ジーンズを発明したのは、リーバイ・ストラウスではなかった
僕はずっとジーンズは
リーバイ・ストラウスが
考えたものだと思っていた。
でも記事を書くのに
改めて調べたら違ってた。
破れやすい部分を
銅のリベットで補強する。
そのアイデアを思いついたのは、
彼と取引のあった仕立て屋
ジェイコブ・デイヴィスだった。
彼は特許を取りたかった。
でも、その申請費用がなかった。
だから、生地の仕入れ先だった
リーバイ・ストラウスに
『一緒にやらないか?』と持ちかけた。
そして1873年、二人は共同で特許を取った。
リーバイス社自身、ジーンズは2人の協力で
生まれたと書いている。
つまり、ジーンズを発明したのは
リーバイ・ストラウスではなかった。
では、リーバイは何をした人なのか
彼は1853年に
ゴールドラッシュに沸く
サンフランシスコに渡っている。
でも、自分でツルハシを持って
ひと山当てようとして
いたわけではない。
彼が築いたのは
ヤコブのような西部の職人や店に
生地や衣類や寝具などを卸す問屋だった。
金を掘りに来た人間の目的は
当然、金を掘り当てることだ。
服が欲しくて西部まで来た
人間なんて1人もいない。
ただ、金を掘るには過酷な作業に
耐えないといけない。
鉱山の中に入るから当然
破けたり擦り切れたりする。
そしてそんな状態になると
万全な状態で作業ができなくなる。
彼らが本当に欲しかったのは
服そのものじゃなく
『掘り続けられること』だった。
リーバイ・ストラウスは
その『掘り続けられること』
を売っていた。
だから、ジェイコブのリベットが刺さった
鉱夫たちは、掘り出した重い鉱石のサンプルや
金塊、工具などをそのままポケットに
詰め込んで働いていた。
だから、ポケットの隅や縫い目から
先に破れていく。
『ズボンがすぐ破れて困る。』
それが、現場の一番の悩みだった。
きっかけは、木こりの妻だった。
『とにかく頑丈な仕事ズボンを作ってほしい。』
そう頼まれた。
丈夫な生地でズボンを縫っていたとき、
店に置いてあった馬の毛布用のリベットが
ふと目に入った。
引っ張る力に強いそのリベットを
破れやすいポケットの端に打ってみた。
すると工具を突っ込んでも
重い鉱石を詰め込んでも破けない。
それは、一か八かではなかった
『絶対に破れない』という評判は
地元の木こりや鉱夫のあいだに広まり
ヤコブの小さな仕立て屋には、
注文が捌ききれないほど押し寄せていた。
そしてあまりの評判に
マネするものも現れた。
そこでヤコブは特許を取ろうと思ったが
そのためには現在の価値で2000~3000ドル
ほどのお金が必要だったが、
彼はそれだけのお金を用意できなかった。
だから、ヤコブは取引先である
リーバイに手紙を書いた
『費用を出してくれれば、権利を半分渡す。
生地も、あなたから買い続ける』と。
リーバイにとってこれは賭けではなく
確実に儲かる話だった。
何故なら、デニム生地をヤコブに
卸していたのは、リーバイだったから。
つまり彼は、注文がどれだけ伸びているかを
仕入れの数字で、誰よりも知っていた。
売れることは、もう分かっていた。
だからリーバイは、手紙を読むとすぐ、
資金を出して、共同で特許を取った。
そして、ヤコブをサンフランシスコに招き、
自社の工場長に据えて、大量生産を始めた。
発明しなかった男が、世界標準をつくった
リベット付きの作業ズボンは
飛ぶように売れた。
でも、リーバイは、売れる商品に
乗っかったわけではない。
彼は、労働者の作業着で
しかなかったものを、
『丈夫なズボンの代名詞』
にまで引き上げた。
特許は、いつか切れる。
1873年に取った特許も1890年には切れて、
誰もがリベット付きのズボンを
作れるようになった。
普通なら、そこで儲けは終わる。
でもリーバイは、ちょうどその頃
自社の製品に『501』という名前をつけていた。
独占が終わっても、
『本物のジーンズはリーバイス』
という地位は残った。
ヤコブが生んだ一本の作業着を、
世界じゅうの定番に変えたのは、
まぎれもなく、リーバイの力だった。
僕には、リーバイのような
相棒はいない。
かつては、1人で考えて答えを
出すしかなかったが、今はAIがある。
思いついたことを
24時間365日、すぐに相談できる。
『売り方・見せ方・伝え方。』
リーバイが担ったその役割の大半を、
今はAIが一緒に考えてくれる。
ただ、AIにできないことが
ひとつだけある。
それは無から有を生み出すこと。
誰かの切実な困りごとに
『これだ』と気づくこと。
それだけはいくらAIが発達しても
代替えできない。
