シャネルが売っていたのは、洋服ではなく「女性の自由」だった。
ココ・シャネルの名前を
知らない人はいないと思う。
本名はガブリエル・シャネル。
一代でシャネル帝国を築いた
デザイナーだ。
でも、彼女は服の学校には通っていない。
彼女が持っていたのは、
孤児院で覚えた裁縫の技術だけだった。
貧しい家に生まれ
11歳で母を亡くすと、父に修道院へ預けられた。
そこで身につけたのが針仕事だった。
修道院を出てからは昼は洋服の修繕の仕事
夜は歌手を目指してキャバレーで歌っていた。
そしてその時の愛称が『ココ』だった。
でも、歌では芽が出なかった。
その後、富豪の愛人になり
彼の邸宅で暮らすことになる。
当時の上流階級の間では
鳥の羽や果物、造花などで
過剰に飾り立てられた
重たい帽子が主流だった。
でもシャネルにはそれが
悪趣味で我慢ならなかった。
そこで彼女は、市販のシンプルな
ストローハットを買って
それをベースに
余計な飾りは一切つけず
細いリボンを一本だけ巻くような
極限までシンプルな帽子を
自分用に仕立てた。
最初は、そのあまりのシンプルさに
周囲の女性たちは『貧乏くさい帽子』
とバカにしていた。
でも、シャネルがその帽子を
被って馬に乗り颯爽と
風を切って走る姿は
モダンでクールに見えたらしく
最初はバカにしていた女性たちが
『自分にも作ってほしい』と頼み込んで
来るようになった。
その帽子が上流階級の間で
話題を呼んだ結果
シャネルは恋人の支援で1910年に
パリに小さな帽子専門店を開いた。
そして当時の有名女優たちが
シャネルの帽子を被って
舞台に出たことで
パリ中の貴婦人や大富豪が
こぞって買い求めたことで
経営はすぐに軌道に乗った。
帽子で大儲けしたシャネルは
恋人の支援もあり
高級リゾート地に2号店を開いた。
ここで彼女は、帽子だけでなく
ジャージー素材で作った
「カジュアルウェア」を初めて売り出す。
注:当時のカジュアルウェアは
現代の高級ブランドのスポーツウェアに近い感覚。
スポーツ=金持ちがやるものだったので。
これがどれくらい画期的なことかと言うと
エルメスがワークマンの生地でバッグを作って
それをセレブが競って買い求めるようなもの。
そして、この常識破りな
ジャージー素材の服は
富裕層に爆発的に売れた。
ただ、現代のニットのセットアップに
近い上品なスカートスタイルであり
当時のセレブの間では
『ズボンは男や労働者(貧困層)が穿くもの』
という認識がまだ強かった。
風向きが変わったのは
第一次大戦の長期化だった。
男性の労働力が不足し
それまでコルセットにロングスカート姿だった
女性たちが、男性の代わりに兵器工場などで
働くようになった。
でも、当然スカートにコルセットでは
工場労働は無理。
だからコルセットを外して
男性用のつなぎ(サロペット)を
穿いて働くようになった。
でも、戦争が終わっても女性たちは
気づいてしまった。
『動きやすく、締め付けのないスタイル』の
圧倒的な楽さに。
また、戦後は社会の常識が一変した。
『女性の自立』を求めるこの新しい価値観は
保守的だった上流階級の女性たちの間にも
瞬く間に広まっていった。
シャネルが時代に合わせたのではなく
時代がシャネルに追いついてきた。
シャネルが成功したのは
美人だったからでもなく
運が良かったからでもない。
彼女が作ったものには全てにおいて
『女性の不自由からの解放』という
テーマが一貫していた。
コルセット&ドレスが当たり前
というのが嫌だったので
下着などに用いられるような
素材を使って パンツスタイルを
提案したり
ハンドバッグは両手が塞がるので
不便だったのでチェーン付きのバックである
2.55を作ったり
当時黒は夫を亡くした未亡人が着る色と
されている常識を覆してLBDと言われる
シンプルな黒のワンピースを作った。
彼女は、服を売っていたのではない。
『女はこういう格好をするものだ』という、
目に見えない縛りから
女性を解放しようとしていたのだった。
