は、生きるためだった。
子供を育てるためにお金が必要だった。
手元にあるのは、売れない絵の山だけ。
周りからは処分しろと言われている。
でも、夫のテオは腕利きの画商だった。
身内びいきはあったかもしれないが、
その目利きのテオが
兄の絵には価値があると信じていた。
そしてヨーは、夫テオとゴッホが交わした
膨大な手紙を読み始めた。
読み進めるうちに
ヨー自身がゴッホの言葉に心を揺さぶられた。
社会に馴染めず、孤独にのたうち回りながら
自分の絵には価値があると命を削って
自分のスタイルを追い求めた義兄の姿。
その兄には才能があると信じて支え続けた
腕利きの画商だった亡き夫の信頼。
ヨーは決意した。
この二人の絆とフィンセントの芸術を
絶対に埋もれさせてはいけないと。
ここで彼女の中で、絵を売ることが
「生活の手段」から「人生を懸けた使命」に変わった。
とは言え、そのままでは売れないのは明らかだった。
当時のゴッホの絵は美術界から
・輪郭はガタガタ
・色は派手すぎ
・絵の具はボコボコ
と酷評されていた。
それは彼女もわかっていた。
そこでヨーは、絵ではなく手紙を使った。
手紙には、ゴッホが何を見て、何に苦しみ、
なぜあの色で、なぜあの筆致で描いたのかが残っていた。
それを知ると、絵の見え方が変わる。
荒い筆跡は、ただの荒さではなくなる。
強い色は、ただの奇抜さではなくなる。
ゴッホの孤独や情熱が
そのまま絵に乗り移っているように見えてくる。
ヨーはこの手紙を相手によって使い分けた。
評論家や画商には
絵だけでなく手紙というゴッホの心の内も見せた。
彼らがゴッホの内面を理解した上で
絵を見れば評価が変わる。
影響力のある人間が認めれば
それが世間に広がっていくと
ヨーは考えていた。
美術展では、絵と手紙をセットで見せた。
来場者は、苦悩を知った上であの絵を見る。
すると、魂が乗り移ったかのような絵に見える。
そして1914年、手紙そのものを書簡集として出版した。
絵に興味がない人でも、
1人の人間のドラマとして読める形にした。
手紙というひとつの素材を
相手に合わせて形を変えて届けた。
そしてヨーには、お金が欲しかったのは確かだが
譲れない一線があった。
それは『絶対に安売りしないこと』だった。
もしお金だけが目的なら
画商に言われるまま処分していたはず。
でも彼女は、生活のために少しずつ売る絵と
価値を高めるために手元に残す絵を厳しく分けた。
絵の価値が正しく認められるよう
個人ではなく有名な美術館に絞って売った。
買い手は、この偉大な画家の遺産を
自分たちが守らなければ
という使命感を刺激された。
ゴッホの絵は、何も変わっていない。
変えたのは
『売り方、見せ方、伝え方』だった。
絵だけを見せるのではなく
『その絵が生まれた背景=手紙』
を一緒に見せた。
人は正論では動かない。
「この絵には価値がある」と説明しても動かない。
人は感情で動く。
それは僕も知っていた。
でも、ヨーがすごかったのは
ゴッホの苦悩をただ伝えたことではない。
それを『誰に、どのように』伝えるか
を変えていたことだった。
評論家には、絵より先に手紙を。
美術展では、絵と手紙を一緒に。
興味のない人には、一冊の本として。
同じ手紙を、相手によって変えていた。
僕は、感情で人が動くことは知っていた。
でも、自分がお金を欲しがるあまり
「誰か一人」ではなく、
ぼんやりとした大勢に向けて発信していた。
だから届かなかったのだと今はわかる。
マーケティングとは
商品を押し売りすることではない。
その商品がお客さんの心に
響いたときにはじめて売れる。
ヨーが見せたのは、絵ではなかった。
その絵が生まれた理由だった。
