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1009回断られた。でも、カーネル・サンダースのチキンはすでに売れていた

カーネル・サンダースは65歳で店を失った。
残されたフライドチキンのレシピを持って
全米のレストランを回り、1009回断られた。

それでも諦めず、1010回目で契約を取った。
『成功するまで諦めなければ、失敗ではない』
そんな話として紹介されることが多い。

でも、事実は少し違う。
実際は、彼のチキンは店を失う前から
すでに売れていた。


彼は幼い頃に父親を亡くし
10歳ごろから働き始めた。

鉄道員、保険外交員、タイヤ販売など
様々な仕事を経験した。

そして、何度も仕事を変えた末
1930年、40歳になったサンダースは
ケンタッキー州コービンで
ガソリンスタンドの経営を
任されることになった。

そこで彼が始めたのが、給油に立ち寄った
旅行客へ料理を出すことだった。

最初はガソリンスタンドの奥にある
自宅の食卓で数人の客に料理を振る舞っていた。

長距離を移動してきた客は
ガソリンだけでなく食事も必要としていた。

サンダースは、給油に来た人を
ガソリンだけではなく
長旅で腹を空かせた人として見た。

やがて料理は評判になり、
小さな食堂は100席を超える
レストランへ成長した。

1935年には料理を通じた州への貢献を認められ
州知事から『ケンタッキー・カーネル』
という名誉称号を与えられた。

軍隊で大佐だったわけではない。
後にサンダースは、白いスーツ、黒いリボンタイ、
白いひげという姿を徹底する。

ハーランド・サンダースという1人の料理人から
誰でも一目で覚えられる
『カーネル・サンダース』へ変わっていった。


1939年、サンダースの店は火事で焼失した。
しかし、彼は以前より大きな店として再建した。

火事で失ったのは建物だった。
料理の評判も、レシピも、店の前を通る
旅行客も残っていた。

建物を復旧させれば再び商売ができた。
この頃、サンダースは圧力鍋を使い
フライドチキンを短時間で調理する
方法も作り上げていた。

フライドチキンは通常
調理に時間がかかるが
作り置きすれば味が落ちる。

でも、圧力調理によって
客を長く待たせず
作りたてのチキンを
提供できるようになった。

店は再び繁盛した。


ところが1950年代前半に店の前にあった
幹線道路の分岐点が別の場所へ移され
客足が落ち始めた。

さらに追い打ちをかけるかのように
1955年、新しく計画された高速道路が
店を迂回することが明らかになった。

店の前を通っていた客は
新しい道路へ流れていく。

チキンの味が落ちたわけでも
店の評判が悪くなったわけでもない。

だから彼は売れなくなる前に
繁盛していた店を手放した。


でも、彼は店を失ってから突然
フランチャイズを思いついたわけではない。

最初の契約を結んだのは1952年。
自分の店を手放す数年前だった。

相手は、ユタ州でレストランを
経営していたピート・ハーマン
という人物だった。

彼は、新しいKFCの店舗を
建てたわけではない。

ハーマンは既に、店も厨房も従業員も
お客さんも持っていた。

そこへサンダースのフライドチキンを
ひとつのメニューとして加えた。

サンダースが提供したのは
独自のレシピと圧力鍋による調理方法だった。

また当初はフランチャイズではなく
サンダーズが提供したチキンが1羽売れるごとに
お金を払うという契約だった。


ハーマンにとっては
設備の導入も店舗の改装もいらない。

既存の厨房を使い、今いる客に
新しいメニューをひとつ加えるだけでいい。

売れなければ、お金を払う必要もないし
売れれば双方にとって利益になる。

サンダース側も新たに店舗を増やす
リスクを減らせられるし、
他店でも自分のチキンが売れるかどうかを
試すことが出来た。


現在のKFCに繋がる仕組みを
サンダースが最初から1人で
作ったわけではない。

『Kentucky Fried Chicken』
という名称考えたのは
最初の加盟店主である
ハーマンだとされている。

持ち帰り用のバケツや販売方法にも
ハーマン側の工夫が大きく関わっていた。

サンダースが売れるチキンを持ち込み
ハーマンが客に売りやすい形を加えた。

実際に売りながら、商品の名前や見せ方
届け方が整備されていった。

そして加盟店が増えれば
サンダース本人がチキンを揚げなくても
売上を増やせるようになる。

だが、黙って加盟店が増えたわけではない。
自分の店を手放した後
彼は圧力鍋とスパイスを車に積み
各地のレストランを回った。

店主の厨房で実際にチキンを作り
味を確かめてもらい、契約を増やしていった。

自分の店だけなら売上を増やすのも
限界がある。

だが、他の店でも自分が作ったものと
同じものが売れるなら
自分が調理できる量を超えて商売を広げられる。


サンダースが何軒ものレストランを回り
何度も断られたこと自体は事実だろうし
それでも諦めなかったから成功したのは
事実だと思う。

でも、店を畳む前に既に他店でも
自分のレシピでフライドチキンを売ってたし
双方にとってwin-winだった。
しかも店主は売れたら支払えばいいので
リスクもなかった。


カーネル・サンダースが作ったのは
最初から巨大なフランチャイズではなかった。

自分の店で売れていた料理を
他人にも再現できるレシピと調理方法に変えた。

そして新しい店を建てたりするのではなく
既存店に一品だけ加えてもらった。

売れなくても損をしないし
売れれば、双方に利益が残る。

KFCは、そんな双方が小さく
試せる売り方から始まった。

売る形というものは
最初から完璧に作るものではない。

相手が試しやすい小さな形で始め
実際に売れたものを
少しずつ広げていくものなのです。

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