便利すぎる2026年と、不便で熱かった1990年代。僕たちが失った「余白」の正体
ふと、コンビニのレジで「袋はどうされますか?」と聞かれるたびに、タイムスリップしたような感覚に陥ることがある。
今、僕たちが生きている2026年は、驚くほど便利だ。
スマホ一つあれば買い物は終わるし、音楽はサブスクで無限に聴ける。わからないことがあれば数秒で検索結果が教えてくれる。
でも、その便利さと引き換えに、僕たちは何か「大切なもの」をどこかに置き忘れてきたような気がしてならない。
1. 「検索」がなかった頃の、あの熱量
90年代。僕たちはもっと不便だった。
新しい曲を聴くにはCDショップへ走り、目当ての盤がなければ予約をして一週間待った。ドラマの結末を知るには、来週の放送まで悶々と過ごすしかなかった。
でも、あの「待っている時間」こそが、対象への愛着を育てていたのではないだろうか。
苦労して手に入れたカセットテープの歌詞カードをボロボロになるまで読み込んだ、あの熱量。
今の「タイパ(タイムパフォーマンス)」を重視する世界では、あんな風に一つのものにのめり込む余裕さえ、贅沢品になってしまった気がする。
2. 「つながり」の質が変わった
今はいつでも、誰とでも繋がれる。
でも、街中のみんながイヤホンをし、スマホの画面を見つめ、無言でセルフレジを操作する光景は、どこか寂しい。
90年代の街には、もっと「音」があった。
店先から流れるヒット曲、店員さんの威勢のいい声、そしてレジ袋を当たり前に差し出してくれるような「余白」のあるサービス。
効率化という名のもとに削ぎ落とされたのは、実は人と人との間にある、温かなクッションだったのかもしれない。
3. これから僕が書いていきたいこと
才能がないと言われ、泥臭く這い上がろうともがいていたあの頃の自分と、効率化された現代で少し疲れを感じている今の自分。
このnoteでは、そんな日常に感じる「違和感」や、記憶の中に眠る「物語」を綴っていこうと思う。
青信号に変わるのを待つ数分間に、ふと昔を思い出すような。
そんな、誰かの心に寄り添える「余白」のような場所になれば嬉しい。
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