ベートーヴェンは天才だった。でも稼げた理由は才能だけではなかった
ベートーヴェンが耳が聞こえなくなった
ということは知っていた。
でも、ピアノソナタを量産したり
新曲の楽譜の出版料を相見積もりで吊り上げたり
楽譜を複数の国の出版社で同時に出版して
荒稼ぎしていたことは全く知らなかった。
彼は1802年、難聴の悪化に絶望して遺書を書いた。
ハイリゲンシュタットの遺書と呼ばれる手紙だ。
でも死ななかった。
『まだ表現すべき音楽が残っている』
と思ったからだと言われている。
ただ、現実的な問題もあった。
耳が聞こえなくなると、演奏家として舞台に立てなくなる。
当時の音楽家は『演奏と作曲』の両輪で稼いでいた。
その片方が使えなくなった。
生きるために、稼ぎ方を変えるしかなかった。
彼が目をつけたのは、時代の変化だった。
フランス革命によって、
それまで音楽のメインの客だった貴族が没落していった。
代わりに力をつけてきたのが市民階級だった。
この市民たちには、ある欲求があった。
家にピアノを置いて娘に弾かせること。
それが『金だけではなく、貴族的な教養を持つ家』
という証明になった。
また、専属の楽団を雇う金はないが
家庭で一人で弾けるピアノは
その欲求を満たすものとして広まっていった。
当時、ピアノを弾けることは現代で言う
MBAを取るのに近い、セルフブランディングの手段だった。
金だけではなく『教養がある人間だと思われたい』
成り金ではないアピールをするのに
ピアノはちょうどよかった。
ベートーヴェンはここに目をつけた。
そのような市民の切実な悩みから逆算して
初中級レベルのソナタを量産した。
難しすぎず、でも弾けたら一目置かれる。
そういう難易度を狙って設計した。
さらに彼は、楽譜の売り方も変えた。
作品が完成すると、複数の出版社に
同時にオファーを出した。
それは競わせることで
原稿料を吊り上げることが目的だった。
著作権が未整備だった時代に同じ曲を
オーストリア、イギリス、ドイツの出版社に
同時に売って、それぞれから原稿料を受け取る
ということもやってた。
世間が抱く天才のイメージとは少し違う。
でも彼は耳が聞こえない生き残るために
戦い方を変えた人間だった。
僕は毎日ツイートを考えるのが面倒だった。
そして、自分が悩んでることは
他にも同じように思ってる人はいると教わった。
だから自分のツイートを参考にして
AIがツイートを作成して投稿するというアプリを
1年かけて作った。でも全く売れなかった。
ベートーヴェンは
『成り金と蔑まされたくない』
という市民の悩みから逆算して
商品を設計した。
僕は商品を作ったあとに
誰の悩みを解決できるかを考えた。
順番が真逆だった。
耳が聞こえなくなったことが
ベートーヴェンの戦い方を変えた。
演奏で稼げなくなったから
楽譜で稼ぐしかなくなった。
楽譜で稼ぐには買う人間が必要だった。
買う人間を考えたら市民が見えた。
市民の悩みを考えたら商品が決まった。
弱点が、戦い方を決めた。
才能があっても稼ぐためにはお客さんが必要。
だから、お客さんが何を求めてるかを知って
自分が何を提供できるのか考えないとならない。
それはベートーヴェンですら例外ではなかった。
